ブラッスリーレカンで食事して東博に中尊寺金色堂を見に行ったらあまりの人の多さに逃げ帰り、場所を変えて(中平卓馬)を見たこと。(続き) |
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2024年 03月 19日
またまた食べ物の話に戻って恐縮ですが、ここを訪れる時にセットになっていたのが学士会館でのランチでした。 (下が学士会館の風格ある建物) ところが値段もお手軽で雰囲気の良かったここのレストラン(ラタン)が残念なことに昨年秋に突然閉店してしまったのです。 とても趣のある建物だったのですが再開発で大型ビルになるためです。この建物はそのまま移動して残されることになるそうですが?果たしてどんなことになるのやら。 この近代美術館にも例によって高級なレストランは入っているのですが気楽に入れるカフェはありません。日本の美術館が欧米の美術館と大きく違う点です。 (下は閉店してしまったラタンの落ち着いた雰囲気の店内、とても残念) これだけ日本でもカフェ文化が普及してきたのに未だに公営の美術館のほとんどにカフェがないのです。 美術館はかしこまって行く高級な場所という考えが未だに残っているからでしょう。 近代美術館は古い建物なので空間に余裕があり落ち着きます。 カフェはありませんが(眺めの良い部屋)としてお堀を見下ろせるガラス張りの部屋に椅子が置いてあるのがとても良い。ここはとてもお気にいりの場所です。 (下は今回の特別展の中原琢馬の作品) 自宅からは一番近い横浜美術館はまさにその典型で見栄えだけは良いのですが外見重視の建築に見えます。入ると居心地の悪いこと! そもそも設計者がここに来る人のことなど何にも考えていなかったことがよくわかります。 建物が立派であれば良いのです、当然気楽にくつろげるカフェなどありません。 (下は近代美術館の眺めの良い部屋からの風景) それに比べて坂倉準三の設計した鎌倉の美術館のなんと居心地の良かったことか! こんな歴史のある(近美より1年早い1951年に誕生しています、現在の近代美術館の建物は60年代に新しく建てられ移築されたものです)素晴らしい美術館に限ってなぜかクローズしてしてしまうのです。 横浜美術館はしばらく休館しており、リノベーションを終えてそろそろオープンするのですが果たしてどう変わっているものやら? さて場所を移動して写真展(中原琢馬 火〜氾濫)を見に行きます。写真展というのは割と好きなのです。 写真も絵画と同じく写真集で見るものと展覧会場で見るものとは随分印象が違うので、やはり本物を見る意味があるというものです。 興味深いことは写真展を見るとカラーよりもモノクロの写真の方が好ましくかつ印象に残ることが多いことです。 僕が今まで見た中でも記憶に残る写真展はロバートフランクの(アメリカ)ですが、他にもドアノーやぶれっそんなど好きな作品は全てモノクロでした。 さて(中原琢馬 火〜氾濫)ですが、そのタイトルから想像するような強烈な印象を与えてくれるものではなく、むしろ雑然として何かつかみどころのない印象だったのは残念でした。 一人の作家の大きな展覧会を見るとその作家の持つ独特のエネルギーのようなものがグイグイと迫って来るのが普通ですが、今回の展覧会ではそこがどうも希薄なのです。 なんだか展覧会を見に行ったというより雑誌をパラパラとめくって見たという感じなのです。 その最大の原因は多分オリジナルプリントの展示が非常に少なかったためと思われます。 写真展の良さはオリジナルプリントを見られることなのですが今回の展覧会はそれが少ないのです。 この作家の仕事は雑誌が主だったようですからオリジナルプリントがあまり残っていないのかもしれません。 その中で作家の仕事を意図的にまとめて見せようとする試みはよくわかるのですが、見せ方が恣意的で煩雑すぎることが逆に印象を弱めているのかもしれません。 ものすごい力で力みすぎて空振りしてしまった感じでしょうか?残念ながら僕には中原琢馬がどんな作家だったのが全くわかりませんでした。 ということで本館の展示の方に移ったのですが、ここの常設展示は数も多く名品も多くて見応えもあります。 今回は春ということでお馴染みの川合玉堂の(いく春)が展示されていました。