日本古来の氏神さまと胸キュン青春コメデイ。不思議なストリーテラー万城目 学 |
伝奇SF小説という分野がある。半村良の生霊山秘録、石の血脈、などなど現実の世界とその裏に隠されたいまだ知らざれる世界の繋がりを大胆な想像力で描く、いわば幻想的歴史SF小説とでもいうものなのでが、万城 学の小説はそれと似ているようでいて、ちょと、いやだいぶ毛色が違うようです。物語を勧めていく上での設定はとても伝奇SFっぽいです。聞いたことも無いような、それでいて古代の日本の氏神さまを思わせるようなとんでもないものが登場してきます.東西南北にそれぞれの神様がいて人間を使って数千年に一度戦いをさせるとか、今までだれも考えたことのないような大胆な発想がまず第一の特徴でしょう。
それは神に近いものかも知れませんが、正義を振り回す絶対神ではなく善も悪もありません。いわば悪さをしない妖怪のように、ただそこに存在しているものなのです。
人間はその神様のきまぐれ?に振り回されるだけという構造は、神と人間が契約で対峙するもしくは神の下にあるという西洋の神様とはまったく違い、かまどの神様など八百万の神様がいた日本ならではのオリジナルといえるでしょう。
そして彼の小説の第二の特徴はそういうとんでもない舞台を背景に、描かれているのは実にういういしいラブストーリーであるところにあります。とはいえ、それはラブストリーと呼ぶことさえはばかれるような、青春のほんのひと時をとらえたような淡くて微妙なものです。この刺激の強い世の中で、善悪の無い上に強力だけどのんびりした神様と,手さえ握ることのないような淡いラブストーリーや言葉では表す事できないほど微妙な友情、を見事に共存させているのが大層珍しくもあり今どき貴重だと言えます。
彼の小説でとんでもない神様が登場しないのは‘プリンセス・トヨトミ’だけですが、これも大阪の人々が秘密に大阪国を維持し豊臣の子孫をずっと大事に守っていたというスケールの大きな話です。僕には十分楽しめたのですが、この本を貸した友達からはあまり評判が良くなく、その理由を聞きますと、なんと大阪国の存在のために国家予算が年間数千万円使われていたという筋立てに不満があるそうです。
そんなことに貴重な税金を使うのはもったいないと言うのです!
おいおい、これってそんな現実的な小説かよ!と驚きましたが、これほど人によって物事の感じ方は違うと言う好例でしょう。こういう突拍子の無い話(だから面白いのですけど)は、その突拍子の無さを、はなからバカバカしいと思ってしまう人と面白がってしまう人の2極端に分かれてしまうのでしょう。
面白い事はたくさんありますが、それを面白いと思う人は二人に一人程度の確率なのかも知れません。もしくはずっと少ないかもしれませんね!
優れた恋愛小説としてはデビュー作‘鴨川ホルモー’と2作目の‘鹿男あおによし’そして中編、‘かのこちゃんとモドレーヌ夫人‘があげられます。(でも、かのこちゃんとマドレーヌ夫人は人間ではなく猫と犬の夫婦?の物語なのですけど)ともに胸に迫るような見事なラストシーンだと思います。あまりに見事なのでホルモーは映画化され鹿男はTVドラマ化されました。プリンセス・トヨトミも映画化されましたが、なぜかテーマが父と子の葛藤みたいな真面目なものに置きかえられていてとても残念な出来でした。
鴨川ホルモーも小鬼のようだと小説で描かれているホルモーが画面にCGで沢山登場してくると、頭の中で想像していた物とは違和感を感じてしまいます。ファンタジーの実写化はどうしても難しいようです。
僕が一番好きなのは‘鹿男あおによし’ですが、これは2度読んでも面白かったっというグリコのような小説です。もともと夏目漱石の坊ちゃんのパロデイなので全体的に流れている風が古風でのんびりしています。
ちなみに2度読んで面白いという小説はいくら物忘れが激しい僕でもそんなに沢山あるわけではありません。
万城目 学の小説は僕にとってはどれも再読できるところが有難いです。
今のところほかに一番再読出来る作家は村上春樹ですが、次が寺島のオーデイオ本!ですから僕の言ってることは、あまりあてにはらないかもしれません。
そうそう不思議なのはこの万城目さん、エッセイが面白くないのです。普通は小説が面白い人はエッセイも面白い。村上春樹など、僕はむしろエッセイの方が好きなほどですが、彼のエッセイだけは読んでがっかりしました。小説があまりにぶっとんでいて、エッセイがあまりにまともなので、その落差が大きいのだと思われます。
最新作の‘偉大なるしゅららぽーん’は琵琶湖にまつわる神様のお話です。といっても例によってとんでも無い神様です。しゅららぽーんという、とてつもなく大きな音とともに現れる龍神のような神さま、そしてその神様によって人の心を操ったり時間をあやつる能力を与えられた一族の対立、そんな大げさな筋立てですが、実は若者たちの友情が江戸時代のようなゆるい時間の流れと琵琶湖周辺の描写の中で淡々と描かれていきます。
しかしこの小説が一番映画化が難しいだろうなと思います。これが画面に実体化してしまうと、何もかもぶち壊しのような気がするのはファンタジー度が一番高いからなのかもしれません。
もちろんこの小説のラストも涙なしには読めないことでしょう。
もっとも作者が用意するこのとんでもない世界にすんなり入り込める人に限ってです、という但し書きがついているのは言うまでもありませんけど。