帰ってきた【星の王子様】~またまた映画化されたようです。 |
ウルトラマンも人気が長いが、星の王子様も長い。
僕が初めて星の王子様の本を見たのは確かもう50年以上も前のことだと思う。
読むというより見たと書いたのは、なによりもこの本で一番印象の強いのは作者本人が書いたその本のイラストだったからです。
小惑星のようなごつごつの小さな天体の上に立っている王子さまの絵はほとんどの人がどこかで目にしているに違いないほど有名です。
そしてもう一つ印象に残っているのはこの本が【岩波書店が出版した唯一のSF本】と誰か有名な作家が?言ったということで、これがとても面白くてなぜか今でも覚えているばかりか、星の王子様という題名を聞いただけですぐこの言葉が出てきてしまうほどです。
なるほどその当時は学生の教養といえばいかにも岩波新書が幅を利かせていたのでした。
その後も何度も読みなおした記憶があるのですけど、思い出してみると不思議とストーリーそのものよりも何か透明感のある悲しさのようなものが先に浮かんできてしまうのです。
それはいわゆるロマンチックと言われるような感情よりも、もっと根源的で厳しいもののように僕には感じられます。
そこには砂漠をこよなく愛した作者が持つ、清冽で何も寄せ付けない厳しくも美しい凛とした空間が広がっているように思えるのです。
作者が郵便飛行機に乗ってアフリカの砂漠の上空を飛び回っていた時代には、それは操縦士の三人に一人は墜落して死んでしまうという死と直面した過酷な職業でした。
当然ながら敢えてそれに挑んでいたパイロットたちには彼らだけの特別の世界が見えていたに違いありません。
死に密着すればするほどそれを超越した透明な世界が彼らの周りにはあったはずです。
【砂漠ほど美しい場所はない】という言葉と死を超越した世界がこの物語から静かに、しかし強く伝わってくる気がするのです。
そんな地味な物語?なのに日本では箱根に【星の王子様ミュージアム】まであるのですからその人気の高さには驚きます。(架空の存在の人物のミュージアムなんて世界中でここだけかもしれません。いったい何が展示してあるかとても不思議です?)
そしてこの物語が最近また映画されました。アニメを入れればたぶん4回以上だと思われます、まさに帰ってきた【星の王子様】です。
今回はこのコンピュータアニメ全盛の時代に模型によるコマ撮りをしたという凝った映画のようですが、ストーリーはずいぶんと改変されているようです。不思議なのはこのきわめて静かで地味で映画化には適していないような物語がこれほど何度も映画化されることです。
思い出してみるとずいぶん前にサンフランシスコで【星の王子様】のオペラ版を見たことがあります。
その頃は良くサンフランシスコやNAPA周辺に出かけていたのですが、そのたびに日程に合わせてサンフランシスコオペラやバレエを見に行っていました。この二つが公演されるワーメモリアルホール・オペラハウスは戦後すぐ日米平和条約が調印された場所でもありますが、その堂々としたたたずまいはヨーロッパの諸劇場よりも立派かもしれず、雰囲気もとてもしっとりとしているので大好きです。
この時はサンフランシスコオペラで【星の王子様】のオペラの上演があるというのであらかじめチケットを購入してあり、いつものように劇場の窓口で受け取るようにしてありました。
たまたまこの時に泊まったホテルが劇場から数分という場所だったのでホテルにチェックインした後に散歩がてらチケットを取りに行ったのです。ところが開演の、数時間まえだと言うのになぜかひっそりとしているのです。チケットオフィスもしまっています。
日にちを間違えた?・・悪い予感とともに一つだけ空いていた窓口で判明したのがこの日の公演はこの場所ではなくバークレーのUCLA分校のホールだということでした!
