ノンフィクションは楽しい!映画編、ニッポン国古屋敷村 |
ノンフィクションというジャンルがあります。
まず映画で頭に浮かぶのは小学生の頃見た「青い大陸」や「砂漠は生きている」です。
もはや忘れ去られている古い作品ですけど、まだ世界が未知の物で溢れていてとても広かったその頃、びっくりして目を見張ったのを覚えています。まったく知らない世界でさまざまな生き物が動いている姿を初めてこういう映画で見ることができたのです。
今ではTVや水族館で簡単に見ることが出来ますが、(そうです、その頃はまだ家庭にはTVさえなかったのでした)怪物のような大ウツボや糸巻きエイなどそんな存在さえ知らなかったので、それはまさに怪物でした。
映画の中でもそれは怪物扱いで、糸巻きエイを数人で取り囲み水中銃で撃ち、水中銃に付いている縄でエイをひっぱり最後にはクレーンで船に吊り上げてしまうという乱暴な活劇アクション?に胸躍らせたものでした。
今思うと随分あらっぽいドキュメンタリーで、この映画が今TVで上映されない訳も解ります。
世の中からまったく忘れられたような優れたノンフィクション映画があります。
小川プロによる「ニッポン国古屋敷村」という映画です。
それを初めて定員制を導入したシネヴィヴァン六本木で見たのですが、いまでもそれは僕にとってベストのノンフィクション映画です。
これほどすごい作品がなぜかTVで放送されることもなくレンタルビデオ屋にもないのが不思議なのですが、小川プロがもともとは成田闘争の政治色の強い映画を撮っていたこと、もしくはこの映画が確か3時間以上という長い映画だからかもしれません。ほんとうに残念な事です。
しかしこの映画には政治色は全くなく、声高のメッセージもありません。
4時間も騒がしいだけのスペシャル番組をやっているTV局が多いのですから、こういう本当に優れた作品をぜひ放送してもらいたいものと思うのですけど、無理でしょうね。
山形県の山奥深い村の日常がインタビューを交えながら淡々と続いていくのですが、実際にその土地で一緒に生活しなが何年もかけてじっくりと撮ったことによって、その時代のその場所の空気はもちろん、時代やその背景までもが鮮やかに浮かび上がってくる作品となったのです。
その深さは見えないほど深く、何らかの意図のもとにさっと撮られたドキュメンタリーとは一線を課す、まさに数年の時間とエネルギーがわずか数時間にギュッと凝縮されたものなのです。
しかも日本語で語られる日本の映画なのに字幕つきです。山形のこの地方の方言は同じ日本語でもまったく理解できないので字幕が必要なのです。聞いても理解できない日本の言葉で語られる日本の物語です。
今でも鮮やかに思い出すシーンがあります。
それは何キロも山を登った畑に毎日通っている老婆が、その畑で語る思い出話にすぎないのですが、それが今でもその場面が自分で見たかのように色鮮やかに浮かぶのです。
戦争中の話でした、その頃から彼女はその山の畑に通っていたのですが、ある昼下がりその畑に忽然と金襴緞子の衣装で着飾った若い女性が現れたというのです。たぶん男性との二人連れだったと言うのですが、ほんの一瞬のことで二人は逃げるように姿を消したそうです。
そんな場所でそんな鮮やかな衣装に出会った彼女はそのあまりの異様さに驚き、いまでもそれが現実に在ったことなのか幻だか解らないと言うのです。
たったそれだけの話で、その後の説明などいっさい無いのですが、彼女と一緒に見たようにそのシーンがありありと浮かぶのです。
好きなノンフィクション映画といえばもう一つ忘れることの出来ない作品があります。
ドキュメンタリー映画の父と言われるロバート・J・フラハテイが1922年に作ったドキュメンタリー映画、「極北のナヌーク」です。
これもものすごく面白いのに、なぜかTVで放映されないのが不思議です。
彼が撮ったアラン島を舞台にした(アラン)という映画もあり、こちらはTVで放映されました。
古屋敷村は数年間かかっていますが、こちらは1年間滞在してエスキモー(イヌイット)のナヌーク一家の生活を追ったものです。
淡々としたインタビューでつづられた古屋敷村とは違いこちらは目を見張るような説得力と動きのある画面が続きます。
あまりにも劇的な場面が多いので?この映画は演出過多で本来のドキュメンタリーでは無いと批判されたりしていますが、(たぶん相当演出が入っているのは事実だと思われます)どっこいその目は本来ドキュメントに一番必要な好奇心と驚きに満ち満ちているのです。
こちらも今でも覚えている場面がいくつかあります。
氷原にあるアザラシの呼吸穴から紐の付いたモリを突き刺しアザラシを狩る場面、必死で水の中に逃げようとするアザラシと人の力くらべ、仲間と協力してカヌーで珍しい一角クジラを狩るシーンなど、生きて行くための人間の活動が迫力ある画面から伝わってきます。
犬ぞりを引く犬たちは吹雪の中、外に寝るのですが、(大丈夫か!)朝起きてみるとあんのじょう吹雪ですっかりうまっています、それが日の出とともにもそもそと雪を払って起きあがってくるのです。
人だって元気です。氷で作られてた家の氷の床に、なんと毛皮一枚しいて裸で赤ん坊と母親が寝るのです。毛皮が一番暖かいそうですが、なんと言う生命力に満ち溢れた世界なのでしょう!
最近のドキュメンタリーで使うようなハイテクカメラや技術はありませんが、初めての物を見る驚きに溢れた映画でした。
伝える事、伝えたい事が山ほどあった時代だったのでしょう。
グーグルで検索すれば世界の秘境といわれる場所でさえ地図や航空写真で見ることが出来、珍しい風習や生活があれば気楽にお笑タレントが訪問し、それをお茶の間でニコニコ笑いながら見られる幸せな時代です。
だからと言って、どうしても伝えたい事や見てもらいたいものが、すべて見られるという訳でもないようです。
生命の進化が単にDNAの組み合わせだけで無く、某大な時間を必要としているように、そこには作り手が費やした某大な時間が横たわっています。今では無駄とか効率という言葉によって、昔ほど潤沢に使うことの出来ない時間。もしかするとこの(時間)という言葉こそがこれからの世界のキーワードなのかもしれません。いやはや、なぜか真面目な終わり方になってしまいました。すみません。(ノンフィクション、本の巻に続く・・)