映画【セレンディピティ】に見る偶然と必然。ラブコメに必要なものとは? |
ピーター・チェルソム監督による【セレンディピティ】は面白い映画でした。
この映画を見ているとまるでノーラ・エフロンの映画を見ているような気がします。
エフロンの【スリープレス イン シアトル】が1993年、こちらは2001年の公開ですから、もちろん真似をしているとすればこちらの方?。
どこが似ているかと言えば主人公二人が西海岸とニューヨークを行き来するときの機内のシーンの撮り方とか、サッチモの歌をはじめ様々なシーンて使われる音楽の使い方、そしてきわめつけはこのセリフです。
フィアンセがいるのに名前も知らない恋する人を探す主人公に、友人がお前どうかしてるぞと詰め寄ると、主人公はこう答えるのです
【ゴッドファザーパート2を見ただろう、もしかしたらパート2のほうがパート1より優れた映画だったかもしれない。でもパート1を見なければその良さは理解できないんだ、僕にとってこの思いはそのゴッドファーザーパート1と同じなんだ】・・このセリフにはおもわずにんまりしてしまいます。
この引用はどう見てもおなじゴッドファーザーのシーンを比喩としてうまく使ったエフロンを思い出させるではないですか!
さてセレンディピティ(serendipity)という聞きなれない難しい言葉は偶然に幸運をつかみとるという、もともとは小説上の造語だそうです。
冒頭の写真のようにこの言葉を店名にしている店までありました。偶然に幸せがやってくるのは誰もが夢に描くことでしょう!
現実の生活においても偶然というのは大きな要素で、最新の科学によれば現在のような地球が生まれ人類が誕生したのも、さまざまな稀に見るような偶然の積み重ねの結果だったそうです。
なるほど人類の存在そのものが偶然なのですから、偶然というのはほんとはずいぶんと大きなファクターなんです。にもかかわらず考えてみるとこれほど実態のわからない言葉もありません。
日常においても偶然は沢山あります。僕の個人的体験をざっと思い出してみても武道館のコンサートでたまたま前の席に知っている人がいたとか、国際線の隣の席が近所の人だったとか、話題にしていた事がすぐその後TVやラジオでもやっていたとか、確率から見るとあまりありそうもない事が多々あります。おもわず【どうして!】と思ってしまいます。
僕の知人は人間にはグループみたいな領域が存在していて、そのグループ内の人とは良く出会ったり好みも一緒だったりするし、そうでないグループの人とはなかなかうまくいかない、という説を唱えていますが、それがなるほどとも思えるほどです??
ありえないような偶然が実は必然だったというのを面白おかしく描いたのがこの映画です。
なるほど恋というのは突発事故のようなものです。その大半は偶然が支配しているはずなのですが【実はそうではないんですよほんとは赤い糸見たいなもので運命の人と固く結びついているんですよ!】という意見もあります。この映画ではこの糸がもつれてもつれて・・でも結局運命の人とつながっていたという顛末が描かれます。
クリスマスの買い物でにぎわうデパートで同じ手袋を手に取ってしまったのがそもその出会い。その後エレベーターのすれ違いから始まり、これでもかというすれ違いを繰り返しながらも偶然が二人を再び結びつけるのです。
この映画の良さは主役のジョン・キューザックとケイト・ベッキンセイルが良いのはもちろんですが、この二人を支える友だち二人、お互いのフィアンセさらに結構重要な役で出てくるデパートの店員(ユージン レヴイ)など脇を固める俳優がまた良いのです。コメデイ映画では特に脇役がその映画の出来不出来を大きく作用するからです。
こういう偶然が少しでも信じられる人と、【信じてはいないけれどそういう事があってもいいんじゃない?】と思っている人にはこの映画はとても面白く感じるはずです。(そう思えない人にはなんというくだらない映画だと思えるでしょう。まさに人さまざま!)
現実世界には絶対ないシチュエーションでも、もしかしてあるかも・・とそれを一瞬でも信じられるような気にさせてくれるのが映画の魔術というものです。
映画によっては見ている最中にこんな事あるわけないじゃん、とつい思ってしまうような作品も多々あります。そう思わせないようにするのが監督の腕というものです。そこいくとこの映画はとてもうまくできていると思います。
古今東西恋愛を主題とした小説、劇、映画、オペラ、あらゆるものがすれ違いによって恋を盛り上げていきます。ロミオが死んでしまったと思ったジュリエット、椿姫では身を引いさまたヴィオレッタを、ラ・ボーエムでは病気のミミを、カルメンではちょっとその気にさせたカルメンなど、すべては行き違いとは知らずに事実を誤認してしまうことがすれ違いを生み、それがさらに恋の炎を燃やすことになります。
ここで出会っていればうまくいくのにという場面で必ず二人はすれ違ってしまうのが正しい恋愛映画の形。この映画でも最初から最後までこれでもかというほどすれ違いが続出します。
そのたびに我々はハラハラドキドキしながら見ているのですが、その気分は絶対安全なローラーコースターに乗っているのと同じです。ハッピーエンドの最後が待っているのですから安心して見ていられます。
クリスマスの買い物から始まったシーンは雪が舞い散るニュヨークの公園のスケート場ではじまり、最後は再び雪降るこの公園でめぐりあうと言う現実にはあり得ないようなまことにロマンチックこの上ない設定になっています。数々の偶然のために合うことが出来なかった二人が、やはり偶然(必然?)からやっと出会うことができたのです。めでたしめでたしです。我々観客も暖かい気持ちになって映画館から出てこようと言うものです。
しかし考えてみるとこの様々な偶然は主人公の二人にとってはまるで奇跡のような幸せな結末を運んできたのですが、主人公たちの元フィアンセ二人にとっては悪夢のような結末を運んできているのです。
しかも最終的に探していた恋する人と出会うきっかけを作るのはこのフィアンセがプレゼントした本なのですからこのフィアンセは可哀そうです。運命とはまことに皮肉なものです。
もし主人公二人にふられたフィアンセ二人を主人公にすればまったく違った悲しい物語となってしまことでしょう。うーん・・そうやって考えると、たかがラブコメデイでも人生は一筋縄ではいかないものだと思ってしまいます。
そのあたりが見る人によってはこの映画の弱点ともいえる部分なのですが、こういうラブコメデイにそんな事を言うのは野暮というものでしょう。
二人の恋の行く末にドキドキしながら最後の出会いにいたるまでの過程を素直に楽しむのがラブコメデイを見るこつというものです。
もし人生に明るい面と暗い面があるとしたら、いつも明るい面ばかりを見るようにしましょう!というのがこの映画のもう一つのメッセージなのかも知れません。
最後にこの映画にでてくるせりふをもう一つ。
【ギリシャの哲学者エピクテトスの言葉にこんなのがあったぞ、向上したければ、たとえ笑われても突き進め!】
面白いだけでなくためにもなる映画です!