この絵の川面に散る桜の花びらを見るたびにまた春が来たことを感じます。 来るたびにこうして展示作品が変わっているので、今回はどんな作家の作品と出会えるのも楽しみです。 今回も馴染み深い河原温の日付の作品や野田哲也の作品に出会えてなんだかほっとしたのでした。 下は野田哲也の作品(ダイアリー)、ガラス瓶にミョウガが刺してあります。 野田さんの作品はいつも身近な(えっ!)というような意外なものが題材になっているのが面白いのです。 なるほど一つの絵にもこんなに様々な解釈と視点があるものだとすっかり感心したのでした。 同じ写真でも印象に残ったのは常設展にあった高梨 豊の(町)のほうだったかもしれません。 高梨さんのことを調べて見るとなんと僕の好きな赤瀬川源平さんの仲間で(ライカ同盟)にも入っていた人だったので驚きました。 人の縁というのはどこかで微妙につながっていて面白いものです。 こういう僕にとっては初めて出会える作品がたくさんあるのも近代美術館の常設展示の面白いところです。(というより僕はほとんど何も知らないので!) (下は高梨豊の(町)シリーズの一枚) 上野もすごい人の多さでしたが、こうやって常設展で色々な作品を見るとたくさんのエネルギーが渦巻いていて、やっぱりものすごくたくさんの様々な人がいるものだと思うのでした。 (下は中原琢馬の写真のコラージュのような展示の一つ) #
by omoshiro-zukin
| 2024-03-19 09:32
| おもしろ美術
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2024年 03月 16日
いやはや流石の上野です。どうしていつもこんなに人が多いのか平日でもお祭りやってるみたいに見えます。
それなのに土曜日の午後に東博の特別展(中尊寺金色堂)に行こうなどという過ちを犯してしまったのです。 (上野駅の構内にはこんな美しい部屋も残されています) 最近は食べることがとても大事に感じられて、美術展を見ることと食べることの楽しさがほとんど同じくらいの比重になってしまっています。 なんだか情けないですけどまあ仕方がないと諦めています。 上野に来た時はゆっくりとちゃんとしたものが適正な料金で食べられるという3つのハナマル印のブラッスリーレカンを予約してありました。 (下はブラッスリーレカンの店内) ブラッスリーレカンで昼食をとって東博に行き入り口から会場をみると長い列ができていました。 一体会場に入るのにどのくらい待つのか係員の方に聞いて見ると(だいたい40分くらいでは?)とのことです。それを聞いてあっさり東博から撤退したのでした。 ブラッスリーレカンの展覧会コラボメニューはものすごくお得です。料金は4500円ですがその内容がものすごく充実しているのです。 この料金でアミューズ、前菜、お魚料理、肉料理、デザート、コーヒーというフルコースです。 (下はブラッスリーレカンの店内入り口付近、もともと国鉄の貴賓室だった場所です) こう書いてしまうと4500円のフルコースなどどこにでもあるよ!などと言われてしまいそうですが、ここがそこいらのお店と(失礼!)一味違うのは歴史ある銀座レカンの系列であることです。 当然ながらこの料金でも今時珍しいくらいにきちんとした手抜きのない料理が食べられるのです。しかもここの料理は今風に妙に凝ったものではなく、シンプルなところも気に入っています。さらに何より店内の古風な雰囲気が好きです。 前回はモネ展とのコラボメニューを食べて料金と比較してその充実ぶりに驚いたのですが、今回は新しく変わった印象派展とのコラボのメニューを食べて見ました。 〜アミューズ〜 ウスターソースを練り込んだカヌレ(ウスターソースと聞いてギョッとしたがなかなかでした) 〜前菜〜 ジャガイモと自家製ロースハムのサラダ仕立て。 (これが絶品でした。ノルマンディ地方の郷土料理を意識しているそうですがハムといい、添えてあるジャガイモといい実に良い塩梅で、こういう何気ないシンプルなものこそきちんと作ってあるかどうかが良くわかります) 〜魚〜 真鯛ポアレ スープ仕立て (下に敷いてあるご飯(おこげのようなもの)が魚のスープと絶妙なマッチで、ご飯と鯛を崩して混ぜて食べるとまるで茶漬けのようで実に美味しい。 