CDトランスポートを交換してはみたものの・・・再び戻すこと。 これだけでどうしてこんなに違うの? |
今回の写真はまたも東慶寺です。このお寺はどの季節に訪れてもなんらかの花がそれとなく咲いているのですが、それがいかにもこれ見よがしではなく自然の野原で咲いているように見えるのがすごいです。
このお寺の静謐感と解放感はどの鎌倉のお寺ともちょっと違って感じるのです。
押しつけがましさのない自然さ。オーデイオでもこんな音が出るとよいのですけど・・・・。
さて一口に良い音と言っても空間のひろがりや音場、エネルギー感、温度感、実在感、音色、さらにはどれだけ正確に再現しているか・・などなどそのファクターは無限に近いほどあります。
それは結局【人の数】ほどあり、どれを重く見るかも人さまざまなので簡単に良いとか悪いとか決めつけるものではありませんが、僕の場合どうしても外せないのが音色です。
中でもヴァイオリン。一度電気を通じてしまうんですから本物と同じ音では再現できるはずはないのですが、要は本物を聞いているような気分にさせてくれる音です。
真面目なオーデイオファンには怒られそうですが、原音再生など望むべきもなく、あくまで【気分】いわばその気にさせてくれればそれでよいのです。
ところがことヴァイオリンの音色となると、これが気持ち良い音で鳴るのはなかなか難しいのです。
どんな立派な装置でオーケストラの存在感が出ても、昔のSP盤で鳴らす電蓄のヴアイオリンの音色のほうが本物に近く感じるという人だっている、というのがなんとなく解ろうというもの。まさにオーデイオに正しい音なんて存在しないんですね?
さて先般も書きましたがCDトランスポートとして使っていたSONYのXA50ESを同じくSONYのSCD-X501に交換したのですが(共にサウンドデザインでCDトランスポートに改造してあるもの)、これが単にCDを読み取ってそのデーターをDAコンバーターに送るだけの機能のだけなのに音が激変してしまうのです。
特に今回の場合その変化の度合いは大きく、それは大げさに言えばスピーカーを交換したほどの違いで、アナログプレヤーのカートリッジ交換以上の変化に感じてしまいます。
CDが出始めの頃、デジタルなのでCDプレヤーでは音は変わらないと言われていたのが嘘のようです。
DAコンバーターで音が変わるのはなんとなく理解できますが、今回のように送り出しだけでこんなにも変わってしまうのには驚くばかりです。
もしかしたらハイレゾだSACDだと騒いでいる場合ではないのではないでしょうか。なんせCDをうまく再生するのでさえこれだけ大変なのです。CDもまだまだ改良の余地は残されているような気がします。
ちなみに今度の501はSACDプレヤーでもあるので、試しにSACDも聞いて見ることにしました。
こちらはデジタル出力ではなく、普通のアナログ出力(という事は501内臓のDAコンバーターを使うことになります)になります。たった一枚持っていたSACDのマーラーの6番を聞いてみたところ、これがなんとも比較するどころではないほどしょぼい音だったのには驚きました。
それは計らずも現在仕様しているDAコンバーターが優れていることを証明することにもなったのです。単純にハイレゾだからSACDだから音が良いということはありえないのですね、やっぱり。
過去にはCDプレヤーなどの送り出しを変えただけでこれだけ音の変化を感じることは無かったので、それだけ他の機材の性能が向上していることがその変化をわかりやすくしていていることが考えられます。
以前デジタルアンプのSD05を借りて聞いていた時ヴァイオリンの音色が気に入らなかったのも、今思うと送り出しに古いケンウッドのCDプレヤーを使ったことに大きな原因があったことが良く理解できます。
信号は上流ほど影響が大きいという先輩諸氏の言葉がここに来てやっと実感できるようになったのかとおもうと我ながら進歩したもんだと思います?
