県立音楽堂でモデイリアーニ弦楽四重奏団を聞いてみました。 |
思い出してみるとそれはまだ夏の初めころだったと思います。
手帳を見ながらくびをかしげたのでした。某日の欄にいつものなんとか字と判別できるか出来ないかの瀬戸際に見える記号のようなものが書いてあるのです。
これはいったい何なんだろう、書いた本人が検討もつきません。やっと解明すると、どうやらモデイリアニとかたかなで書いてあるように見えるのですが、それが何を意味するか解らないのです。
一番可能性があるのがモデイリアニの展覧会ですが、そんなものがあるという記憶もありません。
散々悩んだ末に判明したのが、僕が好きなクレーメルが神奈川県立音楽堂で公演するのですが、同じく神奈川なんとかフェスとの一貫として来日する弦楽四重奏団の名前でそのチケットの発売日だったのです。
というわけで早々と購入したチケットの公演日が秋も深まる11月になってやっとやってきたと言うわけです。
それにしても最近のクラシックのチケットの発売日は早いです。僕が今持っているのは来年の3月の公演のチケットですが、こんなのはまだ遅い方かもしれません。再来年の3月くらいの公演のチラシが平気で配られているのですから驚きです。
もちろん予定が立つような間際に購入しても良いのですが、通常一番値段の安い席から売れていくので、間際だと高額な値段のチケットしか買えなくなってしまいます。
これだけさまざまな公演が目白押しなのにもかかわらずほとんどの公演の一番安い席だけがあっという間に埋まってしまうのは不思議なくらいです。
さて弦楽四重奏です。あくまで弦楽四重奏は生で聴くに限るというのが僕の信念です?というのは今まで我が家のオーデイオ装置で弦楽四重奏がうまく鳴ったためしがないからです。
これを読んで【なんとかわいそうに、僕の音を聞かせてあげたいもんだ!】とほくそ笑んだマニアの方も多数いらっしゃると思いますが、失礼ながら僕の予想ではたぶんダメです。その最大の理由というのはたぶん僕が弦楽四重奏曲そのものをそれほど好きではないからです?
とは言え遥か昔シューベルトの【死と乙女】が大好きでした。(今ではまったく聞きませんが!)
クラシックに興味を持ち出して初めて行ったコンサートが弦楽四重奏のクロノスカルテットだったというのも不思議です。
それなのに自宅であまり聞かない理由というのが弦楽四重奏曲の激しさにあるような気がするのです。
【そんな!交響曲のほうがよっぽど派手で激しいじゃない!】と思われるでしょうが、弦楽四重奏曲は一心不乱に物事を突き詰めていくような一瞬たりとも気がぬきないような緊張感を感じてしまうのです。
特にCDで聞いているとそれは感情が吹き荒れる嵐のようで、その激しさに僕のような怠惰な人間は聞いているとすっかり疲れてしまうのです。録音されて一度電気信号に変換されてしまうとその激しさというかきつさがさらに強調されてしまう気がします。
そんなわけで自宅ではあまり聞かないのですが、生の演奏となるとここ10年少々前からクラシックを聴きだした初心者にしては意外にも多く聞いているのです。
思い出せるだけでもクロノスから始まり、ボロデイン弦楽四重奏団でボロデインの弦楽四重奏曲、パノハ四重奏団ではドボルザークのアメリカ、ジュリアード弦楽四重奏などです。
中でもジュリアードの演奏による現代音楽、米国のシュラーが作曲した四重奏曲にはとても感動したのを覚えています。
生で弦楽四重奏を聴きたくなる理由というのが、たぶん一度電気を通じて変換されたヴァイオリンの音と生で聴くヴィオリンの音が違って聞こえるからだろうと思います。
生演奏で聞く弦楽四重奏は録音されて電気を使って再生された音よりずっと柔らかく聞こえるためかどうか、胸が苦しくなるような緊張感というよりは包まれるような快感に変わるからです。
特にCDで聞く弦楽四重奏はなんともきつくていけません。【おまえのオーデイオの音はそんなに固いのか?】と思われるでしょうが、我が家で聞いた人は口をそろえて柔らかい音が特徴だと言います。
そんな厳しい音で聞いているわけではないのです。にもかかわらずコンサートに行き最初にバイオリンの音を聴いた瞬間、そのふわっとした暖かい音色に【これだよな!】と懐かしい人にでも再開したようなゆったりした気持になるのですからなんともしょうがありません。
というわけで10月のクレーメルに続いて再び県立音楽堂を訪れることになりました。それにしても同じ10月に行ったミューザ川崎と比べるとその建物やロビーなどのたたずまいがなんとも心地よくほっとします。中身は素晴らしいのに、それ以外の部分をどうしてあんなにせせこましく作ったのか、そして60年も前に建築がいまだにこれだけ素晴らしいのか、そこには時代の違いというよりそこに関わった人の心持が大きく違っていたように感じられます。
ミューザを設計した人があの狭いエントランスやまともなホワイエのスペースさえない会場に音楽を聴きに行くことはたぶんないのでしょう。それはそれで実に幸せなことです。同じコンサートでも聞く会場によってその思い出は随分と変わるのです。
さて今回のモデイリアーニ弦楽四重奏団、どうしてこんなネーミングかと言うと誰にでも見ただけでその画家の個性がわかるモデイリアーニの絵に触発されたからのこと。
もちろん全員フランス人です。この新進の四重奏団はフランスのラジオ番組の目隠し聴き比べでアルバン・ベルグと引き分けたという実力の持ち主だそうですが、今回は
チェロのメンバーが交通事故でこれず代わりの人が入っています。
演奏曲目もモーツアルト、ショスコダービッチ、そしてベートーベンと有名どころをそろえたものでした。
例によって最初の一音が出たときに感じるのは【やられた!この音だよな!】という思いです。なんとも温もりがありながら限りなくクリアーな音色はやっぱり生演奏ならではの快楽の一つです。
全員若くてすらっと背がたかいメンバーの演奏はその見かけのように溌剌として軽々としたものでした。これみよがしのテクニックや激しい感情などよりもむしろ軽快な演奏です。
問題はあまりの気持ちの良さに気がつくと、ふーっと意識を失っていることです。どうして良い音楽を聴くとこんなに眠くなるのか不思議なことです!
とうわけで気持ちの良い生演奏を聞いて音楽堂を出ると暮れるのが早い秋の日はたっぷりと暮れています。電気の点灯した音楽堂は外から見ると大きな窓から中の壁の青や赤がまるで絵画のように浮かんで見えます。それはモデリアーニというよりはモンドリアンの絵のように見えたのでした。