落語は楽しい。前半と後半ががらっと変わるお話・・なんで?【唐茄子屋政談】と【一文笛】 |
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2017年 04月 11日
上の写真は先週行われた芝の増上寺の御忌大会(ぎょきだいえ)です。さすが徳川が保護した浄土宗の行事で、ものすごく豪華絢爛です。僧侶から稚児さんまで300名近くが行列して入場する様子はまるで昔のスペクタクル映画を見ているようです。現代でもこんな大きな仏教の行事が東京の真ん中でごく普通に行われているのには驚きます。 最近暇さえあれば落語を聞いていることが多いのですが、中でも聞いていて楽しいのがなんだかあまりストーリーが無い話です。もちろんストーリーがしっかりしている話は聞きごたえがあり面白いのですが、なんでもないのんびりとした日常の風景が目の前に浮かんでくるような話が好きなのです。 ところが前半はのんびりした雰囲気の話なのですが、それが後半になるといきなり劇的な人情噺に変わってしまうので驚くことがあります。 僕としてはこの前半のとぼけてのんびりした雰囲気が好きなので前半だけで充分と思ってしまいます。以下の二つの話がその代表と思われます。 【唐茄子屋政談】は例によって吉原通いがたたって親に勘当されたしょうもない若旦那が主人公です。 勘当されても花魁が面倒みてくれると思い込んでいたのに結局はお金の切れ目が縁の切れ目、もともと根性もないので結局は疲れ切って橋から身を投げようとします。 落語の場合はたいていここで誰かが通りかかって助けてくれ、それから心を入れ替えて船頭の見習いをしたりして再起の道を辿っていくのですが、この話の若旦那はそこまで根性があるようには見えません。おじさんに助けられ仕方なしに唐茄子を売りにやらされます。 夏の暑い炎天下思い唐茄子(かぼちゃ)を担いでよろよろと街に出て行きます。軟弱な若旦那ですから重い唐茄子に足をとられて転んでしまいます。 そこに通りかかったのが威勢の良い近所のお兄ちゃん、困っている若旦那を助けて通りかかる人や知人に無理やりにでも唐茄子を売りつけます。このお兄ちゃんのきっぷの良さと人の良さがこの話の面白さの一つで、このお兄ちゃんの下りが聞きたくてもう一度話をききたくなるほどです。 それにくらべて若旦那ののんびりとしたこと、その後残りたった二つとなった唐茄子をかついで売り声の練習をしたりしています。 歩いているうちに吉原の見える場所までくると昔の事を思い出して歌など歌ってほくそえんだりしています。まったく緊迫感のない夏の日の午後の場景が頭に浮かんできます。 普通はここでなんの下げもなく終わってしまうことが多いので、そういう話かと納得して好きな話としてしまっておいたのですが、題に政談とついているのがどうもおかしい。この政談というのは裁判が出てくる話なのです。いわゆる名奉行によるお裁きというわけです。 そこで完全版を聞いて見ると後半若旦那が貧乏長屋を通りかかるところから一転して劇的な人情噺に変わってしまいます。若旦那だって妙に正義感の強い立派な男に変身してしまいます。あのしょうもない若旦那はどこにいったの?そっとしといてくれればいいのにと思っても後の祭りです。 もう一つは【一文笛】というお話、こちらは腕の良いスリが主人公です。前半はお見事といいたいような粋な盗みのお話。 舞台は天王寺さんの前のお茶やで始まります。お参り前に一休みしている初老の男の横に1人の若い男が寄ってきます。その男は旦那の煙草入れは実は自分のものだと言うのです。 おどろいた初老の男が訳を尋ねると、実は旦那の財布を仲間が狙って後をつけていたがどうにも隙がなくてあきらめた、その権利を別の仲間が買って後をつけたがやはり隙が見つからず断念、それなら自分がと名乗りを上げて盗む権利を買ったというのです。 スリ仲間では良くある話でお互い自分の腕を仲間に示したいための競い合いなのだそうです。自分に譲ってもらえれば盗んだと言って顔がたつのでぜひ譲ってくださいとの話です。 隙がないと言われて気をよくし、おまけに良い値段までつけられて旦那さんはほくほく顔で売ってあげます。相手がお茶代も払ってくれて去って行ったのち、ああいい気もちだ、そろそろ行くかと席を立ち懐に手を入れると【ああ!財布がない!】 今までの話はすべて安心させてスリ取るためのものだったのです。なんとも見事な腕前、敵をいい気持にして奪い取るなんてたいしたものです。 主人公がその話をしてすっかり自慢していると、そこにやってきたのが堅気になった兄貴分。それから話が急展開しすっかり悲劇の様相になってきます。 主人公は回心してもう金輪際スリはしませんと指を3本きりおとしてしまいます。壮絶!!ところがその後、もとはと言えば彼が起こした悲劇の後始末をするためにもう一度スリの腕を振るうのです。 とここまでは息を飲むような緊迫した展開が続く後半ですが、オチがふざけています。見事な腕を披露した主人公に兄貴分が【それにしてもおまえ、指を切り落としたのに見事な腕だな!】と驚くとその答えが【実はあっしはぎっちょだったんで!】結局はとぼけたやつでした。 だいたい落語にはそんなに悪い奴というのは出てこないのですが、この二つの話の後半には憎たらしい大家が登場します。そういえば【大工調べ】にも大工の命のはずの道具を家賃の方に取り上げてしまういじの悪い大家が登場します。 政談と名のつく裁判劇は名奉行が悪い奴を懲らしめるという場面があるので、憎き悪役が登場しないと話そのものが成り立たないからでしょう。何も劇的な事は起きない前半には悪人は登場しません。 こうやってのんびりした前半があるからこそ後半が生きると言う人もいるでしょうが、こういう良い人とも悪い人ともいえないような、ある意味間の抜けた人たちが登場する前半を聞いているとなんとも和やかな気持ちになれるのです。 あまつさえ前半だけでいいから後半は別にやってくれ!などと言いたくなってしまいます。ナンセンスというジャンルはいつも理屈のある面白さにとってかわられるのが残念です。 音楽にもさまざまな好みがあるように落語にも好き好きがあるようで、僕の場合はきちんとしたストーリーのあるドラマチックなものよりあまりたいした事が起こらない話が好きなようです。(【軒付け】なんて最高です!聴くたびにうなぎ茶漬けが食べたくなりますから?) 唐茄子やは前半だけ語られることが多いのですが、その理由は単純に時間がかかるためだけで、一文笛は一気語られることになっているようです。 それにしてもこの物語の激変ぶりにはすごいものがあります。 オペラブッファ見てたら、いつのまにかオペラセリエになっていたくらいの違いなのですから、どうしてそんなに激変するのかおもわず誰かに尋ねたくなってしまいます。 この二つの落語どちらも好きなお話です。
by omoshiro-zukin
| 2017-04-11 00:01
| おもしろ本
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