「もう一度行きたい場所」アフリカの水を飲んだものはアフリカに帰る。(その1) |
幸いいろいろと縁があって世界中色々な場所を旅することが出来ました。
その全てを忘れてしまわないうちに特に印象的な場所のことを書いておいたほうが良いきがしてきました。
もともとブログを始めたのそれが目的でした。そんなことまでもう忘れています!
なんせどんどん物事を忘れてしまうようなのです!まあ忘れてもいいような事ばっかりなんですけど。
そうやって振りかえってみるとまず思い浮かぶのはアフリカです。
僕がアフリカを訪れたのはたったの3回(というか3回もと言った方が良いのか?)にすぎません。
なので多くを語るには恐れ多いのですけど、それでも確かにものすごく印象的な場所だったという点では一番かもしれません。
アフリカと言っても大変広いので、ここで言うアフリカはケニア(とタンザニアの一部)の事です。
そしてそれも生活から隔離された国立公園(動物保護区)の中だけのことというとても限定された小さな場所についてです。それはあくまであまりにも小さくて隔離された場所なので、そこをアフリカという言葉で表現してしまうのはとても間違っている事のような気がします。
正確に言うならアフリカの中でも極めて少ないかろうじて生き延びている野生動物の保護区という聖域についてです。
アフリカの動物たちが暮らしているサバンナの一番の誤解はTVや映画の映像で頻繁に流れる肉食動物の狩りのシーンから生まれているような気がします。
こういうのを見ると年がら年じゅう食べるための闘いをしている緊張に溢れた弱肉強食の世界というイメージが頭にはりついてしまうのですけど、実際にそこを訪れると拍子抜けするほど調和と平和を感じてその落差に驚いてしまいます。
「何と言う調和のとれた美しい世界!」サバンナを訪れた時の最初の印象はこれです。
それはアフリカから人類が始まったことを、まるで頭のどこかが記憶していたかのような安らぎを感じる場所なのです。
ほかにも行く前と随分とイメージが違うのが気候と景色です。
僕のような年寄りの世代にはアフリカ=動物というとすぐターザンが浮かんできてしまい、ターザンというと密林のツタからツタへあの印象的な叫び声をあげながら移動するカッコ良い姿を思い浮かべてしまうのです。
ところが実際に像やライオンやきりんやシマウマが暮らしているケニヤやタンザニアは密林とは大違いの、どこまでも広々とした大草原なのです。
360度どこを見ても地平線まで続く遥かな大草原、そしてその中にところどころ高い木や灌木が生えてます。
密林とかその間を移動するためのツタなんてまったくありません!
そしてもう一つイメージと違うのは気候です。
アフリカは熱帯の国というイメージですが動物たちの暮らしている草原は実は標高の高い場所にあるので、日本で言うならまるで軽井沢のような快適な気候なのです。
ターザンのように腰みの一つで過ごせるような気候ではありません。早朝のサファリに出かける時は軽い上着とかセーターをはおらないと寒いくらい冷えます。
ここで暮らしていた像やライオンやキリンは日本の動物園に行ったら暑い夏にすっかり嫌気がさして、涼しい風が吹く大平原に帰りたいと思うことでしょう。
どこまでも続く青空とそこにぽっかりと浮かぶ雲、同じようにどこまでも続く大草原の中で、少しひんやりした風をそよそよと浴びながら、実に気持ち良さそうに寝そべっているチーターやライオンの姿を見ていると、それはまるで中世の宗教画に描かれている天国そのままのように見えます。
サバンナで動物たちを見ているとまず一番最初に感じるのは秩序と平和なのですからとても不思議です。
もちろんここが弱肉強食の世界であることは間違いありません。食べるために皆必死なのです。
それは休みなく食べ続けているトムソンガゼルやインパラなどの草食動物を見ているだけでも良くわかります。
しかし食べるための闘いの時間はほんの一瞬のように見えます。
彼らはその一瞬を恐れておどおどと暮らしたりしてはいないのです。
運よくチーター2頭がインパラを狩りするところに遭遇したことがあります。
そろそろと2頭が群れに向かって進みます。
インパラの群れにはそれが見えているのですが、かといって慌てて逃げたりはしません。
早く逃げたほうが良いよ!とあわてるのはみているこちらの方ばかり。
チーターが2歩進むと、群れも2歩下がる、といった塩梅で特に緊迫感もなく一定の距離を保ったままずっと平穏に草を食べ続けています。
その距離が一瞬縮んで、チーターが飛びかかった瞬間、初めて群れは一斉に散ります。
目標を定めていたチーターは一気に飛びかかったのですが残念ながら空振り、獲物はそれよりも素早くあっと言う間に逃げてしまいました。
一度逃げられてしまうとチーターの諦めれは、まるで悟りを得た修行僧のように早いのです。
もう一度狙う様子もなく、そのまますごすごと姿を消してしまいました。
そしてインパラの群れは何事も無かったように集ってきて再び一心不乱に草を食べ始めます。
それはまるで草原に吹く一瞬の激しい風のようにちょっと前の忘れ去られた出来事なのです。
肉食動物の狩りといってもTVでみるように百発百中ではないようです。むしろ失敗する事のほうが多いのかも知れません。
野生の動物を見て一番驚くのはその美しさです。
TVや映画や写真や動物園などで散々その姿を見ているはずなのに、実際に彼らが暮らしている場所で見ると、それはいままで見てきたものとはまるで別の物のように美しく見えます。
この差は実際にアフリカに行って実物を見て見ないとなんとも説明しがたいことです。
オペラやオーケストラをCDで聞くのと生で見たり聞いたりする時の差?いやそれ以上にその違いは衝撃的です。
そしてどうしてこういう動物たちを見て美しく感じるのか、それもとても不思議に感じます。
こういった事たちがアフリカを訪れてまず驚くことがらです。
そしてアフリカ(もちろんとても限定された動物保護区のことです)が他の国の旅と違うことがもう一つ、それはそこでははまるで大名旅行のような優雅な旅が出来ることです。
こんな事を言うとひんしゅくを買うこと間違い無しなのですが、敢えて言うならここにはまるで旧植民地時代の名残のような独特な雰囲気と時間がいまだひっそりと取り残されていて、ここではまるで時間旅行者のように一昔前の旅行者のような特別な気分を味わえるのです。
それは、サファリから戻って来て夕食までの間に用意されるハイテイーとか、夜中動物を見るためロビーーに用意されてある紅茶のポットとビスケット、ちょっとしたサンドウイッチとか・・・朝と夕方のサファリの間にくつろぐのんびりした時間とか・・乗り合った人が一緒のテーブル同席する食事の時間とか、時代がかった雰囲気の中で旅の時間がゆっくりと進んでいくのです。
宿泊施設がどれも小さいこと、少人数で動くこと、早朝と夕方以外には何もすることが無いこと、など様々な要素と、アフリカならではの圧倒的な広い大自然とが重なり合って世界中どこにもない、ここだけの独特の時間や世界を作りだしているのでしょう。。
というわけでアフリカのサバンナの思い出についてはもっともっと沢山あるのですが、それは次回に持ち越しとします。