さっぱりした風味がとても気に入りました。魚嫌いの僕が今回のメニューの中で一番好きでした。) 〜肉〜 ウスターソースと塩麹でマリネしたローストビーフ 〜デザート〜 クリーム・キャニオン・ コーヒー (今回の展覧会がアメリカ発だということでグランドキャニオンの岩をイメージした大きな正統派のシュークリーム、まっとうでさっぱりしたカスタードクリームがさすがです) というものですがまずメニューを見てウスターソース?というのが気になりました。フレンチになぜウスターソース?、と首を傾げました。 ところがそれには理由があったのです。今回東京都美術館でやっている(印象派展)はボストン近郊のウスター美術館の所蔵品を持って来たもので、そのウスターにちなんでウスターソースを使っているのです。(単なる語呂合わせです) ちなみにウスターはこの美術館のある場所の地名です。ソースの方はもともとイギリスのリー・アンド・ペリンブランド社が発祥ですが、日本では独自に発展して今に至っています。 とは言えやっぱりここの肉料理のオススメは何時間も煮込んだという(牛ほほ肉のワイン煮込み)でしょう。 こちらはプラス1500円のオプションとなりますがその価値は十分にあります。 ほろほろとフォークで崩れるような肉とソースがそこいらのビーフシチューと一線を画す出来栄えです) それにしても年のせいか食べ物に対する執着が若い頃よりずっと強くなっていることに我ながら驚きます。困ったものです。 さてせっかく東京まで出て来たのだからと、上野を後にして前から気になっていた国立近代美術館でやっている写真家の(中原卓馬・火ー氾濫)を見に行くことにしたのでした。 (下は同じくブラッスリーレカン店内) (続きます) #
by omoshiro-zukin
| 2024-03-16 09:05
| おもしろ美術
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2024年 03月 12日
気が付いて見れば僕が最近買っているCDやレLPレコードは全て1000円未満のものばかりではないですか!
近頃は1000円ではお昼も食べられなくなってきたという値上げ一辺倒のご時世の中では不思議なことと言えます。 しかも1000円未満と言っても実は500円程度のものが一番多いではないですか!(もっと不思議!) 今時スターバックスのカフェラテは490円、なんとあの庶民の味方ドトールのカフェラテだって今では340円もするのです。 それがカフェラテ一杯の値段でCDやLPが買えるのです。 発売当時は同じ値段で売られていたものが今では数百円から何十万円にまで差が付いているのですが、その差はもっぱら人気次第です。 物と情報が溢れすぎたこの時代には需要と供給のバランスがこんな大きな差となって表面化しているのです。 最近では特に人気のあるCDやレコードの値上がりは著しくジャズのオリジナル盤となれば何万はもとより何十万円もするものまであるほどですし、新しく作られるレコードも5000円を超えるものばかりです。 そんな中で(500円のCDやレコードですか?なんとしみったれた話、そりゃ買えるかも知れないけどロクでもないものばかりじゃない?)という疑問はもっともです。 ところが僕にとってはどれも(こんなにも良い音で良い演奏がこの値段?)と思わず申し訳無くなってしまうほど優れたアルバムが多いのです。 とここで一言声を大きくして言っておかねばならないことがあります。それは僕が良い音だと思うCDには大きな特徴があることです。 それはどれも昔の録音だということです。 最近になって昔の録音の方が聞いていてしっくりくることに気づいたのです。 というか昔の録音の音の方が好きだということが判明したのです。(ただし同じ昔の録音でも最近リマスターされたものはどれも気に入りません) というものすごく偏った好みなのです。特に新しい録音のヴァイオリンの音色はどうにも気持ちよくありません。 昔の録音でもモノラル録音時代のものが実に気持ちよく聞こえてしまうという困った体質になってしまったのです。 この発見はそもそもITさんのお宅でEMTのプレーヤーとモノラル針で聞かせていただいたモノラルレコードの数々が素晴らしかったところから始まっているのですが その後モノラルのCDを買ってみたら、さすがにレコードほどではないですが結構いけるではないですか。 