大雄山最乗寺と小田原の静閑邸を尋ねる~夏休みだって空いているところに行きたい!(その2) |
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2017年 08月 16日
この星の名前のついた道しるべ星宿燈(せいしゅくとう)にはもうひとつ興味深いことがあります。 星宿燈は二十八宿をセットに江戸時代末期と明治40年の2度に渡って建てられたものなのですが、この明治40年にこの星宿燈を建てたのはなんと東京の名高い遊郭、吉原の人たちだったのです。 なぜ浅草の吉原のひとたちがこんな遠い場所に寄進したのかという理由は正確にはわかりませんが、吉原には導了尊の信仰があり、以前から大雄山への参拝を行っていたようです。 (下の写真は静閑邸の2回からの風景、遠くに海が見えます) これを寄進したのは楼主と引手茶屋がほとんどですが、大見世と格付けされた店はなく、一番大きな店でも中堅どころというのも興味深いことです。また刻まれている名前の中には楼主のほかにも幇間の名前もあります。 身分のわからない名前の中には料理屋の人や芸姑などの一般の人たちもまじっていたことが推測されるのです。 表は華やかな吉原でしたが、実際には苦界と呼ばれるほど厳しい世界だったのですから、その裏にあった苦しみを皆で支え合っていたことでしょう。 その気持ちが吉原からこんな遠い場所に、しかも星座の名前のついた星宿燈(せいしゅくとう)として残っているとは、なんだかちょっと考えさせられるものがあったのでした。 さて大雄山からさほど遠くない小田原ですが、ここは神奈川県民にとっても観光地としては微妙なところです。 箱根のふもとという感覚はあってもわざわざ小田原だけを訪ねるということはあまりないはずだからです。 昔は箱根超えの拠点として大いに賑わっていたのは、落語の【ぬけ雀】の宿屋の舞台になったり、【小間物屋政談】では箱根でおいはぎに合い身ぐるみはがされた後、親切な主人公に助けられてやっと辿りついて滞在する宿として登場したりすることでよくわかります。 いまではどちらかというとひっそりとした雰囲気を持つ街なのですが、実は意外にも見どころが沢山あるのです。 といっても実は先日【小田原文学館】というのを訪ねてみてその良さが解ったのです。ここは昔田中光顕の別邸だった洋館でなんといっても訪れる人が少なくひっそりとしていて実に良い雰囲気なのです。 これ以外にも山縣有朋の別邸だった古希庵、松永安左衛門が晩年住んだ松坂記念館、黒田長政の別邸 静閑邸など古い屋敷後が公開されています。 小田原は明治時代には風光明媚な東京の奥座敷としてこのような有名人がたくさん別宅を構えていたのです。 (下は小田原文学館の建物) 今回はその中から静閑邸に行くことにしました。おりしもお天気の良い夏休み中の日曜日ということもあり小田原城の脇にあるパーキングはかなり混雑していました。ここは市営のためか1日500円と割安です。しかも偶然停めたこのパーキングから静閑邸までは歩いて数分だったのです。 蝉の声を聞きながらゆるい坂を少しのぼると、あまり目立たない和風の建物が目にはいります。 混雑している小田原城とはちがって休日とは思えないほどひっそりしています。 (2階は風が吹き抜けて気持ち良いですよ!)との係の人の声を聞きながら急な階段を上って2階に上がると思わず驚きました。何という見晴らしの良さでしょう。(残念ながら僕の写真ではその見晴らしの良さはよくわかりません。) 不思議なことに少ししか坂を登ってこなかったはずなのにここはまるで山頂です。 あけはなたれた窓から目に入るのは、庭の松と芝生ごしに眼下に広がる住宅地、その先には夏の日差しに青々と光る海原が見えます。 右手の方には箱根の山がそのまま海に入り込んでいて、海からは白い雲が湧き出て霧のように尾根を登っていきます。 遠くに通る湘南道路から遥かに聞こえる車の音は煩く鳴く蝉の声に埋もれて、後はまるで山の中のような静けさです。 ちょうど良い塩梅に海に向かって椅子が置いてあり、この椅子に座って遠くの風景を見下ろしていると海からふいてくる高原のように涼しい風が顔にあたり、まるで極楽気分です。 不思議なのは日曜日なのに訪れる人が少ないようで、だれもいない2階の椅子でここちよい風に吹かれながらゆっくりとした時間を過ごせたのです。 (下は静閑邸の中の喫茶室) この建物の1階の一部は喫茶店になっており、2階でゆっくりした後ここでお茶を飲んだのですが、その時もお客さんは二組だけでした。 お茶をのんだ後もう一度2階にあがり涼しい風を楽しんだりしていたら、結局3時間近くもここで過ごしたことになってしまいました。相変わらずのぐーたらぶりです。 別に何をしていたというわけでも無くひたすらのんびりとしただけですが、こうやってゆっくり出来る場所があるというのは、実にすばらしいことだと思った晴れた暑い夏の日の午後でした。 なるほど小田原は思ったより奥が深い。今度はまだ行っていない古希庵などにも足を運んでみようと思いました。 (小田原城を模した最中に自分であんこを挟んで食べます。)
by omoshiro-zukin
| 2017-08-16 20:51
| おもしろ旅
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