里はまだ色つくにはちと早い。六国見山や散在ヶ池など鎌倉の山道を散歩したこと。 |
(上は今泉不動の入り口にある6地蔵)
最近落語のCDを良く聞きます。とっかかりは立川志の輔の新作落語、これが滅法面白くてはまりました。TVでガッテンばかり見ている人にはただのしょうもないおじさんにしか見ませんが落語を聴くと別人のようで、TVでわざとイメージダウンを図っているように見えるほど。しかし志の輔のCDは残念ながらあまり数が多くありません。たまたま聞いたのが桂米朝、落語と寿司は江戸前に限る上方落語なんて・・・と思っていた先入観が見事にひっくり返りました。なんといっても上品で聴きやすい。無理に笑わそうとするような嫌味が皆無な上に声がいい。すんなりと耳に入って入ってきて情景がありありと目の前に浮かびます。立体的というか奥行があるというかその場の雰囲気がありありと伝わってくるのです。うまい人の話というのは何人もの登場人物がほんとうにそこにいるようでとても一人の人が演じているとは思えません。米朝のCDは沢山あるので、20数枚のCDをすっかり聞きました。クラシックのアルバムでは一人の演奏者のアルバムを聞き続けてもせいぜ数枚ですが、落語の場合曲目(演目)が違うので飽きずにすらすらと聞けてしまうのです。
江戸前?の落語家では圓生が好きです。こちらも声が良くて品が良くていわゆる押しつけがましさというのがありません。最近の芸人はわざとらしい芸をこれみよがしに見せてそれがまたうけるようですが、どうもそういうのはいけません。最近聞いたのがその圓生の演じた【紫檀楼 古喜】という江戸時代の狂歌師を題材にした話です。元は大旦那だった主人公ですが、あまりの風流人なので家業を失い今ではしがないキセルの掃除をしています。この主人公もそうですが、狂歌というのは相当に有名な人であっても遊びの歌ですから、それだけでは食べて行くことは出来ないようです。囲われ者の粋な女主人とがさつな女中との掛け合いの軽妙さが面白くて僕はこういうこれといって劇的な展開の無いストーリーの話が大好きです。(下は白山神社)
なるほど江戸時代には【狂歌】が流行ったんだなと言うこの話を聞いた数日後に出会ったのが今回の鎌倉散歩で見つけた天 広丸(あまの ひろまる)という狂歌師の石碑でした。彼はこの辺りの家の出身だそうで、その後江戸へでて活躍したそうです。白山神社の前に立っているこの石碑には【くむ酒はこれ風流の眼なり 月を見るにも花をみるにも】と書いてあるのですが、同じ作者でも【心あらば手向けてくれよ酒と水 銭ある人 銭のない人】というやつのほうが狂歌らしい気がします。広丸の【くむ酒は・・】という同じ歌の石碑が東京の向島にある隅田川七福神の一つ白髭神社にもあるそうで、こちらはずいぶんと賑やかな場所ですが、一方鎌倉今泉の白山神社はあまり訪れる人もいないひっそりとした場所です。あまりにも対照的な二つの場所に同じ歌の石碑がたっているというのもいかにも【狂歌】らしいことかも知れません。
さて今回の散歩【ハイキングと呼ぶにはあまりにのんびり行程なので!】はジムの仲間でいつも案内してくれるKさんとの4月の衣張山ハイキングに続くものです。例によってすべてのスケジュールはKさんが建ててくれるのでいつも僕はただ行くだけという楽をさせてもらっています。今回の目的は六国見山(ろっこくけんざん)です。ここいら辺りは鎌倉の中でもあまり人が行かないところで、沢山の人でにぎわう円覚寺の裏から尾根続きでつながっている山の一つで、いわば鎌倉でも裏側のほうになります。
六国見山という名前の通り相模から伊豆まで6つの国を目下に眺めるという見晴らしの良いところです。大船駅からバスで大船高校前で降り、住宅地の中をしばらく行くと六国見山の入口の看板があります。(下の写真)
