映画のエンデイングシーンを意外と覚えていないことに気がついた!タルコフスキーの「ノスタルジア」 |
映画のエンデイングシーンといえばもっとも印象に残る名場面が多いはずなのですけど、今思い出してみるとなぜか不思議とあまり覚えていないのです。
見た映画のほとんどのラストシーンを空で語るような人もいるというのに、なんとも情けないことです。
そんな僕でも「ラストシーンといえばこれ!」とばかりに鮮明に覚えている映画があります。
それがタルコフスキーの「ノスタルジア」なのですが、実はこの映画、初めて見たときはあまりの単調さゆえかいつの間にか深く眠入っており、はっと気がつくと、そのラストシーンだったのです!
もちろんその後数回この映画を見直す機会がありました。
最初はまったくわけの判らない難解な映画だと思っていたのですけど、わりとシンプルでそれほど難解でないことがわかりちょっと嬉しくなった思い出があります。
タルコススキーの映画では火、水、土というのがとても重要なのですが、それ以上に重要な要素として底に流れているのがキリスト教の贖罪、もしくは原罪というものでないかと思います。
そしてその罪を、キリスト教がはたして救うことが出来るのか?いやもはやキリスト教ではそれをすくことはできないのではないか?というきわめて重いテーマが底に隠れているように感じます。
それはそのまま現代におけるキリスト教文明社会における大きな問題そのものなのですけど・・・。
彼の映画はそれが反キリスト教的であってもそれゆえに徹底的に宗教的な映画なのです。
それは日本の宗教の概念とはきわめて異質のとても厳しいものです。
だからとっても固苦しく感じてしまうのですが、さらに厳しいロシアの寒さがそれをより沈鬱なものにしていきます。だからこそと言ってよいのでしょうが、突き刺すような寒さが燃える火をいっそう美しくしているのです。
さてそんな難しい理屈があたっているかどうか?は別として「ノスタルジア」のラストシーンは写真として展示してあってもおかしくないほど素晴らしいものです。
しかし映画なのでそこに動きと音がつくのですからさらにインパクトがすごいものになります。
遠くに鉄橋のように見える水道を通すためのローマ時代の橋の遺跡、その手前に主人公が祈るように膝をついています。
どこか荒涼とした風景です。それはイタリアというよりロシアの寒さを想像してしまうような寒々とした風景なのです。
どこからか犬の鳴き声が聞こえてきます。それがしんしんと冷え込んだ空気の中にこだまして静寂をさらに深くしていきます。
その何も動かない、時間の止まったような写真のような風景の中に、ひらひらと風に舞いながら雪が落ちてくるのです。
何も動かない、時が止まったような画面に降り注ぐ雪は、過去と未来が空中で無限に錯綜しているようにも見えます。
目が覚めていきなりこの画面を見たときは驚きました。なんだか説明のつかないとんでもないような物を見てしまったようなきがしたからです。それでいてそれはどこかで見たことのあるような不思議な感覚でした。
同じようにラストシーンを良く覚えている映画も雪が降っていました。
男がやっているガソリンスタンドに偶然、昔の恋人がガソリンを入れにきます。
降りしきる雪の中、窓をあけると二人は顔を見てきがつきます。しかしもう時は遅すぎるのです
短い会話だけで彼女が走り去りカメラはどんどん空からの俯瞰になります。雪が激しく降り注いで、それに合わすように音楽が高まっていくのです。ここでも降りしきる雪は過去と現在をつなぐ触媒のような役割をしているような気がします。
ジャックドウミー監督の「シェルブールの雨傘」のラストシーンです。
このラストシーンもいつまでも忘れられないものの一つです。
ノスタルジアで犬の声が冷たい空気にこだまして行くだけの静寂とは違って、音楽がどんどん気分を盛り上げるというおきまりのパターンですが、まんまとハマってしまうほどルグランによるこの映画の音楽は素晴らしいものでした。
同じように良く覚えている、有名な「シェーン」のラストシーンも音楽と切っても切れないものです。
遠くに雪を抱いたワイミングの山々を背景に子供が名前を呼ぶ声が空に響いていきます。(こちらも多少なりとも雪があるのでした!)そして例のあの音楽がたかまって行き、主人公は馬に乗って去っていくのです。
なんというマンネリの典型的ラストシーンなのでしょう。
しかし美しい画面とあのテーマミュージックがしっかり気分を高めてくれたのでした。
(このシーンでその時代には無かった自動車が走って行くのがちらっと写っているというのをどこかで読んだので、見つけようと思ったのですが判りませんでした。そんなことがこのラストシーンの良さを損ねるわけではないですしね。)
しかし「たった3本かよ!」と思ってしまいます。
しかも「シェルブールの雨傘」は好きだったので6,7回見ていますが、「シェーン」なんて特に好きでもない(むしろ嫌い!)のになんでこんなにはっきり覚えているのでしょう?
どこか僕の頭の中のわからない場所で記憶がどんどん蒸発して行っているような気がして不気味です。
と書いていてふと思い出したラストシーンがあります。
窓から見ると遠い雲の中を月明かりに照らされた帆船が飛んで行くのです。
それは永遠に大人にならない国、ネバーランドに帰って行く船です。
お父さんが娘に言います「そういえば昔、あれと同じものを見たような気がする」
ピーターパンには2度と会うことは出来ないかも知れませんが、なにかの機会に「そういえば・・」と思い出すことがあるのかも知れません。
そのために、まだまだ頭の片隅にたくさんのラストシーンをしまってある貯蔵庫がしっかり存在していると信じておくことにしましょう。