輝ける60年代、シュポール・シュルファスの時代。現代美術だって十分に美しい! |
NICAFでクロード・ヴィアラの絵に出会ってからその魅力に惹かれて、東京の下町、団子坂を上った千駄木にあるI画廊に何度も通いました。
もちろん僕の懐具合から言っても簡単に購入出来るものでもないので、そう良いお客にもなりそうもないのですが、そんなことはお構いなしに画廊のご主人のIさんは行く度に温かく迎えてくれるばかりか、実に親切に色々と教えてくれました。
I画廊が得意とするのはフランスのシュポールシュルファス系統の作家です。
主に60年代に盛んだった運動ですが、その魅力は終わるばかりか、まるで60年代のJAZZのようにいっそう耀いて行くばかりです。
Iさんにいろいろ教えていただくうちにすっかりその魅力にはまってしまいました。
クリスチャン・ジャッカールの物を燃やしてその痕跡を焼きつけた作品、ただの古い木製の窓枠に色のついたガラスをはめただけなのにとても魅力的なピエール・ビラグリオ、複雑な織物のような模様で圧倒的という言える別世界を作り出すフランシス・ルーアン、ジャン=ミッシェル・ムーリスの葉っぱの模様のような作品、などなど色いろと見せていただきましたが、そのどれもが今まで普通の写実的な絵しか知らなかった僕にはとても新鮮で感動的でした。
中でもそれらの作品の特徴はどれもが独特の色彩感覚に溢れていることです。
同時にその形からももなにか温かい魅力を感じるのも不思議です、それが60年代の魔力なのでしょうか?
そしてそこに存在しているまぎれもなく美しいと感じさせる「なにか」が、ただ新しいものだけを提示するだけのように見えることが多い他の現代美術の作品と、明らかにどこかが違うように感じたのです。
I画廊で初めて見せていただき、その色彩の美しさに驚いた日本の作家もいました。
初めて見たときは「これはフランスの色だ!」と思ったのですが、聞いて見ると田淵安一という作家でした。
「え!この色が日本人の色彩ですか!」と驚いたのですが、実はこの田淵さんはほとんどをフランスで暮らしていた方で、半分以上フランス人と言ってもよいような人です?
彼は鎌倉にも縁のあった人なので、96年には八幡宮の横にある鎌倉近代美術館(緑に囲まれたロケーションや坂倉順三の設計による落ち着いた建物と、好きな美術館の一つです)での個展、続いては2006年には葉山にある神奈川県立美術館での個展が行われました。
幸いどちらもにも行くことが出来ましたが、素晴らしく美しくて印象に残る良い展覧会でした。
晩年の作品は日本の屏風のように豪華な金色が使われたりしていて何となく日本趣味も感じるようになりましたが、その絢爛な色彩の饗宴の中にもどこか日本とはまったく違った色使いを感じるのは僕の考えすぎなのでしょうか?
僕の頭の中では田淵安一はすっかりフランス人の画家として存在しているようです。
僕にとって魅力のあるシュポールシュルファスやその周辺のフランス作家ですが、なかなか日本の美術館では見ることはできません。
2000年に東京の下町にある東京都現代美術館で「ポンピドゥー・コレクションによる シュポール/シュルファスの時代 ニース~パリ 絵画の革命 1966~1979」というその名もずばりの展覧会が開かれました。
ここにはもちろんヴィアラの作品も展示されたので喜んで見に行きました。
とても楽しい展覧会でしたが、シュポールシュルファスの目的とか意義とかという学術的なテーマに沿った展示だったためか?フランス作家特有の美しい色彩を十分堪能できたかと言えばちょっと寂しい展示でした。
ヴィアラの作品は大きければ大きいほど、数が沢山あればあるほど、その魅力が増すように感じられます。
写真でしか見ていませんがパリのポンピドーセンターで行われたヴィアラの展示では壁一面に大きな布に描かれた作品が何枚もぶらさがっています。
フレームの中に入りきれないような大きさ、整然と等間隔で作品が並んでいるのではなく、何の意図もないかのような自由な展示は、暗い森の中から突然に紅葉まっさかりの明るい渓谷に出たかのように、はっとするほど美しいのです。