というより僕には現代録音のCDよりずっと聴きやすいのです。しかも音だけで無く昔の人の演奏も現代の人よりもずっと確かで優れているように感じます。 そこで聴きまくったのがi英国のTestamentレーベルのアルバムです。昔の音源ばかりをCDにして出しているレーベルです。(もちろんワーグナーなど有名なLP盤もあります) このレーベルのリマスター技術者と僕の相性がよほど良いのかこのレーベルのCDの音は僕にはどれもとても好ましく聞こえます。 しかも嬉しいことに探せばとても安く手に入るのです。 ざっと最近買ったTestamentレーベルのCDと値段をあげてみます。 デゾルミエール&パリ音楽院管/スカルラッティ:バレエ音楽「機嫌のよい貴婦人」700円 ティト・ゴッビ~オペラ・アリア&歌曲集 180円 エルガー:ヴァイオリン協奏曲/バッハ:無伴奏vnパルティータ~シャコンヌ☆イダ・ヘンデル(vn)ボールト(指揮)ロンドンフィル 500円 クーベリック/フィルハーモニア管 ドヴォルザーク:交響曲第7番&第8番 250円 ボッケリニークインテット Quintetto Boccherini String Quintets 2 200円 フォーレ: ラシーヌの雅歌 レクイエム アンゲルブレシュト指揮 フランス国立放送 680円 安いでしょう! 中でもボッケリーニの弦楽五重奏は初めて聞いた曲ですがCDにもかかわらず弦の音がとても聞きやすく音楽も良くてとても好きなアルバムになりました。 (下は今まで買っていたtestamentのCDの一部、その2) とこんな按配です。つい昨日もシューリヒト指揮 ベルリンフィルの二枚組CDを500円で落札したばかりです。 全てオークションなので送料がかかりますがCDはレコードと違って送料が180円〜210円程度で済むので合計でも1000円を超えることは滅多にないのです。 他にも僕はピアノ三重奏曲が好きなので色々と買ってしまいます。 最近買ったスメタナ/ピアノ三重奏曲 パネンカ・トリオは300円、ボーザールトリオの現代アメリカ作品集254円、クレメータ・ムジカのウエーバーピアノ三重奏曲は245円と安いものばかりで驚くばかり。 とは言えCDではやっぱりTestamentレーベルの音が好きなようで、気がついたらtetamentのCDが30枚も溜まっていてびっくりしました。どれも僕にはとても気持ちよく聞けるアルバムばかりです。 (下の中の一枚、イダ・ヘンデルのエルガーのヴァイオリン協奏曲は珍しくステレオ録音ですが、これがまたものすごく音が良い!) レコードも安いものは安いのです。 特に日本盤のクラシックのLPは馬鹿に安く、僕などは輸入盤にこだわらなくとも十分に音楽を楽しむことができます。 購入した中でも気にっているのはアンゲルプレシュト指揮のドビッシーの二枚で(聖セバスチャンの殉教)が700円、(放蕩息子。選ばれた乙女)は何と150円でした。 (下はそのアンゲルプレシュットの二枚、日本盤ですが決して音は悪くない、何よりも訳詞がついてるのが有難い。それにしても150円とは!送料入れても1000円切ります) つい最近に購入したレコードはITさんのところで聞かせていただきとても良かったバッハのカンタータ BWV80 & BWV140 / マウェルスベルガー(指揮)/ ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管です。探したらアルヒーフの輸入盤がなんと300円でした。 下の一番手前のLPがそれです。これは録音も演奏も素晴らしいアルバムでした。しかも盤質も良かったのにはびっくり。 他にも(ブラームスのヴィオラソナタ)PAUL DKTORのヴィオラ NADIA REISENBERGのピアノによるウエストミンスターの輸入盤、そしてコロンビアの輸入盤でドビッシーの(ピアノと管弦楽のための幻想曲)ピアノ JACQUES FEVRIER 指揮 TZIPINE、フランス国立管弦楽団、の二枚をこちらは中古レコード店で一枚460円で手に入れとても気にっています。 