ミッシェル・ルグランが出会った不思議な人たち。 |
ミシェル・ルグランの自伝があまりにも面白いので、ある音楽家の父親の話という題から始まって何度もそのエピソードを紹介してみましたが、最後に彼が出会った興味深い人たちの話です。この自伝は数えきれないほどの面白い逸話で埋まっていますので音楽好き、映画好きの方はぜひ読んでみてください。
モーリス・シュバリエと言ったらフランス人で知らない人はいないほど有名だった舞台芸人であり歌手であり映画俳優です。
日本でも年輩の人ならその名前は知っている人も多いと思います。1968年に80歳で引退公演を行ったというのですから相当に昔の人です。
そのシュバリエのアメリカ公演での舞台の伴奏を務めたのが若きルグランでした。
偉大なるシュバリエはお金持ちにもかかわらず【ケチ】で有名でした?。それはたんなる吝嗇ではなく、もはや趣味とでも言えるほどのものだったようです。
そのけちぶりはもはや業界でも伝説になっていたそうで、その腕前は彼がレコード会社を移籍するときに、そのレコード会社から貰ったオーデイオセットを、新しく移籍するレコード会社にまんまと高く買い取らせたほどです。
愛想が良くつねに微笑みを絶やさない彼からは想像もつかないことですが、それは単なるケチというよりもっと合理的なものだったとルグランは推測しています。
ルグランが彼の豪邸に招かれて食事したときのこと、彼のうら若きパートナーの女性が食後にこう言いました。【モーリス、チーズをお出ししてもいいかしら?】すると即座に彼はこう答えたのです。【いやいけっこう、チーズはパスタに入っていたからもう十分だろう!】
ニューヨークではシュバリエにはウオドーフー・アストリア・ホテルに彼の名がつけられた5ルームスイートの特別室が用意されていました。
彼の名前をその部屋に使わせるという条件でいつでも好きな時にその部屋に宿泊でき、滞在にかかる全費用もホテル持ちという素晴らしい待遇を与えられていたのです。
アメリカ公演に同行した若きルグランは掃除人が泊まるような屋根裏部屋でした。
当時一人でその部屋に泊まっていたシュバリエはその豪華な部屋に毎日ルグランを呼びつけては一緒に食事しルグランを話相手にしていました。
そして滞在が5日目になった時、突如こう言ったのです。【明日からプラザホテルに移ることにしたよ!】ルグランはすっかり驚き【こんなに素晴らしいホテルに無料で滞在し、素晴らしい食事まで提供してもらっているのになぜ移るのですか?】と思わず聞いてしまいました。
その答えはこうです。【確かにその通りだ、しかしプラザでは飲み物代を払わずにすむんだ】。
ステイーヴ・マックイーンとフェイ・ダナウエイが出演した映画【華麗なる賭け】の主題歌を歌ったのは、当時それほど知られていないノエル・ハリソンという歌手でした。この歌【風のささやき】英語のタイトルOnece upon a Summer timeはアカデミー賞最優秀主題歌を受賞し、ペトラ・クラークからダステイ・スプリングフィールドまで様々な歌手によって歌われる大ヒットソングとなりました。
この映画の監督ノーマ・ジェイソン(夜の大捜査線で有名)から音楽の依頼があった時ルグランは驚くべき提案をします。それは5時間の映像を見ただけで、その印象だけを元にして音楽を作曲するというものでした。
それからの一月間彼はその時の5時間の試写の記憶だけで音楽を書き続けました。
時間に囚われることなく感情から湧きあがる音楽をバロックからJAZZへの路上で自由に作曲したのでした。そしてその後このパズルを画面に当てはめるのに2か月を費やしたのです。
この音楽のほかにノーマジェイソンから2曲のテーマを作って欲しいと依頼されてできたそのうちの一曲がこの【風のささやき】でした。
曲が完成し歌手を探してたときイギリス風のアクセントと柔らかい声の感じが気に入ってこの若いイギリス人ノエル・ハリソンという歌手に決めます。彼はあの偉大な俳優レックスハリソンの息子でした。
そしてこの曲を彼に聞かせてみると、不満そうな様子で歌詞に文句をつけたり、あきらかにルグランたちを見下すような態度を取ったりしたのです。
それは【こんな曲に深入りするのやめておこう、どうせすぐ忘れられてしまうに決まってる】と思っているように見えました。
しかしこの曲は映画の公開と同時に大ヒットし、映画が公開された1968年の夏の間中ビルボードの首位をキープしたのです。
もちろんノエル・ハリスンもこの曲のおかげでテレビの画面を独占することになったのですが、そのうち気が付いてみると彼はどこかへ消えていました。
それから20年後ロスアンゼルスで開かれたルグランのトリュビュート・イベントでノエルは舞台にあがりこの曲を歌いました。
歌い終わるとルグランのところへ駆け寄り、ルグランが何も言う間もないうちに彼を抱きしめて涙ながらにこう言ったのです。【わかってほしい、ミッシェル、僕はとんまだった。若かったし、薬もやっていた、ともかく許してほしい、そして僕にこの歌を歌わせてくれてほんとうにありがとう】。
最後にもう一人ルグランが心から出会って良かった、と言っているのが映画音楽の巨匠【ヘンリーマンシーニ】でした。彼はその時シャレードやムーリーヴァーで知られる正真正銘の映画音楽のスターでした。
そんな彼が米国にきたばかりのルグランを仲間として暖かく迎えてくれたのです。
その時ヘンリ・ーマンシーニがルグランについて知っていたことといえば【シェルブールの雨傘】の音楽を作ったということだけでした。
同じころマンシーニが可愛がっていたルグランと同じ年のピアニストが居ました。マンシーニが中心となった友好会のような集まりでは皆が集まってピアノを弾いていたのです。
彼の名前は【ジョン・ウイリアムス】、現在ではあの有名なスターウオーズをはじめET、ジョーズ、ハリーポッターなどを作ったハリウッド映画にはかかせない作曲家です。その彼とルグランに交差する時があったなんて意外でした。
それから40数年後の2013年に米国でルグランとジョンは再会することとなります。
その時、映画音楽界のスターになっているジョン・ウイリアムスはこう言いました。
【僕はまるで工場労働者になったような気がするよ!】、売れっ子の彼は仕事に追われる日々を過ごしていたのです。
世界的に有名な作曲家のこの告白にルグランはおおいに驚きました。
そうですよねルグランは最近では気に行った好きな仕事しかしないという優雅な生活をしてるんですから!!
さて1992年のこと、仕事で再会したヘンリーマンシーニがもじもじとこう切り出しました。【実は華麗なる賭けの音楽はノーマジェイソンから私に書いて欲しいと依頼があったのだ、私は忙しくて断ったのだが、どうしてもと言うのでそこで私は君を思い出し、君が完全に僕の代わりを務められるということを説明したんだ。これまでこのことはあえて言わなかったのだが、もう時効だろう!】
ルグランは笑いと叫び声をあげてヘンリーに抱きつき24年も遅れて厚い感謝を送ったのでした。彼なしではけしてアメリカでの成功は無かったからです。
ここには書けませんでしたが、驚くほど様々な人たちとの出会いをこの本で読んでいると、ミッシェル・ルグランがまるで冒険小説の主人公のように見えてきます。そして何よりすごいのが80歳を越えてなお今も様々な分野で活躍し続けていることです。昨年には新しいパートナーと再婚しましたしね!
今回の写真は相変わらず内容となんの関係もないGW中に訪れた横浜の山渓園です。