石井妙子の【原 節子の真実】 |
もともと昔の日本映画などそれほど興味があったわけではありません。
最近やっとその面白さがわかり何度も見直した小津安二郎の紀子3部作とも呼ばれる【麦秋】【晩春】【東京物語】などで初めて原 節子に出会った程度です。その後、成瀬巳喜男の【めし】や木下恵介の【おじょうさん乾杯】などを見ましたが、品の良い大人しい日本的な女性というイメージでした。
この中では特に【おじょうさん乾杯】が好きな映画だったのですが、この映画だけは他の映画のようなじっと我慢するような大人しい女性ではなく、最後にはプライドを投げ捨てて好きな人の元に走るという溌剌とした役柄でした。
この本の中で原 節子自身が好きな映画として小津の作品ではなく、この【おじょうさん乾杯】を挙げていたことを初めて知って驚きました。彼女がこの映画が好きだと言う理由がこの本を読んで見てわかりました。意外にも彼女は小津安二郎の映画に出てくるようなうじうじした大人しい女性を演じるのは好きではなかったのです!
さてこの【石井妙子】さんの本については以前このブログの2014年4月に【ノンフィクションは面白い!夜の銀座に繰り広げられた僕の知らなかった世界。【おそめ】】という題で書いています。
大仏次郎、川口松太郎、小津安二郎、白州次郎、などの文化人をとりこにしたバーのマダムの生涯を追った優れて面白いドキュメンタリーでした。【おそめ】も5年に渡る綿密な取材によって書かれた本ですが、【原 節子の真実】もまた3年に渡る取材期間に驚くほどの綿密な取材をしながら書かれた力作です。
ちなみに巻末にある参考資料を見るとその綿密な調査ぶりが解ります。その数およそ500件近く、ページにすると21ページがぎっしりと資料として掲載されています。ノンフィクションにはこのように巻末に参考文献があげられていることが多いのですが、これほどの量を見たことはありません。
そもそもそれほど原節子に興味がなかった僕がこの本を手に取った理由は著者が石井妙子だったからなのです。
彼女の本には女性ならではのねばりと根気の良さを感じてしまいます。さらに描く対象に対し感情移入をしないようにつとめて抑制している感じがありますが、これはあえて女性は感情的だという思い込みに対する彼女の姿勢なのだと思われます。他の原節子を描いたものにくらべ、この本ではきわめて冷静かつ客観的に彼女のことが描かれていると言えるでしょう。
原 節子は僕が住んでいる同じ市内に隠れるように住んでいました。その場所は僕の大好きな北鎌倉の東慶寺からもほど遠くない場所だと思われます。14歳で女優になり42歳で引退するまでの28年間に較べ亡くなるまでひっそりと暮らしていたのが50数年間、その年月がどのような意味を持つのかは、この本を読むと少しは想像できるような気がするのです。
彼女には女優としての天賦の才能があったことは間違いありません。しかし一方では大震災や戦争という時代の波がその人生を大きく支配していました。彼女がもっとも美しく輝いていた時代、日本は戦争に明け暮れていたのです。
ナチスドイツと日本の関係をつなぐためにドイツ人の監督が日本にやってきます。ドイツ人に日本人を理解するきっかになる宣伝映画を作るためでした。そのころのドイツ人は日本人に対するイメージなど無いに等しいものだったからです。日本の映画界は当時ベテランだった田中絹代を押したが、沢山の面接の結果このドイツ人監督が選んだのは原節子でした。選ばれた彼女はその時16歳でした。この映画は日独の協定を記念するものとして大々的に宣伝され彼女の名前は一躍日本全土に知れ渡ることになったのです。
この時彼女は舞台挨拶を行います。またこの映画がドイツで公開されるときに渡欧しドイツ各地で舞台挨拶を行い、パリ、ニュヨークを渡って帰国するのですが、それ以降舞台に立って挨拶したことは生涯ありませんでした。
当時はまだ夢だった海外に行くという経験とそこから受けた影響はねたまれる原因ともなります。田中絹代がアメリカから帰って周囲から散々叩かれたように彼女もまた国際女優といってもこの程度のものかと叩かれるようになるのです。この時はまだ17歳なんですけどね!
ノンフィクションを読んでいて面白いのは主人公の事だけでなく、その周りの人物です。
原節子のその女優として人生、いや人生そのもに最初から最後まで徹底的に影響していたといえるのが熊谷久虎です。彼は原節子のすぐ上の姉の亭主なのですが、そもそも彼女を映画に引き込んだのも彼でした。
そしてドイツ洋行の時も一緒なばかりか、その後も映画監督として彼女を使って何本も映画を撮っています。
そのうちの一本を彼女自身は自分の代表作のように語っているのですが、彼の映画が評価されなかったのは我々が彼の名前を聞いたことが無いことでもわかります。そして引退したその後も鎌倉でずっと彼女を守っていたのも彼(と姉)だったのです。
この本を読むと自分のやりたいことをやって一番幸せだったのは、実はこの熊谷さんだったのではないかと思ってしまいます。人間の運命の不思議さを感じないわけにはいきません。原節子は経済的にもしっかりとした人で沢山の土地を購入して老後に備えていました、彼はその一つの伊豆の別荘を自由に使い絵など描いていたそうですから、恵まれた生活をしています。
田中絹代の伝記を読んでいても一番幸せだったのはその家族だったように思えました。なんといっても家族皆の生活すべてを支えたのは田中絹代だったのです。
生まれた時から才能に恵まれた人が必ずしも幸福な人生を送ったわけではないという物語には、僕のような生まれつき才能のない人間にはどこかほっとする部分があるようです。
話が横道にそれましたがノンフィクションには興味深い人物が沢山登場するので飽きる事がありません。
その人たちの運命は小説以上に奇妙だったりするのですから不思議です。
原節子の真実についてはじっくりと書かれたこの本を読んでいただくのが一番ですが、小津安二郎の映画で彼女に親しんだファンはこの本を読むとそのあまりのイメージの違いに驚くこと間違いありません。
原節子について監督の新藤兼人はこう言ったそうです【まるで僕にはライオンのように見えた】
またこの本の作者もまた同じイメージを持ったと書いています。そよぐ風にたてがみをなびかせて一人立つ孤高のライオン。
この本を読むまではなんとも彼女には似合わないイメージだと思っていたのですが読み終わった今では、その描写が相応しいように思えてしまいます。
【おそめ】の時にも書いたのですが、人の人生には時代が大きく作用します。この本を読むと原節子の一生もまさに戦争を含めた激動の時代が大きく作用していたことが良く理解できます。人間を描くと結局はその時代を描くことになってしまう。ノンフィクション本の面白さの一つはここにあるのかも知れません。