とたくさん例をあげてみましたがこれはあくまで僕にとって音がよく感じられるものばかりでモノラル盤も多くその良さが一般的に通用するかは怪しいと思われます。 特にオーディオマニアの方には受け入れがたいかも知れません。 最新録音の音圧の高い目の覚めるような鮮やかな音が好きな人は、ちょっと聞いただけで古臭く感じて眉をしかめること間違いありません。 こういう僕好みのアルバムがCDでもレコードでも安く手に入る理由が、僕が好むようなものに需要がないためだと考えるとなんだか複雑な気がすることも確かです。(僕自身の感覚がかなり時代遅れになってしまったと感じるからです?) それでもやはり良い音楽は時代を超越しているように思えてしまいます。さらには値段もこれだけ安いので懐の寂しい僕にはぴったりなのです。 どうやらこれからも古い録音ばかり聞き続けることになりそうです。 (下は最近よく聞いているシューマンのピアノ五重奏曲。大好きな曲です。同じデムスのピアノですが弦が異なります。バリリの方はITさんからの頂き物です) #
by omoshiro-zukin
| 2024-03-12 09:24
| おもしろ音楽
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2024年 03月 08日
大名茶人・織田有楽斎(うらくさい)という人の四百年遠忌記念特別展をやっているというのを知りましたが、こんな名前の人初めて知りました。
しかもこの男なかなかの人物です。この人はあの有名な織田信長の13歳下の弟なのです
そして激動の時代に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人に仕えたというのですからその苦労は並大抵のものではなかったはずです。 本能寺の変では一人逃げたと京都の童歌にも嘲笑されて、さらには大坂夏の陣の直前に大阪城を去ったりして俗に(世渡り上手)と言われて疎んじられていた武将なのです。 それがなぜに美術館で特別展に登場するようなことになっているのでしょう? それはタイトルにあるように茶人だったからです。当時の茶道というのは現代とは全く別の意味を持っていたようです。 さて有楽斎は晩年には京都・建仁寺の塔頭「正伝院」を再興、隠棲します。それ故もともと武将だったのに彼の像や肖像画は全てお坊さんの衣装を着ているわけです。 正伝院は明治時代に「正伝永源院」と寺名を改め、いまに至るまで有楽斎ゆかりの貴重な文化財を伝えています。 今回の展示もそこに驚くほど沢山残されている物を中心に公開しています。 彼がそこに建てた茶室「如庵」は国宝に指定されていますが、なぜか現在は愛知県犬山市の有楽苑内に移築されています。 (下は借り物写真の如庵) 芸術家でもない武人の名前をタイトルにした展覧会など珍しいことです。 しかも特に歴史に強いわけでもなく茶道にも疎い僕が、わざわざ今回の展覧会に出かけたのには理由があったのです。 横浜の本牧にある三渓園は好きな場所でよく行きます。 僕は縁というものを面白く感じます。と言うのも三渓園に通うようになってしばらくして、鎌倉では僕の一番好きなお寺だった東慶寺の本殿がここにあるのを知って驚いたことがあります。 ここを作った三渓さんは日本美術が日本でまだそれほどの価値が認められていない時代に、その慧眼で様々な名品を集めたばかりでなく若手の日本画家も援助しました。 三渓園は日本の美術が見直されるための揺籃の地と言ってもおかしくないほど重要な場所だったのです。 ここにはいくつかの茶室があり、その中に9つの窓があるのでかつては九窓亭と呼ばれた京都・宇治の三室戸寺金蔵院から移築された(春草廬・しゅんそうろ)という茶室があります。 なんせお茶のことなど全く知識もないのでなんども見たのですが、覚えているのは中に入る前に刀をかけておく刀掛けがあったこと、窓が多かったことくらいしか覚えていません。 ところがつい先日読んだ本で偶然にもここが織田有楽斎が建てた茶室ということを知ったのです。 そこでこれも何かの縁と思いこの展覧会に行ってみることにしました。 会場で一番多く目に付いたのは「正伝永源院」に残されている数多くの書状です。それを見ていると茶会関係のものが数多くあることに気づきます。 