変化というのは驚きもあるので、どう変わろうとはじめは新鮮に聞こえます。そしてその変化をつい良いほうに解釈してしまうのが人間というもの。
X501もそんな感じでした。確かにたいそう輪郭ははっきりとして、抜けるようにクリアーに聞こえます。
特に最新のJAZZピアノトリオなど聞いたときには空に消えて行くようなシンバルの響きとか、ブリリアントなピアノの音とかとっても気持ち良く聞こえます。
あまつさえオーケストラなどでも広がり感は素晴らしく、それぞれの楽器が存在感を持って奇麗に分離するのも快感です。
しかし長く聞いていると、まるで最新のTVの画像のように必要以上に色が強調されギラギラと輝いているように感じてきます。(オーデイオ用語で言うと腰が高いというのかもしれません?)
ともかくばちりと化粧で決めた派手目の女性のようなもので、それはそれで良いのですけどどこかTOO MUCHに感じるのです。
知人からのアドバイスでしばらく聞いていなかったCDプレヤーはともかく電源を入れっぱなしにして落ち着かせることが大事といわれ、数日通電したけっか、このギラギラ感も薄らぎ落ち着いてきたような気がしました。さらに電源コードを色々変えてみたり、電源ボックスを安井式にしてみたりと色々試した結果、バイオリンソナタなどを聞いてみてもこれで良いのではと思わせる音になってきました。一月近くも聞いているので耳も慣れてきたのでしょう。
ところがです。先日ぼーっとしながらヴァイオリンソナタを聞いている時に【やっぱりヴィオリンの音が気に入らない!】と思ったのです。
そこでいてもたっても入られずよっこらしょと元の大柄で重いXA50ESに戻してみました。
(調子が悪いとはいえ、CDを入れた時に読み込まない事が時々あるくらいで、それも数回試すと読み込むようになりその後は音飛びなどもないのでまだ使うことはできる?)
すると音の重心がすーっとさがり、ちょっと渋すぎるくらいに大人しい感じになります。まるでボリュームを絞ったかのようにさえ聞こえます。
そしてやっぱりヴァイオリンの音はこちらの方が好きです。いわゆるCDぽさというのでしょうか、ギラギラ感が薄れてより本物の音を想像しやすいのです
最初は501に較べるとあまり大人しく聞こえるので分解能が落ちたのかとオーケストラなどを聞いてみるとけしてそんな事はないようです。やっぱりこっちだよなーと再びその変化の大きさに驚いたのでした。
もしも僕が室内楽とかヴァイオリンソナタなどが特に好きでなく、最新のロックなどが好きだったらもしかしたら結果は違っていたかも知れません。
また501と50ESのどちらが録音されたものを正確に再生しているかという点についても僕の手に余る問題です。
もしかすると501の方が正確に再現しているのでは・・という気さえします。要は使い古された言葉ですが、音の好みの問題なのでしょう。
しかしこうなってくるとさらに大きな問題も出てきます。調子が悪くなっている50ESが完全に壊れてしまったら、次は501で聞くことになるのか、もしくは他のトランスポートを試してみるのか、まったく未知の世界であるPCオーデイオに行くのか、いずれにせよ乏しい予算の中で格闘悶絶?しなくてはならない事になりそうです。
なんせ聞いてみなくては解らないというのがこの世界ですから。
参考までに、僕がいつも聞いているCDはヘブラーとシェリングのモーツアルトのヴァイオリンソナタ1集、2集(CD4枚)です。同じ曲でハスキル、グルミヨーの演奏やシュナイダーハンとゼーマンのものもありますが、初めて聞いたヘブラーとシェリングの演奏がどうしても一番好きでついこれを聞いてしまいます。
もう一つ良く聞くのはシューベルトのバイオリンとピアノ曲ですが、これは曲の数が少ないので全作品でも2枚のCDでおさまってしまいます。こちらはシモン・ゴールドベルグとルプー、ミッシェル・オクレールとジュヌヴィエーブ・ジョワ、ヨハンナ・マルツイなどの演奏が好きです。
ヴァイオリンとピアノというのは実に相性が良いようで、この二つの楽器がまるで時には光と影のように、時には風と雲のように寄り添い、また絡みあいながら流れて行くのを聴くのはまさに快感というものです。