5月に窓を開けるという事。 |
今回の写真もあまり内容と関係はありません。横浜の町を歩いていて出くわしたクラシックカーの大会や、なんでもない風景を映してみたものです。どこか5月らしさが出ていればよいのですけど・・・)
5月といえば爽やかな風が吹き抜ける一年中で最も快適な季節です。
いつごろからの事でしょう、こんな良い季節にもかかわらず街を走っている車のほとんどが窓を閉め切っているのです。
確かに車の排気ガスが酷いかもしれませんが、一昔前は排ガス規制もなかったのでもっと空気が汚れていたはず、その頃は窓を開けて走っている車はずっと多かった気がします。
現在は空気はずっと綺麗になっているはずなのにほとんどの車がこの季節でも窓を閉め切っているのです。
その理由の一つにエアコンの普及があることは確かです。昔はエアコン無しの車がほとんどだったのに(冷房があるタクシーはわざわざ窓に冷房というステイッカーを貼っていたほど)今ではエアコン無の車など皆無になってしまいました。
そのため窓を開ける必要が無くなってしまったことは確かで、それゆえか窓を開けると言う習慣そのものが無くなってしまったようです。
たとえばパーキングに止まって仮眠をしている車を見ても、一番快適なこの季節でさえ窓を閉め切ってエンジンを切らずにエアコンをかけっぱなしにしていることが多いのです。こんなに良い風が吹いているのにと思ってしまいます。
なんといっても窓を開ければこんなに気持ちの良い風が入ってくるのは一年の内でも数日しかないのです。
そういえば電車の窓を開けなくなってからどのくらい経つのでしょう。季節の良い時期には車内放送が窓を開けてくださいと勧めていた記憶があります。
そして開け放った窓から入る風がとても気持ちよく感じられたのを覚えています。
それがいつの間にか電車の窓は開かれることなく、季節を感じることのない閉じられた仮想空間に慣れきってしまっているのです。時には車内は寒すぎる夏だったり暑すぎる冬だったりして、冷房が強すぎるから一枚余計に羽織るものを持っていこうかなどという不思議な事になっているのですが、だれもそれを不思議とは感じません。現代人はすっかり仮想空間に慣れきっているのです。
そしてこの仮想空間はおどろく事に体の外部に感じられる空間だけでなく、体の内部、すなわち脳の領域までしっかり入り込んでいるようなのです。
その仮想空間の窓口はおもにスマホです。
最近見たコマーシャルにこんなのがありました。なんでもかんでもすぐにスマホを取り出して情報を検索する部下に【何でもすぐスマホか!だからお前は!】と怒るのです。
この怒りはすぐに賞賛に逆転するのですが、このセリフを聞いた人の中には一瞬その怒りに共感を抱く人もいたのではないでしょうか?【そうそう、なんでもスマホで検索すればいいわけじゃないよね・・】というわけです。
しかし何でも教えてくれる便利なスマホにどんな落ち度があるというのでしょう。これほど便利な物は人類が今まで手にしたことのないほど驚異的な道具なのです。
とはいえこの理由のはっきりとしない漠然とした怒りのようなものには窓を開けない世界とどこか共通する部分があるように感じてしまうのです。
それはもしかするとあまりにもすぐに答えが見つかることによって、想像する時間が無くなってしまい、その結果としてリアルな世界を見たり触れたりすることへ恐れさえ感じてしまう自分へのいらだちなのかもしれません。
なんといっても画面で見るバラは綺麗でも棘が指をさすことはないのです。
思えば現代ほどバーチャルな世界に取り囲まれた時代はありませんでした。
その中で暮らしているとバーチャルが当たり前になりリアルに接することが不自然に感じてしまうという逆転さえ起ってきます。
エアコンを切る、コンピューターやスマホを切る、そうやって身の回りのスイッチを切って行くことに不安を感じるのは、スイッチを切るとその分だけ世界が消滅していくような気がするからです。
そして実際にスイッチを切るたびに今まで接していた世界は消滅していくのです。
そこには不安と恐れが存在しているはずなのですが、もはやそんな恐れを想像することさえ無いほどバーチャルな世界が当たり前のものになっているのです。
電車の中で夢中になってスマホを覗いている人たちを見ていると、以前にも書いたかも知れませんが60年代に読んだある短編小説を思い出します。
それは昔の英語の教科書に出てきたような明るく楽しい世界の高校生たちの話です。そこにはなんの不幸の影も見えません。青い空には白い雲が浮かび、校庭には花が咲きみだれています。ところがこの短編の最後に彼らが身に着けているヘッドフォンを外すと、そこは荒涼とした核戦争後の世界なのです。
目の前のなんの不満も無い美しい世界はヘッドフォンをつけている時にだけ現れる幻想なのです。
現実の世界があまりにも悲惨なのですべての人間が機械によって幻想の世界で暮らしているという話でした。繁栄の予感に満ちた60年代にこんな小説を書くのですからさすが作家の頭の中はすごいと思います。
これを読んだ時にぞっとして、それゆえに今でもこの話を覚えているのですが、その頃より現在のほうがその世界がより現実実を帯びてきたような気がするのです。
とはいえ現実と想像の境というのはそうはっきりと分けられるものではありません。
幻想の中で生きる事が出来ると言うのは人間の特権みたいなものです。
(もしかして犬や猫もそうかもしれません?彼らが寝ているときどんな夢を見ているものやら!)