それは茶会への誘いだったり紹介状だったり茶会に参加したお礼状だったりするのですが、どれも実に丁寧で真剣で茶会がどれほど重要な儀式だったのかわかります。 これを見ると茶会が現在のお稽古事のようなものではなく、武士の精神的な拠り所としていかに真剣な場だったことがひしひしと伝わってきます。 三渓園の春草廬にある刀掛けは伊達ではないのです。 普段は死が日常的にある血なまぐさい世界に暮らしている武士たちが、ここでは頼りにしている刀を預けて茶室に入るのです。 それはとても特別な空間と時間だったのです。 当時の茶室の中がどれだけ異世界であり真剣勝負の場でもあったのか、それは現在の我々には想像できないほどだったはずです。 その頃の武将と茶道は深く結びついていました。そのため茶会を通じた人間関係が織田有楽斎が乱世を切り抜けていく大きな力となったはずです。 今回の展覧会を見て、一番印象に残ったのは(茶会)がまさに生きるか死ぬかと言うほどの重要な場だったということでした。 有楽斎が乱世を生き延びたのはまさに茶人だったからなのです。 そんな展示の中でも有楽斎の人間味を感じさせるような作品もありました。 ひとつは(玉ふりふり)と銘の付いた茶杓(ちゃしゃく)です。なんともぶっ飛んだネーミングが彼の人柄を表しているようで面白いです。 竹を削っただけの耳かきのようなものがどうして美術品として伝わっているのか僕には未だによく理解できないのですが、戦場で戦っている武士が竹を削ってこんな素朴で小さい道具を必死で作っている姿を想像すると、単純な造形だけにそこに込められた精神みたいなものを感じます。 (下は今回の展示の中では一番見ごたえのあった狩野有楽の障壁画、様々な形の蓮の花と葉、そしてそこに飛び交う鷺の姿は見飽きないほどでした) またこんな小さくて簡単な道具を美術品とした崇め現代まで残して置くと言う日本人の美意識にも驚いてしまうのです。 もう一つは初めて見たので面白かったのですが呼継茶碗(よびつぎちゃわん)と呼ばれるものです。 (借り物写真、展示されていた有楽斎が持っていた室町時代の呼継茶碗、なかなかに大胆で気取りがなく面白いです) これは欠けた茶碗に全く別の破片で補うもので、無地の素朴な地肌の陶器に鮮やかな模様の入った磁器が継いであると言うもの。なるほど金継ぎといいこれといい日本人のこう言う細やかな技術やセンスは独特なものだと感心します。 一体西欧には壊れた陶器を新しい視点から再生させるなどということがあったのでしょうか? さてこの有楽斎の全容を展示してあると思われる展覧会ですが、せっかく縁があると思っていた三渓園にある(春草廬)についての記述や説明が一切見当たらなかったのが少々寂しく感じました。 日本美術のすごさをやっと少しだけ理解してきたこの頃ですが、有楽斎の展覧会の前に(縫いと織り)と言う着物の展覧会にも行ってきました。 こうやって日本美術を見てみると絵画とか銅像とか建築とかの西洋美術に出てくる大物たちと全く違った世界が存在していたことがわかります。 なんという美しい着物が展示してあったことでしょう。 こんな今では美術品のようなものが昔の日本には身近な手で触れらる場所に存在していたのです。それがお茶の世界であり着物の世界です。 特に江戸時代になると今では芸術品と呼ばれるものが一般庶民(もちろんお金持ちの商人の間でしょうが)に商品として流通していたのですから恐れ入ります。 これは西洋の美術が主に貴族や教会などの支配階級だけに支えられていたのとは大いに違うところではないかと思うのですが?? こうやって美術展を見るにつけとくに江戸時代の持つ芸術力の底知れないすごさに驚いてしまうこの頃なのです。 そして江戸時代の芸術の底力(そこちから)を知って、いったい本当はどんな時代だったのだろうという疑問が頭の中をぐるぐると回ってしまうのでした。 #
by omoshiro-zukin
| 2024-03-08 09:07
| おもしろ美術
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2024年 03月 04日