SFOオペラのホームページからいつも予約しているので、すっかりこの場所だと勘違いしていたのでした。窓口の叔母さんの今いけばまだ間に合うわよ!との声に励まされ急いでホテルに戻り、バークレーまで車を飛ばします。
(下の写真はそのオペラハウスの舞台です。)
ここに行くにはいつも渋滞しているベイブリッジを渡らなければなりません。幸いさほどの混雑にも遭遇することなく開演の30分以上前に無事たどり着けたのですが、これには幸運もありました・・というのも以前に観光がてら何度かここを訪れたことがあったからです。
しかもオペラハウスの親切な窓口の叔母さんが教えてくれたそのホールの前までも行ったことがあり、駐車場の場所などもあらかじめ解っていたからです。
これが初めての場所だったら行く気にもならなかったことでしょう!(感覚的には横浜のみなとみらいホールだと思ったらミューザ川崎だった以上の距離かもしれません、しかも外国ですから!)こちらで無事チケットを交換し、一息つく時間まであったのは実ラッキーなことでした。
このオペラは原作の雰囲気を壊さない美しい雰囲気のもので、音楽や舞台装置なども実に原作とマッチしていました。主役の王子様を演じた少年のボーイソプラノも大変美しく、想像していたものよりずっと良い出来栄えに驚いたのでした。
(下の写真はオペラハウスのチケット受けとり窓口です。別の時の写真なのでOPENしています)
このように時々というか一般の人よりはかなり頻繁にというべきか、ちょっとした間の抜けた事をやってしまうのですけど、それがいつも大事に至らないのは幸運の星がついているからかも知れません。
実はこの時の旅ではもう一つ重大な勘違いがあったのです。
それが起きたのは後5分くらいでホテル到着しようかという頃のこと、助手席にいたMさんが僕のファイルから、何かを感じたのか、ふとこのホテルの予約の控えを取り出して見てみた時のことです。【この宿泊日、明日の日付みたいだけど!】という声に一番驚いたのは予約をとった僕でしょう。
一日間違えて予約していたのです。しかもそれが解ったのが到着5分前というタイミングです!
しかし今更何ができるわけもなくホテルのパーキングに車を置くと、そしらぬ顔でカウンターにいる中国系のお兄さんに予約の紙を見せました。
(このホテルはモーテルとシテイホテルの中間のようなこじんまりとしたホテルです)
そしてお兄さんに日付が違うと言われるとその場でものすごく驚いてみせたのです。
【大変だ!それは間違いです。僕は明日には日本に帰らなくてはならないのです!!】
その悲痛な叫びに同情したのか、親切なお兄さんは大丈夫、大丈夫、幸い今日は部屋が空いているからよかったね、といいながら何ごとも無かったかのようにその場で予約を変えてくれたのでした。
(下の写真はデイビスホールのロビーからの風景、左側手前がオペラハウス、奥の立派な建物がシテイホールです。)
とこのようにこの日だけでも場所と日時という2回の重要な間違いがあったのですが、もちろん普段こんなに大きな間違いを頻繁にしているわけではありません。たまたまこの日にそれが集中しただけです・・と書きながら思い出してみると・・・・。
ともあれいろいろあろうと結果的にはなんの問題もなくスムーズに行っているのですから、ラッキースターは僕の上で輝いていたのでしょう。
願わくばそれがこれからもずっと頭上で輝いていることを願うだけです。
前回の文中にありました、坂倉準三や前川國男の師匠であるコルビュジェが南米に旅行に行った際、アルゼンチンで航空郵便会社を経営していたテグジュペリの操縦する飛行機で遊覧飛行を楽しんだそうです。
何の関係もなさそうな、連続した記事に意外な関連が有ったわけです。まあ、いわゆる一つのトリビアという事で。
【荷風とル・コルビュジエのパリ (新潮選書) 東 秀紀 (著)】
永井荷風とコルビュジェという何の関係もない二人が同時期にパリに居た事を題材にした本です。
残念ながら現在は絶版になっているみたいです。
勿論、図書館にはあるでしょうし、古書もプレミアがついていることも無いので手に入れやすいと思います。