赤毛のアンのように想像力で現実を克服していく物語だってあります。想像力は人間には不可欠な能力なのです。
そこで考えてみたいのは想像力とバーチャルな世界が作り出す想像の世界との関係です。
そこには前者はみずからが作りだすもの、後者はすべて与えられたものという大きな違いがあるのです。
現実に存在していない世界でも、それを自分が作りだしてみることと外部から与えられることには天と地ほどの違いがあるはずです。今問題なのはそこに自分自身で想像してみる力が存在するかどうかです。
相手の傷みを想像する能力があれば簡単に他人を傷つけることなど出来ないはずです。現代に起きているさまざまな暴力に関わる問題はここにその元があるような気がします。
そしてなによりも大事なことは想像力が生まれるためには感じるという力が必要だということ、その感じるという力は現実の世界に触れてみることによって初めて生まれてくるものだと思うのです。
この感じるという力が減少していることはまたスピードという事とも関連がありそうです。
動物が対応できる速さというのはその種によって異なります。
猫や犬が車にひかれてしまう原因の一つは車の速度が自分が持っている基準値を超えているからで、当然ながら人間にも見合った速さというものがあるはずです。
最近のゲームや映画の動きの速さを見ていると我々年寄にはとてもついて行くことができません。
この速さというのは産業革命以降加速度的に増しているのは確かです。
しゃべる速度など現代の会話を江戸時代の人が聞いたらまるでテープの早回しを聞いているように聞こえるそうです。
素晴らしく晴れた5月の良い天気の午後に窓を開けて風をめいっぱい感じることがあれば、冷たく寒い冬にその陽光と爽やかな風を思い出すことができるはずです。
現実の体験をもとに幻想や想像があるのなら帰って行く場所があるでしょうが、幻想が築きあげたものには帰る場所など無いではないですか。
などと柄にもなく難しいことを考えてしまう5月の風でありました。
というか 時々ブログ読まさせていただいております。
今回の窓を開けるという事もそうですが いつも説得力のある内容で感心するばかりです。
私もたまたま「窓を開け放つ」という内容で本日ブログを書いたものですから更に共感いたしました。
(オーディオを聴く際に窓を開けると言う とんでもない内容です(^_^;)) ※単なる狭い部屋で音圧を下げる為なんですが…
世の中便利過ぎるとしっぺ返しをくらうような そんな不安を感じています。単なる気のせいかもしれませんが。
今回の内容は特に面白いですね!
20年ほど前は、電車のなかでスマホのようなもの(と言ってもポケコンと言って、電卓に文字が付いててプログラミングできるもの)を電車の中で弄っていると、変な目で見られました。
オタッキーとか、電車の中で変態扱いさせていました。
それが今や電車に乗っている人の8割ほとがスマホを弄ってますよね。
自分的には、皆変態になったなあ、皆オタッキーだと言いたいところですが、今やこれが普通というのが驚きです。
時代は変化し続けるものだといえば聞こえは良いですが、何処に向かっているんでしょうね。
そう言えば、クラシックカーの写真なかなか味わいがあり良いですね!
実は私もそのうち小出ししようと思い、僅かながら溜め込んでるんですよ。
3月にクロスバイクを買ってほぼ毎日乗ってます。自転車楽しいですね。
朝7時、BD-1を凝視・・・? ウン!ブルーホーン(牛の角形ハンドル)に変更しょ(何時もの即決パターン)。先ずパーツの確認ーハンドルOK、Vブレーキ対応のレバーOK、変速レバーの取付穴寸が小さい(フラットハンドルは細く、ドロップやブルーホーンは太い)のは半丸ヤスリで広げ木ハンマーで叩き込む、此処で時間切れ。赤ポロで家内と体育館へ、11時~13時まで汗びっしょり。昼食もそこそこに再開、ハンドルが遠くになって後ろブレーキのワイヤーが20センチ足りない明日買いに行こう、今日は此処まで。筋肉痛が出るかな?
・レバー操作はブルの方が楽かも、立ち漕ぎはドロップの先端を握る方が安定し力も入ると思います。
・パッドをリム面に押し付け、後端に厚紙を挟んで1mm位浮かせて(トーイン)締めると鳴きも出ずスムーズ(納得する迄繰り返し)最後にしっかり締め付け。
*トーアウトでも同じ理屈かも?(まあー気合が入った時にボチボチどうぞ)。