ちょっと古いですが真面目なSF映画も面白い。ゼログラビテイとインターステラー |
SF=サイエンスフィクションという言葉はもはや小説の世界から完全に映画の世界に移行してしまったようだ。
というより映画の世界ではもはや特別にSFという枠をつけるまでもなく、特にアクション映画はすべSFかファンタジーが当たり前のようになっています。
むかしは映像化がむづかしかったこの世界もコンピューターグラフィックの進歩のおかげで、みたこともないような世界が作り出せるようになったからです。
それでも不思議なのは人間の感覚というもので、どんなにCGが進歩してきても、実物の風景やセットを組まないとどこかで嘘っぽさが露呈されてしまうようです。
人の感覚はたいしたもので数値では測れない、いまだ未知の領域があるのです。
そんなSF映画の中でもこれぞSFという2本の映画のお話しです。
日々新しいものばかりの中ではそうとうに旧聞に属するのですが、一つは【ゼログラビテイ】もう一つが【インターステラー】で二本ともカタカナ名前なのでなんのことかわかりにくいのが最近の日本の題名の特徴。
話は飛びますが最近翻訳家というより字幕のスペシャリストとして知られる戸田奈津子さんの書いた本を読んだのですが、字幕作者という職業は想像以上にご苦労なさって作り上げたものだと初めて知りました。
そこには並々ならぬ努力とセンスが必要なので誰もができるような仕事でないことがよくわかりました。
願わくばそのセンスのある戸田さんあたりが映画の日本題もつけてくれれば一番良いのですが、そんなことまでやっているほど高報酬でかつ悠長な仕事ではなさそうです。
そんなわけで日本題は輸入会社の宣伝部がつけるのですが、今はサラリーマンばかりで良いアイデアが浮かぶはずもなく、結局原題そのままをローマ字にするというケースが多いのは残念なところ。ちなみにゼログラビテイは【漂流の宇宙】とか【無重力世界からの脱出】、インターステラーは【時空を超えた旅】とか【はるか惑星へ】とかなんでしょうけど、まあ僕がちらっと考えただけなのでその道のプロがつければもっとましな日本題を考え付くことでしょう。
この二つの映画の特徴はものすごーく真面目に作られた映画だということです。
どちらも60年代のハードSFを彷彿させるような壮大で迫力のある宇宙が良く表現されていますが、同時に人間にとって一番大切なのは愛なのだ、という古くからあるテーマをしごく大真面目に語っているところがいかにも古き良きアメリカ映画の伝統を見事に踏襲しています。
ところがいかにも昔の正当派ハリウッド映画のような人間愛に溢れたこの映画を撮った監督、一人はメキシコ人、一人はイギリス人なのですから面白い。
アメリカ映画を見て育った外国人がその精神を今でも受け継いでいるとはなんとも興味深いことです。
【ゼログラビテイ】はサンドラブロックの一人芝居映画と言っても良く、こういう題材は本来なら地味で暗くなる映画ですが軽快なテンポと迫真の宇宙空間の表現で実にリアルな映画に仕上がっています。
唯一の共演者のジョージクルーニーのとぼけた演技がちょっぴり息苦しさを救うアクセントになっているのもうまい。
もともと楽天的でとぼけた味のあるサンドラブロックはこの役に見事にぴったりで、このキャステイングがこの映画の成功におおいに貢献してることも間違いありません。
これで男性が主人公ならもっとおどろおどろしい物になってしまっていたでしょう。
それにしてもこの一人芝居を一刻も飽きることのない面白いスペクタル映画に仕上げたアルフォンス・キュアロン監督の手腕はたいしたものです。
そして【インターステラー】はダークナイトで泣く子も黙る迫真の緊迫感を演出したクリストファーノーラン監督ですが、こちらも相変わらずこれでもかというほどの力の入った演出でぐいぐいと押してきます。
それにしてもこの監督なんという真面目さなのでしょう。
最近の映画にしては説明的なセリフが多く内面を表現するようなカットがながながと続くので、面倒くさがりやの僕などはちょっと面倒になるほどですが、この丁寧さと生真面目さが彼の個性でもあります。
この映画のストーリーは60年代の熱気にあふれたハードSFそのままのような壮大な展開なのですが、60年代ではそれが作者の単なる途方も無いような想像にすぎなかったことが、今ではそれが科学的に裏付けされた理論に基づくものになってしまうのですから時代の流れは想像以上に激しい物かも知れません。
この映画を見ているとまるでNHKの衛星チャンネルでやっている真面目な宇宙ドキュメンタリー番組コズミックフロントを見ているような気がしてしまいます。
NHKのこの番組を見ていると途中から話が奇想天外難すぎて皆目理解できなくなってしまうのですが、そのドキュメンタリーに出てくるような最新理論がこの映画には随分と盛り込まれているのです。
たとえば5次元の存在や別の宇宙に通じているかも知れないウオームホール、などなど昔だったら間違いなくホラ話のたぐいが今では実験で証明しようとする学者がいる科学的なモデルなのです。
この映画はわざわざ学者の監修を受けながら製作されているそうです。
その最新理論にもとずく壮大な宇宙を舞台にしたストーリーなのですが、最終的にはは親子の愛情に帰結されてしまうところが少々拍子抜けではあります。
しかし長い冒頭部分の描写など、すべての画面が伏線としてうまくラストにつながるところなどとても見事です。クリストファーノーランの生真面目さがバットマンでは暗い方に出ているのですが、こちらでは明るい面に向いているのも後味の良い映画になっている理由でしょう。
60年代にSFが言葉で輝かしい未来か、もしくは絶望的な未来を想像力だけで語っていた時代は完全に終って、今では最新のCGがまるで本物のような画面で未来を見せてくれます。
しかしいくらCGの技術が発達しようとも、その技術だけで面白い映画ができるわけではありません。
始まりから終わりまですべて派手なアクションの連続という最近の映画の中でこの2本の映画がひときわ面白かったのは、CGという技術をうまく使いながらも結局は昔ながらの人間中心ドラマに仕立てたことにあるのかも知れません。
ともに映画ならではの世界を見せてくれたなかなかに骨太の映画でした。