またその大胆で大きな展示方法が彼の作品のおおらかさを一層際立たせているように感じました。
このヴィアラの作品を実は日本でも見られる場所があるのです。
その一つが東京現代美術館と同じ持ち主?東京都が運営している有楽町の国際フォーラムです。
実はこの場所、オーデイオファンには馴染みの深い場所で、毎年秋には高級なアンプやスピーカーを持ち込んだオーデイオショーが開かれています。
沢山の小さな会議室にそれぞれのメーカーが機材を持ち込んで試聴会が開かれるのです。
ここで展示されるような高級機には縁のない僕ですが、昔は結構足を運びました。
いろんな音を聞くことが出来るのも楽しいのですが、それよりも各部屋に飾ってある作品を見ることがとても楽しみでした。
各部屋ごとになかなか質の高い現代美術の作品が飾ってあるのです。途中からはもっぱらこちらの方が面白くなってしまったほどです。そのレベルはまるで美術館並み??のように感じます。
そこで東京国際フォーラムがどんな絵を所有しているかを知りたくて、またその収蔵作品を見学することが出来るかどうかを訪ねてみたことがあります。
ところがどこに問い合わせても誰もそんなことは知らないようなのです!
基本的にここは貸し会議場なので、借りた人がたまたまその部屋にやってきて、そこに飾ってある絵を見ることしかできないのです。
しかしオーデイオショーでもそうですがこの会議室を借りた人や来場者がその作品に目を留めることはほとんど無いでしょう。ほんとうにもったいないことです。
いったいどういう経緯でこれほど沢山の現代美術の作品を国際フォーラムが持っているのか、その事情はまったく知りませんが、建設時に相当の目利きの方が世界に通用する会議場にするには、それなりの絵を飾ることが必要だと説得して相応の予算を使って購入したものなのでしょう。
それはまったく正しい事で、そこにはたとえ1%も反対する理由は無く、むしろその見識に敬意を表したいほどです。
残念ながら100%反対したいのはその運用についてなのです。
どんな作品が存在しているのかという目録もないばかりか、普通に見ることもできない(あえて見る人もいない)というとても悲惨な状態なのです。
せっかく予算(税金!)を使って良い物を購入したのですから、それを普通に見られるように公開してほしいと思うのですが、国際フォーラムについてこんな事を言う人は残念ながら僕くらいでしょう?
インデイアナ・ジョーンズが発見した失われたアークのように、それらの作品はきっと永遠に封印されたままなのでしょう!
かなり大きなクロード・ヴィアラの作品がこの国際フォーラムのどこかの会議室に飾ってあることを知った僕は、いつかそれにお目にかかりたいものだと機会をうかがっていました。
そしてついにその機会が訪れたのです。
それは毎年ゴールデンウイークのさなかに行われる「ラ・フォルネ・ジュルネ」というフランスで行われた音楽祭を日本に持ってきた催しでの事です。(この催しには日本にはこんなにクラシックファンがいたのか!と思うほど人が沢山集まります)
その演奏会場ホールの一つで、会場のロビーにかなり大きなヴィアラの作品が飾ってあったのです。
その作品の下をクラシック音楽の愛好者たちが何百人と通りすぎて行くのですが、残念ながら少しでも足を留めてその作品を眺める人は誰もいないようでした。
僕も人の波に押し流されながらゆっくり見ることも出来ずに足早にその場を立ち去ったのでした。
それにしても東京というのはなんという不思議で魅力的な大都市なのでしょう。
過剰なほど物や文化があふれているのに、人が列を作るのはごく限られたものだけなのです
大人気のラーメン屋さんのように!!
それは砂漠で喉の渇きに耐えきれなくなった人たちが、オアシスに殺到するような風景にも見えます。
それとも神からのご神託を授かるための長い列なのでしょうか?
それでいて沢山の素晴らしいものが誰にも注目されずに、ひそかに生き続けているのです。
東京国際フォーラムの会議室のようにね!
僕が知っているのはそのうちほんの僅かな物だけで、まだまだ面白いものが沢山埋もれているような気がするのです。