【有りがたうさん】と【蜂の巣の子供たち】・・清水宏の二つのロード・ムーヴィー。 |
最近凝っている映画監督が【清水宏】です。小津安二郎、成瀬巳喜男、溝口健二などと同時代に活躍した人ですが、なぜか彼らほど有名にはなりませんでした。僕もつい数年前まで聞いたこともない監督だったのですが【有りがたうさん】を見て、なんて素晴らしい映画なんだ、なんて素晴らしい監督がいたのだろうと深く驚きました。世の中は知らないことばかりで、新しい発見がつぎつぎとあるのも困ったものですが、いかに物を知らなかったかという事でなのであまり威張れることではありません。
この【有りがたうさん】についてはこのブログで2013年の2月にも書いたことがあるのですが、最近見直してみてその凄さに改めて感動しました。この映画が出来たのは1936年、今からなんと80年も昔!のことです。
まず驚くのはその撮り方です。清水宏は人間の目で見た見え方というのが一番自然だと目の高さから見た構図を大事にしていました。脚本については無頓着な監督だったそうですが、こと構図となるとやかましく自分できちんと決めたそうです。この全編移動するバスの中が舞台というオールロケで、これほどの臨場感を出しているのにはびっくりします。正面から運転手の主人公撮るときはフロントグラスが写りこまないようにガラスを取り払ったりしているようですが当時の重くて大きな機材でこんな映像をいったいどうやって撮ったのでしょう。
現代のコンピューターを駆使したカメラワークは無暗に動きまわりすぎる感が否めないのですが、この映画ではバスの正面から、バスの内部、バスの窓からの風景、といったいどこにカメラを置いて撮ったのだろうと不思議に思うほど自然に視点が移動します。
一番すごいのはバスの前に人が歩いているショットがあり、その一瞬の後にはバスの後ろの窓から見たように遠ざかって行く人が見えると言う独創的な撮り方です。まるでバスがその人の上を通り過ぎていってしまったような不思議なショットなのですが、人の横をバスが通り抜けるようなショットに較べて、まるで自分自身がそのバスに載っているような感じを与えるオリジナリテイ溢れる撮り方です。この撮り方を含めて60年代に流行ったロードムーヴィーの手法をこの時点ですでに越えてしまっているのです!
ストーリーはいわゆるグランドホテル形式に近いもので、同じバスに乗り合わせた客と運転手、そして通り過ぎていく人たちとの出会いがモザイクのように組み合わさって行きます。元になるのは運転手と貧困のため売られていく娘との恋物語なのですが、この恋物語の狂言回しとして登場してくる桑野通子演じる流れ者の女が実に良い味わいとなっています。本当は彼女も運転手に好意を持っているのですが、それを隠して娘と運転手の恋がかなう手助けをするのです。若いのに苦労人です。運転手を演じる上原兼のういういしい若者ぶりも印象に残ります。
しかしこの映画でもっとも面白いのはメインのストーリーよりもバスに乗り合わせた乗客たちや通りすがりの人々です。
通りすがりの人々がいちいちバスを止めてはこまごまとした用事を運転手に頼むのですが、その中では道路を作っている韓国人の女性がとても印象に残ります。彼女のお父さんが工事の最中に亡くなったのですが、彼女たちは別の工事現場に移動しなくてはならないので、その供養を運転手に頼むのです。
とはいえこの映画は声を高くして何らかのメーセージを叫ぼうとしているわけではありません。たまたまそういう場面に出会ったという事をドキュメンタリー風に撮っているだけに見えます。そこが清水宏があまり評価されない一つの原因かもしれません。あくまで自然体にさりげなくというのが彼のスタイルなのです。
バスの乗客の身売に行く娘、山道を延々と歩いて次の目的地まで行く旅芸人の娘たち、バスの後ろにただ乗りする中学生たち、さまざまな人たちが登場することによって、その人たちが背負っている生活や時代がスクリーンを通じて自然に浮き上がってきます。
なんといっても僕が好きなのは清水宏がもっているある種類の軽さです。彼は小津や溝口のように脚本を大事にする監督ではありませんでした、むしろ脚本などなくてもその場で感じたままに撮ったほうが良い作品が出来ると信じていたようです。
実はこの朝鮮人労働者たちが登場するシーンも彼が撮影中に突然思いついたもので、もともとの脚本には無かったそうです。
その場の思いつきでこんなに印象的なシーンを撮ってしまうのですから小津安二郎が清水宏を天才と呼んだのももっともなことだと思います。
さて【蜂の巣の子供たち】は【有りがたうさん】より12年後、終戦直後の1948年に撮られた作品です。この時、清水宏は実際に浮浪者たちを集め孤児院のような施設を作っていたのです。その本物の孤児たちを使って撮ったのがこの映画です。
引き上げてきた軍人が駅で出会った浮浪児たちを引き連れて働きながら旅をつづけ最後には自分の故郷でもあった孤児院にみんなでたどり着くという映画ですが、【ありがたうさん】と同じように全編ロケによるロードムービーというのが特徴です。
俳優の演技を嫌った清水はこの映画ではほとんどしーろとを使っています。主人公の引き上げ兵も元は駅の職員だった人だそうです。それが成功しているかどうかはともかく彼の映画がまるでドキュメンタリー映画のように感じられるのは登場人物が演技をしていないからかもしれません。
この映画にも印象的なシーンがあります。孤児たちの一人が病気になります。寝ている彼のところに当時はたいそう貴重なものだった牛乳を届けにいった少年に病気の彼が頼みます。【その牛乳飲んでいいから、僕を山の上まで連れて行ってくれないか、そこまで行けば海が見える、海を見れば僕の病気はきっと治る】少年はことわるのですが、あまり熱心に頼むので引き受けることにします。
病気の少年が両親と別れてしまったのは海だったのです。とはいえその山はそうとう立派な山です。
僕だってはあはあ言いながら登らなくてはならないような急な山道を、まだ小学生くらいの子供が同じような体格の子供を背負って必死に登るのです。それはなかなか手に汗を握るような場面になっていました。そして海の見える山の頂上にたどり着いた時その病気の少年はすでに息絶えていたのです。
これを撮影するときにカメラも登る少年と移動しながら動いていくのですが、山道なのでレールを引くこともできずベニヤ板をつぎつぎに下に敷いて、その上に載せたカメラを動かして行くという大変な撮影だったそうです。この撮影はカメラマンやスタッフはもとより登場する少年たちも総出で手伝ったそうですが、その熱気が伝わってきます。
続けてこの2本を見ると12年の間があるはずなのに逆に【有りがたうさん】のほうが新しい映画のように感じてしまいます。
その理由としてありがたうさんはデジタルリマスター版で見たので音声や画面がはっきりしていたことがあるのかもしれません。ちなみにこの2本の映画はほとんどオールロケに近かったので当時の技術では同時に録音できず、後でスタジオでアフレコでセリフをかぶせています。
そのためかどうかセリフがなんだか本を棒読みしているように感じられることもありそれが映画の評価を下げたとも言われていますが、今みるとそれが何とも朴訥として雰囲気を感じさせるのですから面白いものです。
【有りがたうさん】が一井の人々とその住む世界を描いているのに対し、ハチの巣のほうは子供の世界です。そのためかどうか僕には映画の出来そのものも【有りがたうさん】のほうが数倍優れた作品のように感じられます。
いずれにしろこのロードムーヴィーの傑作2本が現代ではあまり評価されていないのは大変に勿体ないことだと思うのです。