ノーラ・エフロンは本当に惜しまれる監督でした。良くできたコメデイ映画は実はなかなか少ないのです。 |
映画というのはシンプルである。
現実の世界が複雑怪奇なのに比べると映画の世界は野球場ほどの大きさの場所のどこか一か所だけにスポットライトを当ててそこだけ見せているようなもの。
それはひたすら敵と味方だったり、親子や恋人や友人との関係だったり、会話だけかと思えばアクションだけの場合だってあり、ともかく何もかもが一緒に存在している現実世界と違ってひたすらシンプルなのです。
なんといっても2時間足らずの時間の中に人の一生どころか時空を超えた世界までも描いてしまうのですから省略のしっぱなしです。その中でも一番多いと思われるのが恋だけにスポットライトをあてた、いわゆる恋愛映画というものでしょう。
その恋愛映画というカテゴリーは大きく二つに分けられてしまうのが普通です・・悲劇と喜劇です。
現実の世界ではこの二つはいつも手を取り合って複雑にまじりあっているのですが映画の世界では二人がうまく結びつくものはたいていはコメデイーとして作られます。いわゆるハッピーエンドというやつです。
世の中には存在していないか、あるとしてもよっぽどまれな幸せな世界です。そして悲劇の場合もほとんどありえないような運命に翻弄されてしまうのが常です。
最近では世の中が現実的になりすぎたせいか、もしくは不幸になりすぎているのか、悲劇よりもコメデイのほうが好まれる傾向にあるような気がします。とは言えどちらにしろ映画の中の恋愛は実生活から遠く離れた出来事だと言えそうです。
その中ではフランス映画だけは例外です。より本物の人生に近いと言えましょう。もしかするとフランス人にとって恋愛は空気のように日常に密着しているので、それを夢のような遠い世界の出来事として描くことに抵抗を感じるのかもしれません。
たとえばルイ・マルの映画の中では熱に浮かれたような一夜を過ごした恋人同士が翌朝なんの理由もなく別れてしまいます。
エリックロメールの映画では二人の少女に同時に合う約束をしていた少年がどうするのかと思うとラストシーンでは二人ともすっぽかして逃げてしまうのです。初めてであった二人がずっとしゃべり続けて、結局何事も起こらないまま最後にはお互いに別れてしまう映画さえあります。こりゃいったい何の話なんだと、まるで狐につままれたような気持にさせられる映画が数多くあります。
それにしてもこんなストーリーと言えるものさえない映画を作る感覚がすごい!
僕の一番好きな映画の一つでもある【ロシュフォールの恋人たち】の中にさりげなく挿入されているサイドストーリもフランス人でなくては思いつかないはず。なんせ歌あり踊りありの華やかなミュージカルの中に老いらくの恋に破れ恋人を殺害してしまう老人が登場してしまうのです。
しかもその描き方はまるで日常のなかのちょっとした出来事のようにさりげなく語られます。そこには甘いだけの恋愛映画なんて作らないぞというフランス人の意地?まで感じてしまいます。
そこいくと米国風のハッピーエンドで終わる恋愛コメデイのほうがずっと胸中に入ってくるのでわかりやすくてほっとします。
一口にコメデイといっても日本ではほろっと涙を流させるような場面が入っていることが必須条件のようになっているばかりか、どちらかというとこちらに重点が置かれてしまうことが多く、同じコメデイーといってもずいぶんと重く感じてしまいます。(いわゆる人情ものというやつですね)
個人的な好みからすればできるだけさらっとしていて洒落ているものが好きです。
たとえば【セレンデイピテイ】やマーク・ウオーターズ監督による【フォーチュン・クッキー】や【恋人はゴースト】などはさらっとしていて好きな映画なのですが、なんといってもすべてにお洒落な上に細部まで良くできていてうーんとうなってしまうのがノーラ・エフロンの作品です。
