ボブ・デイランがノーベル賞なんてびっくりした。 |
ボブ・デイランとは長いお付き合いの気がします。彼のコンサートには一度だけ1986年の武道館に行きました。
いまでも残念なのは2階席の一番前という素晴らしい席にもかかわらず疲れていたのか、その演奏の間ほとんど寝てしまったということです。もちろんその間夢の中でデイランの音楽はなり続けていたのですが、思えば彼の歌というのは僕の今までの人生の中で、いつもどこか夢のなかのように遠くで鳴り続けていたような気がするのです。最近ではダイアナ・クラールがデイランの曲ウオールフラワーをタイトルにした素敵なアルバムを良く聞いていました。
アメリカのミュージックシーンを見ると寿命が長いのにびっくりします。その筆頭はなんといってもトニーベネットでしょう。85歳でニューアルバムを出しているんですからすごい。
カントリーの大御所ウイリーネルソンも80歳を超えているのに昨年は立て続けに2枚のニューアルバムを出していますし、それよりも若い60年代に活躍した1940年代生まれの歌手には(ということは67歳から76歳)特にいまでもニューアルバムを出し続つづけている人がたくさんいます。
たとえばサイモンとガーファンクルのポール・サイモン(1941年)キャロル・キング(1942年)ニール・ヤング(1945年)、ジェームステイラー(1948)、ジョン・フォガテイ(1945)などなどです。そしてもちろんボブ・デイラン(1941年)もその中の一人です。
つい最近聞いた2枚のアルバムはともに門外漢の二人がアメリカ音楽の原点の一つといえるジャズのスタンダードナンバーを取り上げているという興味深いものでした。
一つはブライアン・ウイルソン(1942年)がガーシュインの曲ばかりを歌った(リマジンズ ガーシュイン)もう一つがボブ・デイラン(1942年)がフランク・シナトラが歌ったスタンダードナンバーを歌った(シャドウズ イン ザ ナイト)です。
この二人の天才がJAZZスタンダードを取り上げたらどんな風になるのだろうと興味深々で聞いてい見るとさすがに想像以上に個性的なものでした。フルバンドで伴奏されることの多いスタンダードミュージックなのですがこの二人の手にかかるとそれはまったく違うジャンルの曲のように聞こえます。
というよりはブライアン・ウイルソンの曲、またはボブ・デイランの曲のように聞こえるのです。ウイルソンの手にかかればガーシュインの名曲もまるでビーチボーイズのようにポップに聞こえて思わず微笑んでしまいますし、デイランにいたってはわざと渋い小編成のバンド、しかもステイールギターが使われているのでまるでカントリーソングのように聞こえてしまいます。さすがボブデイランです。これのどこがフランク・シナトラなんだ!と相変わらずの彼の偏屈ぶりに感心したのでした。
僕がボブデイランの歌を初めて聞いたのは学生時代の頃でした。しかしボブ・デイランの曲により親しんだのは彼が歌ったものではなく他の歌手が歌ったものでした。
当時の僕の感想はボブ・デイランの歌は他の歌手が歌った方がずっと良いというものでした。(何と言っても彼が歌うと肝心のメロデイさえよく解らないのですから!)特にピーター・ポール&マリーが美しいコーラスで歌った彼の曲はひときわ魅力的に聞こえたのです。
今から50年くらい前の話です。その時だれかがいずれボブ・デイランがノーベル文学賞を取ると言ったらアホ扱いにされたことでしょう!
その頃はまだ和製フォーク(死語)と言うものは存在せず、若者が聴く音楽はほとんどが洋楽(死語?)しかありませんでした。それから何年もたってまるで彼のようにハーモニカを加えギターをかきならし自作の歌を歌う日本人歌手が登場してきたのですが、それは当時の僕たちにはまったくボブ・デイランのコピーのようにしか見えませんでした。
というわけで別の人が歌うボブデイランの曲のほうにより親しんでいたのですが、彼のアルバムの中で一番良く聞いたのが【セルフ・ポートレイト】というアルバムです。このアルバムは一風変わっていて他人の曲ばかりをまるで普通の歌手のように歌っていて【なんだデイランも普通に歌えるじゃん!】と驚いたのを覚えています。これはカントリーやブルーグラスなど伝統的なアメリカンミュージックを彼なりに再現したアルバムだったのだと思います。カントリーサウンドが好きな僕には聴きやすいアルバムでした。
そして次にボブ・デイランと出会ったのが【ザ バンド】を通じてでした。特にマーチン・スコセッシ監督の映画【ラストワルツ】は強烈な印象でした。ボブ・デイランの曲を歌ってヒットしたバンドには【バーズ】もありこちらもクリアレンス・ホワイトのギターが好きだったので良く聞きました。
ザ・バンドは当初ボブ・デイランのバックバンドでした。僕がボブデイランの曲の中で一番親しんだのがこのザ バンドの解散コンサートの最後にも歌われた【I shall be Released】です。
この曲の歌詞も理解しがたい不思議なものです。デビュー当時のデイランは時代の波に乗ってプロテストソング的な歌詞が多かったのですが、本人が僕は基本的には【愛の歌】しか歌わない。と言っていたように一つの分野には収まりきらない本来の意味の詩人でした。
彼の詩の特徴はうまく韻を踏んでいるので、英語の意味がまったく解らなくても音としてとても耳に心地よい事です。あまりにも詩の内容が魅力的だったのでデイランの詩を日本語訳した本まで買い込んだほどでした。
ボブ・デイランはいつの時代にも時代の最先端を行きながらも、その時代の主流になりそうになるとそれを拒否して新しい世界に飛び込んでいっているように見えます。
アコーステックギターを使ったフォークソングや戦争反対のメッセージソングを作りだした張本人でいながら、ウッドストックではエレキギターを持ち込み聴衆の反感を買ったり、(これはもはや伝説となっていますがその時の映像を今見るとそれほどひどいブーイングを受けているようにも見えません。とはいえいきなりエレキギターを持ち込まれたら従来からのフォークファンはとても戸惑ったことは事実だと思います)、もうプロテストソングは作らないと宣言したり、自宅でバイク事故を起こして負傷し再起不能かと騒がれたりと誰もが予想しないような行動で人々を驚かせてきました。
多くのミュージシャンが彼が作った歌を歌うのはその歌が素晴らしいからです。特に甘い言葉だらけだったポピュラー音楽の世界に哲学といえるような難しい詩を載せたのは彼が初めてでした。
その詩人としての実力と貢献度はすごいものなので、あながちノーベル文学賞が的外れとは思えないのです。
とはいえ彼はつねに自分の置かれた状況からまるで【転がる石のように】逃げているようにも見えます。デビュー当時のまるで放浪者のような小汚い風体も本当はある程度良い家のお坊ちゃんから逃げ出すための意図的なポーズだったとも言われています。
今回のノーベル賞も協会の連絡から逃げ回っているようですが、実はこれも彼特有のポーズで、そのうちわざわざ真っ白なモーニングとシルクハットに身を包んでこれまた純白のロールスロイスで授賞式に乗りつけるような気がします?なぜってたぶん彼はいまでも反抗心いっぱいの若者のはずだからです。【FOR EVER YOUNG】!!