嬉しいことに村上春樹の【厚木への長い道のり】が文庫本に収録されました! |

村上春樹の【厚木への長い道のり】という文章が【小澤征爾さんと音楽について話しをする】が文庫本化されるにあたりこの文庫版に収録されました。
なんでこんな事に喜んでいるかと言うと、この村上春樹が書いた文章を読んでえらく感激したのですが、実はこれが掲載されていたのは【考える人】というマイナーな雑誌でした。
実際僕も人に教えられて読むことが出来たのですが、この文章を目にとめた人はほんの少数だったことでしょう。
今まで読んだ音楽について書かれた文書の中でこれほど感動的なものはそうはありません。
だからこの文章がこのまま埋もれてしまうのは実に惜しい事だと思っていました。
しかも普段はクールで若干ひねた表現の??村上春樹が実に素直に思いのたけを述べているという点でもちょっと珍しいものなのです。
この文章はJAZZピアニストの大西順子とその音楽、そして彼女の引退の事情と引退ライブなどの時の様子が、村上春樹ならではの軽快で面白い文章でとても解りやすく書かれています。
そしてこれを聞きに行っていた小澤征爾が彼女の引退宣言に【おれは反対だ!】と思わず叫んだ結果、彼女はこのまま引退することなく松本で行われるサイトウキネンフェステイバルで小澤征爾の指揮でラプソデイ イン ブルーを共演することになるのですが、その過程が血沸き肉躍るエキサイテイングな文章で綴られています。

何よりも小澤征爾と村上春樹の音楽に対する情熱がひしひしと感じられるものになっているのです。
そういう意味で【小澤征爾さんと音楽について話しをする】に収録されるのには、これほど相応しいものはありません。
この対談で驚くのは村上春樹のクラシック音楽の知識の深さですけど、それはともかくとしてこの本で一番驚かされるのは小澤征爾の持っている音楽への情熱です。
それも自分の持っている音楽のすべてを若い世代に受け継いでいくという決意には心底驚きます。
まるで若者のような情熱がメラメラと燃えているのが見えるほどです。
そんな音楽に夢中の二人の対談が面白くないはずがありません。
そのお話の面白さに、なるほど深く理解をすればここまで音楽について深いお話が出来るのかと、あまりの自分との落差にひたすらため息をつくばかりなのでした。
音楽は聞くもので読むものではないというのは真実ですが、なんの知識もなく聞くよりは少しでも知識が入ってから聞いたほうが面白く聞けることもほんとうです。
特に積極的に音楽を聞き始た頃(たったの10数年前です!)、先輩諸氏がレコードを聞きながら、ハードバップがどうのロマン派がどうのという言葉で会話していたのをちんぷんかんぷんに聞いていたのを思い出します。
そこでjazzとはクラシック音楽とはどういうものなのか知るために随分と本を読みあさりました。
その結果一応だいたいの流れはつかめるようになったのです。とは言えほんとにいちおうですけど・・・。

JAZZでは演奏者がスタイルを作って行くことが多いのですが、クラシックの場合は作曲家がスタイルを作っている割合の方が多いようです。
なのでアルバムを購入するとき、JAZZではまず演奏者によって曲を選び、クラシックではまず曲(作曲家)によって演奏者を選ぶことになります。
クラシックでは演奏家のスタイルというのは、その作曲家をどのように解釈するかという部分に限られているようです。
と書くとJAZZのほうがずっと自由な感じがするのですが、僕がJAZZからクラシックに転向した理由というのが、JAZZよりクラシックのほうが自由で伸び伸びしているように聞こえるというものだったのですからおかしなものです。
音楽に関する本を色々読みあさっていると、特に【お勧め曲や演奏を集めました!】、見たいな本が山ほどあるのでそれを片っ端から読んでみました。
その結果は演奏の数ほどその演奏の好みも存在していることがわかり、結局はそれぞれの好みだということがわかります。(それほど人によって推薦している曲や演奏が異なるのです。)
読めば読むほど、結局は自分の好きな演奏を選べばいいんだなという結論に達するのですが、それでも誰かがこれはいいですよと絶賛している中に、たまに自分好みの演奏や曲もに出会えることもあるのでつい読んでしまいます。
しかしどちらかと言うとそのほとんどは自分の好みとは合わないことの方が圧倒的に多いのです。