最近の特に日本映画ではやたら説明的なセリフやシーンが多くて、たとえば【人はやっぱり信じられるものだ!】なんてせりふを主人公がつぶやき、さらにそれに同意するかのように自分でうなづいて涙まで流してしまうのですが、ノーラ・エフロンの作品ではそれが逆になります。【人は信じられるものだ!】というのは映画の登場人物がつぶやくなのではなく映画を見た人のほうがつぶやくのです。
それがどんな夢のような話であっても、いやそれが夢のような話であればあるほど、映画を見終わった後に心が温まるような想いを観客に抱かせるのは実は難しいことです。それをさらっとさりげなくやってしまうのがエフロンの素晴らしいところ。
彼女の映画には独立した女性の強さだとか、電話やメールなどの通信手段を小道具に多用するなどの特徴があり、その背景にある社会学的な意味を探るのも面白そうですが、僕がまず感じるのは彼女の映画に対する深い愛情です。
代表作はやはり【めぐり逢えたら】と【YOU‘VE GOT MA@IL】でしょう。
この二つはそれぞれ昔の映画のリメイクであるということ、そして映画の中でも男たちは【ゴッドファーザー】や【特攻大作戦】に夢中になり、女性たちは【めぐり逢い】に夢中です。そこには彼女の映画にたいするリスペクトがさりげなく溢れているのです。
そしてこの映画の成功には【メグ・ライアン】の存在も大きかったとも思われます。
というのも大味なオーストラリア人が主演した【奥様は魔女】(この映画の原題はBEWITCHEDで魅了されるという意味の言葉ですが、魔女(WITCHED)という言葉とかけてあるんですね。
実は僕は【BEWTICHID】というJAZZの曲が大好きでした。もともとはフランクシナトラが映画夜の豹の中で歌った古い曲です。)や料理ブロガーの成功を描いた【ジュリー&ジュリアー】では神経質で理知的すぎる?大女優などが出てくると、お洒落な彼女の映画の特徴がうまく発揮できないように感じられるからです。その点伸び伸びとして楽観的な雰囲気のメグ・ライアンはまさに彼女の映画のはまり役です。
僕が好きなのはエフロンの音楽の使い方です。
特に代表的なこの2作には昔の曲のなかから有名な物や、そうでない物を含めて実に素晴らしいセンスで選曲されています。
その時代の気分や雰囲気をもっともよく伝えるのが音楽だということが実に良くわかっているのです。めぐり逢えたらではスタンダードやミュージカルの王様オスカーハマンシュタイン2世の【A KISS TO BUILD A DREAM】が、YOU‘VE GOT MA@ILではジョニーマーサーの名曲【DREAM】が古き良き時代の雰囲気をとても有効的に醸し出すことに成功しています。
とはいえが僕が一番彼女の映画で好きなのは、この2作に較べるとずっと地味で、またそれほどヒットしなかった【ラッキーナンバー】と言う映画です。
この映画でも底を流れているのもどんな境遇にあっても強く生きるという楽観的な雰囲気です。それがとぼけた味のあるジョントラボルタの個性とマッチして、実に味わい深い映画となっています。
どこまでも地味でせこい話ですけど、その【せこさ】の中になんとも言えない味が醸し出されていて、最後の雪の中の出発シーンなど実に泣かせます。こちらはスタンダードミュージックではなく行き場のない時代の閉鎖感を突き破るような激しいロックをうまく使っています。
エフロンの作品はどこか暖かくそしてお洒落です。そこでは声高にメッセージを叫ばれることはありませんが、それでいてしっかりとそのメッセージが伝わってくるのです。それこそが監督の技量というものでしょう。
そしてそこかしこに挟まれたシーンに映画への深いリスペクトを感じます。ほんとうに映画が好きだったんですね!
正統派のラブコメデイがどんどん少なくなっているような気がするこの頃、こういう才能にあふれた監督がいなくなってしまったことは本当に残念です。