好き好きあるのは音楽も美術も同じですが・・・【ハーブ&ドロシー】と【偏愛村田美術館】その2 |

さて村田喜代子著の【偏愛村田美術館】という本は、タイトル通り偏愛に満ちた本です。
間違いなく偏愛に満ち溢れていますが驚異にも満ち溢れています。いままで僕が見たことのなかったような世界がものすごいインパクトで目の前に迫ってきます。
まずは装丁からしてすごい。表紙は人間のように立っている白鳥が裸の女性に覆いかぶさっている絵で、その女性は恍惚とした表情を浮かべています。
裏表紙にはなにやら南海の孤島にでも咲いていそうな毒々しい花が夜の闇の中に怪しく咲いている絵です。
この表紙の絵は淡い水彩で描かれており、ぱっと見は淡白な色彩で美しいのですが、良く見るとその気配はただならぬものがあり、なんだか覗き見でもしているような気分になってしまいます。
このエロテイックな絵を描いたのが筋骨隆々たるヘラクレスが弓を引いている、美術の教科書で見た事のあるあの有名な像の作者と同一人物だなんていったい誰が想像するでしょう!
このように世の中には知らぬことばっかりということを教えてくれる面白い本なのです。

前回も書きましたがこの本に収録されている絵の生々しさはただことではありません。
作家の内面のドロドロした情熱がまるで噴火のように溢れでてきて、見ているこちら側までその世界に引きずり込まれてしまいそうになるので、ときどきふと息をつきなが窓の外の風景にでも目を向けないと読み続けることが出来ません。これだけインパクトのある絵を集めてきた作者のエネルギーもまたすごいものです。
この本の優れた特徴は選ばれた絵がすごいだけでなく、絵についての彼女の独自の視点が実に解りやすい言葉で書かれていることにもあります。(通常の美術評論のなんと難解なこと!)ただ絵を眺めているだけではわからなかった世界が彼女の言葉でさらに大きく開かれていくのが実に快感です。たとえばこんな文章。
【芸術というものは引き算みたいだと思う。自然からいろいろ引いていって、世界を整理する。音楽は世界から目に見えるものと、手に触れるものを引いてしまった。
彫刻は世界から言葉や音曲など耳に聞こえるものを引いてしまった。絵画は耳に聞こえるものと、口で伝えるものを引いてしまった。そして抽象絵画ではさらに自然の形が取り払われた・・・・後略】

なんというわかりやすくも的確な表現でしょう!芸術をこんなに簡単な言葉でわかりやすく表現できるのはやはり文章を仕事する小説家ならではです。
このように彼女は実にわかりやすい的確な言葉でこの本に登場する絵を解説していきます。
内容を少しだけ紹介しましょう。ここには世界的に有名な画家も出ていますが、ほとんど知られていない画家の絵も出てきます。
驚いたのが養老院の院長が絵筆を揃えてくれて85歳で初めて絵を描いた【東 勝吉】。しかもこの方ここに入る前は重労働のきこりだったというのですから驚き。
【ただ画面の隅々まで、くまなく澄んで明るいのだ】というとおりカラフルな切り絵のような大胆な色遣いとデフォルメされた絵は素朴ながらなんだかのんびりとした、それでいてとてつもなく
力強い物があるような独特の世界なのです。

ゴッホの浮世絵では浮世絵とゴッホが描く浮世絵の対照的な世界を見事に分析するかと思えば、宗教画でもっともポピュラーな受胎告知の場面を描いたダビンチ、マルテイーニ、フラ・アンジェリコなどのさまざまな名絵をわかりやすく解説してくれます。
しかもその誰でも見たことのあるような有名な絵の最後に、まったく異質な雰囲気を持つロセッテイ描く受胎告知を持ってくるところなど彼女ならではの視点がさえまくっています。
【動かざる絵、静物画の無時間】という一章も面白い。
ぎゅうぎゅうにつまった瓶の中のラッキョウがムンクの叫びの世界に見える作者の視点は新鮮です。永遠の中に留まり続ける静物もあるかと思えば、生き生きと動き出しそうな静物もあります。同じ静物画といってもまるで正反対なのがわかります。

まるで大きな岩のような見たことも無いような富士山の絵、しかもこれが登山の案内図だというのだからさらに驚き、昭和新山の誕生を克明に記録した迫力の日本画?
死後の世界をきらびやかにシュールに描いた壮大で繊細な40図にも渡る地獄極楽めぐり、
きわめて精密に写真のように描かれていながらもそれが現実のもので無いように見える不思議なボタニカルアート、色鮮やかなのに静まり返った世界を描いた素朴派の画、
どこか面白くて気色悪い空に浮かぶ大目玉、抽象画のような無限の広がりをもった日本画、
はっとするほど美しい清姫が川に飛び込む図、語りかけてくるような生きているような島の絵、歩きだしてくるような松の木たちの絵、そして【世界が強力なミキサーにかけて粉砕されたような、それがまた強力なかくはん機でどろどろにかき混ぜらたような・・】海岸の風景。
どのページを開いても見たことのないような世界が広がります。作者のいうように【人間というものは、つくずくびっくり箱だと思う、何十年も生きているうちに、ある日とんでもないものが飛び出てきたりする】のですが、このとんでもないものが飛び出してくるのが、またこの本の面白さでもあります。
ハーブ&ドロシーたちが選んだ絵と村田喜代子の選んだ絵はまったく違います。それが好みの差というものなのでしょうが、同じ人間が描くのにもかかわらず、これほどさまざまな絵が世の中に存在するとはまさに驚異です。それが好みであろうとなかろうと美しいという事実は存在し続けます。自然が多様であるように人間もまた多様です。そのすべてが一緒に存在できるといいなと思うのでした。
今回の写真も本文とは関係ありませんが、前回の東慶寺の写真の続きです。海は同じ日の七里が浜です。

七里が浜の写真ですが中段のがある程度のレベルのデジタルカメラ、最後のがガラ系携帯のカメラで撮ったものです。どちらも最新の派手な色のデジカメにはないような淡い色調ですが、それにしてもあまり差が無いように見えるのが不思議です。今までの今月のブログの写真のほとんどはこの携帯で撮ったものです。