これは本についても同じで、自分の好きな作家が面白いと言っている本が必ずしも面白くないどころか、むしろまったくつまらなかったりするのですから不思議です。
大西順子を聞いたことが無かった僕はこの文章を読んで早速彼女のCDを2,3枚手に入れてみました。なるほど随分と変わった独特の演奏に聞こえます。
確かにすごい演奏だとは思うのですが僕にはちょっと難解に感じられます。
そのうち聞き直してみよう、と思いながらもなかなか聞き直すことのないアルバムの中の一枚になっていました。

それからしばらくしてNHKTVで、サイトウキネンフェステイバルで大西順子と小澤征爾が共演した、この文章に書かれた演奏そのものが放映されたのです。
どんなに素晴らしい演奏かと期待に胸をふくらまして見たのですが、大西順子トリオの演奏は僕にはやっぱりちょっとばっかり難解ですし、小澤征爾の指揮で演奏されたガーシュインのラプソデイーインブルーも村上春樹ほど手放しに感動することは出来ませんでした。
(もともとこの曲があんまり好きではないということもあったようです。僕にとってのガーシュインはやっぱり珠玉のようなスタンダードソングの数々なのです!)
それでも僕にとってこの【厚木への長い道のり】の価値が少しでも下がるわけではありません。
この音楽に対する文章はそれだけで十分に完結しているからです。
そこには大西順子というピアニストの才能に対する村上春樹の思い入れと的確な批評、小澤征爾の音楽にたいする姿勢、そういう様々な情熱が一体となって生みだした優れた物語が存在するからです。
それは消えようとしていた一つの才能がまた輝く瞬間をとらえた優れたドキュメントでもあり、その輝きを支えた音楽への一途な思いが生んだ感動的なドラマでもあります。

ここで演奏された音楽そのものに対してはそれを十分に理解できない自分が少々情けなく感じます。
きっと村上春樹は僕の聞くことのできない何かを聞いているに違いないからです。
だからと言って大いに落胆しているわけでもありません。
というのも、僕が良いと思っても村上春樹が良くないと思う演奏だって沢山あるはずで、その場合は間違いなく僕のほうが村上春樹の聞くことのできない何かを聞いているに違いないからです?
たとえその割合が極端に違うとしても!
人の数ほど良い音楽も存在している。それはそれでまた素晴らしいことではないかと思うのです。
というわけでこの文庫本版の【小澤征爾さんと音楽について話しをする】は本編も抜群に面白いことに加え、【厚木への長い道のり】を収録することによりさらに面白いものになったのです。
これを加えた編集者は本当に偉いです!
やっぱり世の中には見るべきところを見ている人がちゃんといるんですね!

そしてきっぱりとピアノを捨て、お掃除おばさんになるはずだった?大西順子については、つい最近日経新聞にミューザ川崎でJAZZ教室を開くという記事が出ていました。(よかったよかった)
彼女も若い世代に自分の持っているものを引き継いで行く道を選んだようです。
それは小澤征爾のあふれんばかりの情熱が乗り移ったものに違いないと僕は想像してしまいます。
情熱というのは自分ばかりか他の人までも動かすほどのエネルギーなのだというのがわかります。(すごい事ですね)。
そしてその情熱を持ち続けるというのは大きな才能の一つに違いないと、のんべんだらりと日々を過ごしている僕には思えるのです。
村上春樹の小説の登場人物ならきっとこう言うことでしょう【やれやれ】。
今回の写真のメインは東京駅の構内やその周辺です。久しぶりの東京駅は随分と立派に見えます。そしてその周りのビル群も昔だったら明らかに外国の風景かと思うほどに変わっていました。