「音をよくするために一番重要なのは音の入り口だ。それ以降の機械がいくら良くてもまず入り口がダメならどうしようもできないでしょう?」 なるほどその通りだと思ったのですが、それをわが身ではっきりと自覚できたのはなんとつい最近のことだったのです。 それはレコードプレーヤーのトーレンス124の代わりに竹本式プレーヤー(PL-31E/TS)を導入した時でした。 その変化は鈍感な僕でさえわかるほだったのです。いやはやなんとも遅いことです。 さて今回訪問したのはオーディオマニアというよりは音楽マニア(もしくはレコードマニア?)と言うべき1万枚以上のレコードをお持ちのITさんです。 時々お邪魔するのですが音楽を聴くのがメインで、話題の99%は音楽(ソース)についてのことでオーディオ機材の話はついでに出る程度です。 とはいえ持っている機材は僕と違って立派なものばかりで、その意味では立派なオーディオマニアであることも間違いありません。 レコードプレーヤーも3種類もお持ちなのですが、今回はその中のEMTのプレーヤーのお話です。 以前このブログにEMTのプレーヤー(フォノイコも内臓です)にEMTのモノラル針を付けて聞かせていただいたイルマ・コラッシの歌うショーソンの(愛と海の歌)が素晴らしかったことを書きました。 ところがその後このプレーヤーが調子を崩してしまったのです。 色々と紆余屈折があった末に結局ヴィンテージオーディオの専門店の(ジュピターオーディオ)に修理に出し、それが数ヶ月かかってやっと修理が完了して戻ってきたのです。 プレーヤー本体だけでなくフォノイコなどの部品も色々と交換したようです。 いかに名機といえどもビンテージの機械は維持するのが大変です。それゆえに僕もトーレンス124を手放したのですけど。 古い車も同じですがきちんとメンテナンスされていなければ名車もその実力を発揮できないのは言うまでもありません。 戻ってきたEMTは見違えるように綺麗になりスムーズになったそうです。 そこでITさんはモノラルだけでなく以前から所有していたEMTのステレオ針も試したみたところ、どうも思ったように鳴らなかったようです。 これはずっと仕舞ってあった針に何らかの問題があるはずと検討をつけました。 そこで横須賀の針修理の名人のところに持ち込んだところ、ついでに診てもらったモノラル針もかなり傷んでいて修理が必要なことがわかりました。 そこで両方とも修理をお願いしたのですがその修理も完了し、ここでしっかり調整されたEMTのプレーヤーと同じく修理されたモノラルとステレオのカートリッジという完璧な組み合わせが実現したのです。 実はITさんは元々オルトフォンのカートリッジをトーレンス・リファレンスで聞くのがメインでEMTは控えの状態だったのです。 (下のカタログのカートリッジがITさんが愛用しているSPUです) ところが今回きちんとメンテナンスされたEMTコンビの音を聞いてみてすっかり驚いたそうです。 それは今ま聞いていたオルトフォンとトーレンスコンビの音を凌駕するかもしれないと思ったほどだったと言うのです。それは是非聞かせて頂かねばとお伺いしました。 まずはモノラルからです。いままでも聞かせてもらい気に入っていたのですが、それがさらに良くなっているではありませんか! これは痛んでいたカートリッジを修理したことと、プレーヤーそのものもオーバーホールした相乗効果なのでしょう。 (下は控えのカートリッジ、たった一本のカートリッジを10数年使っている僕とは違いやっぱりマニアです!) オーケストラが軽やかではっきりしたばかりでなく、それぞれの楽器が細部まではっきり聞こえその存在感はなんとも言えません。 実は今回は僕の音のリファレンス盤とも言えるエラ&ルイ(モノラルです)を持参してかけてもらいました。 昔知人のところで聞かせてもらい、初めてオーディオというのはすごいものだというのを実感したのがこの盤だったのです。 (下は僕の愛聴盤のうち三枚、この3枚には僕の好きな「アラバマに星落ちて」と言う曲が入っているのです。) その時のスピーカーは確かアルテックのバレンシアではなかったと思うのですが、まだ知識がなかったのでもしかしたら違うかもしれません。 ともかくその目の前で歌っているような臨場感には驚くばかりでした。 今回完璧に調整されたEMTのコンビで聞いているとその時の感動をありありと思い出したのです。 さすがに大型のスピーカーで聞くおおらかな音は我が家では聞くことができない次元です。