再び楽しい飲茶の話。美味しい煲仔飯(ボウジャイファン)を見つけた! |
ちょうど一年くらい前のことですが飲茶の話を書いたことがあります。今回も同じお店の話です。
前回も書いたと思われますが、行くたびに同じメニューを頼んでしまいます。というのもどうしてもこれだけは食べたいと思うものを頼んでしまうと結局同じものになってしまうからです
実に薄味で上品で鶏のだしが良く聞いたチャーチュー麺はまず外せません。チャーシュー丼にしたこともありますが、美味しいチャーシュ麺を食べさせてくれたコウショウが閉店してしまった今、これほど薄味で上品なチャーシューメン麺を食べさせてくれるお店を他に知らないからです。
いわずもがなですがチャーシューと言っても現代の日本では当たり前になってしまった煮豚のチャーシューではありません。ほんのり五香の香のするしっかり焼き上げた本物のチャーシューです。
(下はそのお店の入り口です)
ほかにも笹の葉でまかれた中華粽も鶏のダシがしっかり効いて実に味わい深いのでこれも外せません。
しかし前回ここで食事していたときお隣の席で常連らしき老夫婦がなにやら美味しそうな物を食べているのを見てしまったのです。
あれは何だろう?とすかさずメニューでチェックしたところご飯類のところにそれを発見しました。飲茶と麺類だけはしっかりメニューを見ていたのですが、ご飯類だけは見落としていたのです。
(こういうお釜にはいって出てきます)
この釜飯のようなもの、香港では一般的にポピュラーな食べ物ですが日本ではあまり見かけない煲仔飯(ボウジャイファン)というもので、鍋に入ってそのまま出てくる姿は日本の釜飯に近い物です。
このお店には3種類あり、魚の塩漬けが載ったもの、鶏のしいたけが載ったもの、豆豉(トウチ)で味付けした排骨が載ったものです。今回はしいたけと鶏としいたけにしてみました。
(したの写真がそれです)
想像したとおりこれが大変に美味しいもので、しっかりと味の染みたごはん(たぶんもち米)がたまりません。こんな美味しい逸品が1000円もしないで食べられるのですからほんとにありがたいものです。
例によって海老餃子(ハカウ)やこの店のオリジナル海老のウエハース巻、チャーシュ麺を食べると小食な人なら二人で食べても目いっぱいお腹がいっぱいになります。
今回は麺が食べたかったので偏ったオーダーになりましたが、本来ならば飲茶類を3、4品、最後にこの煲仔飯(ボウジャイファン)で仕上げればばっちりでしょう。
(下の写真はトウモロコシの皮でまいた餃子とチャーシュ麺、奥に見えるのが海老のウエハース巻きです)
欠かせないのがお湯をさしてもらえば何杯でも飲める【プーアル茶】です。飲茶といえば読んで字のごとしお茶が欠かせないのですが、なんといっても飲茶に合うのはプーアル茶です。
このお茶の代金まで含めてここでの食事はここに書いたようなメニューなら二人で食べても一人2000円を超えるどころかいつも1700円程度と驚くほど安いのに驚きます。いまどきこの値段でここまでお腹いっぱいに本格的でおいしい中華料理を食べられるとはほんとうに助かります。
こういう美味しいものがこんなリーズナブルな値段で食べる事が出来るのもやはり中華街ならではの事でしょう。せっかく中華街に行ったなら立ち食いで中華まんじゅうを食べたり、味の補償の無いヴァイキングなどで無駄にお金を使うのはもったいない事だと思うのでした。
この店は大きくて綺麗な上に本格的な味でこの値段なので週末はいつも混んでいます。それでも開店する11時に行けばほとんど並ぶことことなく入ることが出来ます。
もう一軒ぼくが中華街で何十年も通い続けているお店があります。【新楽】です。
このお店のことも一度書いたことがありますが、こちらはいつも空いていています。来ているお客さんもほとんど常連が多いようで、メニューを見ないで注文する人ばかりです。
学生時代にしょっちゅう通っていた時には特に美味しいともなんとも思っていなかったのですが、社会人になって東京に出てみるとここの美味しさが身に染みて理解できたのです。
若い頃からずっと食べているとその味が知らずに基準となってしまうようで、いわゆる日本風に味付けされた東京の中華料理店の中華はここで食べるものとは明らかに別物なのです。
そのため東京でここのお店の餃子が美味しいとか、ラーメンが美味しいというお店で食べてもどうもしっくりきません。特に最近はやりの濃厚なラーメンなどは苦手です。
(横浜税関の建物)
餃子はこの店のようにむっちりとした皮に肉汁が零れ落ちるほどたっぷりと肉が詰められているものと思っているので、ぱりぱりの薄い皮の羽根つきなどまったくピントはずれで、ましては野菜のペーストのような具が入っている餃子など一口食べただけでがっくりしてしまいます。
この店のただのチャーハン【600円なり】でも東京の街中の中華料理屋とはどこか別物です。なにより具には煮豚でない本物のチャーシューが入っておりシンプルな塩味です。
カリカリに揚っている排骨の載った麺、高菜の炒め物が載った麺、揚げた麺にあんかけのかかっている焼きそば、筍や野菜と豚肉の炒め物の載った麺、本物のチャーシュー麺、などなど僕はしごく当たり前のメニューだと思っていたものが意外にも東京の街の中華やさんでは食べられないことに驚いたものです。
(梅雨時にはときどきこのように美しい夕焼けが見られるときがあります)
と色々書いてきましたが。、例によって食べ物の好みは音楽同様に人によって様々です。餃子の皮はパリパリでないと駄目って言う人だって沢山いるはずです。それはそれで良いことでしょう。
食べ物についてあれほどの名文を沢山残した池波正太郎でさえ、食べ物について書くのは難しいと言っています。
食べ物について考えることは古今東西、恋愛に匹敵するほど難しい事のひとつだったのです。というわけで各自それぞれが運命の采配によって偶然に自分好みのお店を見つけることになるのでしょう。それがハッピーエンドというものです?。
(そろそろ海岸では海の家の準備が始まりました)