この入口から山道のかなりの勾配の坂を登っていくとあっと言う間に展望台までつきます。というのもバスに乗ってかなり登ってきているからでバスに乗らずに下からずっと歩いて上ってきたらかなりきついはずです。この展望台はなるほど見晴らしの良いところで左側には海が広がり右手を見れば町並み、江の島も頭だけ顔をだし晴れた日には富士山はもちろん伊豆大島まで見えるそうです。この日は晴れていたのですが富士山までは見えませんでした。さらに反対側を見れば横浜みなとみらいのランドマークタワーも見えます。
この展望台を少し下ると稚児の墓と呼ばれている古いお墓のようなものがあります。伝説によると鳶にさらわれた染屋時忠の娘がここで発見され、それを弔うためこの石碑を建てたのことです。
さらに少し下ると道の脇に妙な標識のようなものがあります。素材はブロックのようなものなのでそこそこ新しい物のはず。そこには六国見山の名前とイースーチー(1、4、7)の3つの麻雀の牌の絵が描かれています。なぜそんなものが書かれているのかまったく意味がわかりません。首をひねっているとたまたま通りかかった地元の人らしき方が教えてくれました。そのイースーチーピンの牌はこの場所の標高を表しているそうで、ちょうどその場所は海抜147メートルなのだそうです。それにしてもその標高をなぜ麻雀のパイにしてあるのか?世の中はやっぱり不思議な人であふれているようです。
そのブロックの置かれているところは今では辺りが木々に覆われ何も見えませんが、かつては頂上だった場所だそうです。現在見晴らし台のある場所は地元の方々が見晴らしの良い場所を作るため土をもって作ったそうで、なんだか地元の山の高さが数メートル足らず丘として地図に載りそうになったとき、地元の村の住人が総出で土を盛り山にしてしまったという映画【ウエールズの山】を思わず思い出してしまいました。
この六国見山のハイキングコースは普通はこのまま尾根伝いを歩き明月院まで出るのが一般的ですが、我々は住宅地を抜けて散在ヶ池に向かいます。鎌倉のハイキングコースは山の中を歩いていたと思ったらすぐ立派な住宅地に出るのが特徴で、いかに不動産業者が熱心に開発をしたのかが良くしのばれます。山を下り住宅地を抜けて最初の目的地が白山神社です。その前にある石碑が冒頭の天広丸のものです。
このあたり交通の便が悪いのでいわゆる鎌倉の人気観光地には含まれていないようで、いつも人が少なく静かです。もともとは毘沙門堂という頼朝が武神を祭ったお寺だったのですが明治政府の廃仏毀釈政策により神社に名前を変えられてしまいました。時の政府が宗教と結びつくとどのような結果になるものか、現在の日本の宗教がいまだに混乱しているのを見るとその影響の大きさが良くわかります。
毘沙門天のお使いはムカデだと言われており、ここには百足大注連縄(むかでおおしめなわ)祭」が伝っています。氏子(檀家)衆が毎年新しい稲藁(わら)で百足を模した大注連を作り、境内入り口に張って、地域の無事と豊穣を祈願するものだそうです。(下の写真がそのしめ縄)
このすぐそばの深いに谷の中に今泉不動こと称名寺があります。あたりを山に囲まれたこの場所はとても都会にあるとは思えないほど深山の雰囲気があり境内には滝もあります。(下の写真)
ここから人気のない小さなせせらぎのある遊歩道をしばらく登って行くと、こちらもひっそりとした【散在ヶ池】に出ます。池の入口にはまずまむしに注意とまむしに噛まれた時の対応が書いた看板が出迎えてくれます。確かに鬱蒼とした風景はまむしがいそうな場所ではあります。この池の周りをぐるりと回ったのですが結構なアップダウンのある山道でした。(遊歩道の写真です)
この付近は鎌倉駅のほうからは山超えをしてこなければならず大船のほうからきてもかなり奥まった場所なのでいつきても静かなのがなかなか良いと思っていたのですが、帰りのバスに乗って驚きました。池の下からバスに乗ってあたりをぐるっと回って見ればこの周りは今泉台といって立派な家が立ち並ぶ大きな住宅地だったのです。だらだらと歩いたり休んだりしたりしながらの散歩は駅前のミスドでドーナッツとコーヒーを飲んで無事終了したのでした。10月の末とはいえまだ薄っらと汗をかくほどの穏やかなお天気の一日でした。
(下は静かな散在ケ池)