大きなタンノイ・オートグラフ・ミレニアムがさらにもう一回り大きくなったような気がしました。 サッチモのトランペットの伸びやさ、エラの歌声の軽やかさ、見事なものです。特に驚いたのはバックのオスカーピーターソントリオの演奏が実にはっきりと聞こえることです。中でもレイ・ブラウンのベースがこれほどはっきり聞こえたことは記憶にありませんでした。 そう言えばレイ・ブラウンが最後に来日した時に聞きに行っておいて良かったなとも思ったのでした。 こうやってモノラルレコードでエラやサッチモの声を聞いているとその実在感と暖かさに圧倒されます。 これだったらモノラルレコードでなんの不満があるのでしょう?と思ってしまいます。特に最近の録音の妙にエッジのたったクリアーな音を聞いていると、僕などこっちの方がよほどリアリティを感じてしまいます。 人間の脳は情報量が少ない方がそれを補う力を発揮し逆にリアルさを感じてしまうのかもしれません。 続いてモノラルレコードでユリアン・シトコヴェツキー演奏するシベリウスのヴァイオリン協奏曲をはじめなんども聞いているコラッシの歌うショーソンなど聞いみると改めて細かい部分までくっきりと音が見えてきたことがよくわかります。 やっぱりこうやって聞くとモノラル録音は侮れないなと思います。というより新しく録音されたものよりむしろ好ましく感じてしまいます。 今時のCDの音圧の強いギラギラとした音となんと違うことか! これには単純にモノラルだから云々ということではなく録音エンジニアーのセンスの違いによるところが大きい気がするのですが? 針をこちらも修理相成ったEMTのステレオ針に交換して聞かせていただいたバッハのカンタータ140番も圧巻でした。 この曲は僕も良く知っています。特にソプラノとヴァイオリンのアリアの部分はあのマタイの(哀れみたまえ)とそっくりーなのが印象的な曲です。 エアハルト・マウアースベルガーの指揮による聖トーマス教会合唱団/ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏(エテルナ盤)で特に合唱部分の広がりの素晴らしさは圧倒的です。 さらにはテレサベルガンザやルチアポップなどのモーツァルトの歌曲なども聞かせていただいたのですが、声の伸びやかさとリアルさにうっとりしました。 今まで何度かITさんの音は聞かせていただいていたのですが、今回は僕のような耳に自信がない者が聞いても明らかに違うと感じるほどの変化がありました。 モノラルにしろステレオにしろここまでリアリテイを感じたのは初めてでした。 かつて大先輩が僕に言ったようにやはり音の入り口が大事だというこを再び実感できたのでした。 完全に調整されたEMTのプレヤーとカートリッジの組み合わせは想像以上に素晴らしい世界を見せてくれたのです。他人事ながら羨ましいことです。 話は変わりますがITさんのレコードの豊富な知識には会うたびに驚かされます。いつも僕が聞いたことのない盤を聞かせてくれるのです。 例えば今回聞いたバッハのカンタータ140番です。 もちろん他にもクルト・トーマス指揮やフリッツ・ヴェルナー指揮など他の演奏家のものもたくさんお持ちなのですが、なんとこの同じ演奏者の同じ曲をアルフィーフ盤でも2枚も持っているのです! これはこのアルバムだけに始まったことではなく、僕がこの曲はいいですよねーなどと話すと途端にずらっとアルバムが並ぶのです。 同じ曲のアルバムが何枚も出てくるばかりでなく同じ録音のレーベル違いなども並ぶのがすごい! このレコードに対する情熱というのは執念を感じるほどで、オーディオの話をしている時とレコードの話をしている時ではテンションが10倍くらい違います。 なるほどITさんはオーディオマニアではなくレコードマニアなのです。 今回これだけ手をかけて(お金も?)EMTのプレーヤーとカートリッジを修理したのもレコードに対する愛情があればこそです。 そしてその結果が見事に実ったのですから、レコード熱もさらに前進していくことでしょう。羨ましい限りです。 #
by omoshiro-zukin
| 2024-03-04 15:15
| おもしろオーデイオ
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