僕の好きなクロード ヴィアラがエルメスのスカーフになった! |
自国の文化に深い誇りを持っている国というのがあるようで、オーストリアは昔は音楽を習いにやってくる留学生を無料で招待していたそうですし、フランスも美術に関しては今でも似たような制度があるようです?
フランスという国が持つ芸術、特に美術に対する思いいれは相当深いようで、日本にもフランスからやって来る美術家たちを専門に向かいいれる施設があると聞いて驚いたことがあります。
他国においても芸術家に対してこれだけ気を使っている国は他にはないはずです。
なんせカンボジアから美術品を無断で自国に持ち帰ろうとした芸術家でもあるアンドレ・マルローが文化相をやっていた国ですから!
そういう国ですから自国のアーテイストに対して政府が仕事を用意するというケースも多いようで、現代美術の作家が古い教会の修復を引き受けるという例もかなりあるようです。(日本では考えられない事ですね!田窪恭治の琴平の金毘羅さまのようなまれなケースもありますけど)
普通は修復というと古いものをただ元通りに直すだけなのですが、さすがフランスそこが少しばかり違います。
現代美術のアーテイストを起用して、そのアーテイストの個性を古いものの中に紛れ込ませたりするという大胆なことをやるのです。
(上の写真はビラグリオの作品のカタログです)
サンジェルマンデプレの古い教会の修復をしたピエール・ビラグリオの写真を見せてもらったことがありますが、祭壇をはじめところどころに、ほとんど解らない程度に彼独特のセンスが新しくちりばめられていました。
そのもっとも解りやすい例が下のクロード・ヴィアラが修復したふるい教会のステンドグラスです。
修復とはいえヴィアラの作品がそのままステンドグラスになっているのですから大胆です。
これがなんとCDのジャケットに使われているのです。
ここでは古い建物と現代美術が見事に融合しているではないですか!
このアルバムをCD屋さんで見つけたときにはほんとに驚きました。
なんせ以前から好きだったヴィアラの特長ある作品がそのままジャケットになっているんですから!
しかも驚いたことにその曲というのが、これまた大好きなモーツアルトのミサ曲ハ短調なのですから嬉しくなりました。
この曲については前にも書いたことがありますが、ある意味いささか風変わりなミサ曲のように思えます?
それは重厚で重々しいという従来のミサ曲に比べてのびのびとしてしかも華やかなのです。
ところどころで入る独唱はまるでオペラのアリアかコンサートアリアのように聞こえてしまいます。
モーツアルトの宗教曲の中では一番好きな曲ですが、この素晴らしい曲にヴィアラのジャケットで内容が悪いはずありません!
そして今回その大好きなヴィアラの作品がエルメスのスカーフになったというのを聞いて驚きました。
ヴィアラといえばその本物を持っている僕よりヴィアラ好きのMさんがいるので、一緒に早速銀座のエルメスに行ってみました。
店の前まで行くとなんとショーウインドにそのヴィアラのスカーフが大々的に飾ってあるではないですか。
(下の写真はそのショーウインドです。)
画廊や美術館以外でこの特徴ある模様と色彩を見るのは初めてです。
品物を見るともともとシーツやシャツなど、その辺りにあるふつうの布に書かれていることが多いので、布であることの違和感はありません。
発色もとても鮮やかでいかにも彼らしい色彩が見事に再現されています。
欲をいえば素材が絹なので、ちょっとばっかり品がよすぎるように感じられることぐらい?
できたらざくっとした綿のほうが感じが出たかも知れませんが、なんといってもエルメスのスカーフですからね!
さすがに銀座の基幹店だけあって5種類のヴィアラのスカーフを見学できました。
この5種類をすべて購入して(一枚約5万円です)額にいれて部屋に飾ったら、そうとう綺麗だなと思いましたがそもそも壁にそんなスペースが沢山あるわけでもないので(予算も!)思っただけなのが残念。
いつの日か高い天井からヴィアラの大きな布の作品がいくつも無造作に吊るされて、大きなガラス窓から木々の梢を通った朝日や夕日があたっているのを眺めていられるような部屋に住みたいと思っているですけど、今のところはそんな場面を想像して楽しむのがせいぜいなところ。
それにしてもこうやって現代美術の作家の作品がCDのジャケットやスカーフや財布などの商品に使われるのはさすがフランスならではですね。
今回はたまたま良く知っているヴィアラの作品だったので目についただけでしょうから、実際には相当の数の現代作家の作品がさまざまな商品になって世の中に存在しているはずです。
(下の写真は草間弥生のかぼちゃと、草間さんデザインのルイ・ビュトンの財布です)
そう考えると現代美術が、いつしか芸術から遠くに離れたアートという名前の商品に成り下がってしまったことを嘆くばかりではなく、本物の芸術もまた商品として世の中によみがえっているケースもたくさんあることがわかって、まだ現代美術だって捨てたものじゃないと、ちょっとばっかり嬉しくなってしまうのです。
もっともこうやって商品になる作品に60年代頃のものが多いのはちょっと気がかりですけど・・・
(下の写真はもちろん?我が家ではありません。こういう美しい家に住みたいものです!)