ナデイア・ブ-ランジュ・ミッシエル・ルグラン・ヘンリック・シェリングそしてGIGI GRCYE |
今回の写真もあいかわらず内容とは関係の無い梅雨時の風景です。梅雨の季節にはときにはっとするほど美しい夕焼けが見られることがあります。海では海の家の建設まっただ中です。気が付けばあっというまに夏になっていることでしょう。
まったくこの世の中はどこでどう繋がっているのか解らないもので、それは僕の知識があまりにも微小であることに原因はあるのでしょうが、それにしても・・・と思うようなことが良くあります。
そもそもの始まりは久々に古いレコードを引っ張りでしていろいろ聞いていたときの事でした。まるで聞いた記憶のないようなレコードを自分が持っていたりして、こんなの持っていたっけ?と首を傾げながらも聞いて見た中でこれは良いと再発見?したのが下の写真の2枚のレコードでした。
一枚は耳たこになるほどモーツアルトのヴァイオリンソナタを聞いているシェリングの演奏によるヴェイエニフスキというポーランドの作曲家によるヴァイオリン協奏曲、そしてもう一枚はジャズでアートファーマーがGIGI GRCYEという人と共演しているアルバムでした。久々にレコードを聞いて見ると確かに耳に心地よい音がします。
このGIGIという人にはまったく覚えがありませんでしたが2管によるハーモニーが気持ちが良く、いかにもハードバップといった感じのなかなか良いアルバムでした。
しかも演奏者を見るとB面のピアノはなんと僕がJAZZを好きになるきっかけとなったピアニスト、フレデイ・レッドがピアノをやっているではないですか。オークションを覗いたらこのGIGIの8枚のアルバムをCDボックスにしたものが800円だったので思わず購入。(写真に写っているCDがそれです)
ぼくの好きなサックスはバルネ・ウイランといい、このGIGIといい熱い熱風が吹きだすような演奏ではなく、むしろメロデイ重視で大人しいところが共通しているようです?
もう一枚はヴェイエニフスキというポーランドの作曲家のヴァイオリン協奏曲です。ヴァイオリン協奏曲は派手な曲が多くあまり好きではないのですが、この演奏は適度に抑制が聞いていながらもロマンテックでスラブ風の趣もありなかなか素敵な曲でした。
そういえばシェリングのヴァイオリンも情熱的でテクニックが火花を散らすというような派手なものではなく、実に端正でしっとりしているところが好きです。この辺りの好みはJAZZのサックスと共通しているところがあるのかも知れません。
この2枚のLPは日本盤だったので中に入っている日本語のライナーノーツをなにげなく読んでいると、両方のライナーノーツにどこかで聞いたことのある名前が出てきました。
それはナデイナ・ブーランジュという名前です。シェリングは1933年から6年間、彼女のもとで作曲や音楽理論を学んでいたそうです。一方JAZZのGIGIの説明にも若いころ奨学金を受けてフランスでブーランジュの元で勉強したと書いてあるのです。たまたまこの2つを連続して読んだのでとても不思議な感じでした。
一方は世界的に有名なクラシックのヴァイオリニスト、一方はJAZZの世界でもあまり有名とは言えないサックス吹きなのです。共通点があるとすれば二人とも多少変わっているという事くらい?
ポーランド人のシェリングはメキシコで市民権を得ているというちょっと変わった経歴があり、GIGIは10年ほどJAZZ会で活躍した後、JAZZとはまったく縁を切りイスラム教に改修して学校の先生となり生涯を終えたそうで、先生をやっている間に誰も彼が元JAZZマンだったことに気が付いた人はいないそうです。
さてこのナデイア・ブーランジュという名前に憶えがあったのは、このブログに何度も登場している【ミッシェル・ルグラン自伝】の中に、まるまる一章を費やして彼女のことが書かれていたからでした。
ルグラン、シェリング、GIGIとなんの関係もないような3人の音楽をたどって行くと偶然にもそこに同じ人物の名前が登場してきたのですから不思議でした。
ミッシェル・ルグランの自伝にはまるまる一章をさいて音楽の母、マドマゼル・ブーランジェという章があります。ここでは彼女はコンセルバトールの有名な教師として登場します。
彼がこの本で言っているように10代の時に彼女に徹底的に音楽理論を仕込まれたことが現在のルグランを作ったことは間違いありません。
与えられた下声部や上声部に合わせて、連続的な5度やオクターブは使わずに和声を作ったり、ピアノの初見や転調はもとより、オーケストラの指揮者と同じ譜読みでピアノで演奏したりしたそうで、彼女のクラスではピアノは目的ではなく作曲や指揮を学ぶための道具だったのです。
あまりの支配力の強さと指導の厳しさに反抗しながらも敬服するという矛盾した気持ちのなかで徹底的に鍛えられたことが後に映画音楽を作曲するときに大いに役にたったのです。
彼女はJAZZに対しては偏見を持っておりラヴェルの弦楽四重奏曲にくらべればあまりにも初歩的で限界があると思っていたそうです。
ルグランがJAZZを弾いているのが見つかると【あら まだ三つの和音しかないこんな音楽をやってるの!時間の無駄よ】と怒られたそうです。
ルグランが15歳の時彼女の家の晩さん会に生徒として招かれました。そこにはアンドレ・マルローやジャン・コクトーなどの有名人が招かれており、そこで生徒であるルグランにピアノを弾かせたのです。
その時反抗心いっぱいのルグランはデユーク・エリントンの曲を弾いてしまったのです。【ナデイアの目が銃口のように私を睨んだが、さすがに招待客の前で火を吹くことはなかった】と彼は書いています。
彼女との関係が無くなって数年後、ルグランがジーンケリーの要請でバレエの曲を書き、それを指揮して演奏するという機会がモナコ王国でありました。その場所にモナコとは縁の深かったナデイアが来ていました。
そのバレエ曲にはニューオルリンズジャズ風の部分も含まれていたので彼女がどう思うかルグランは心配だったのですが公演の後で彼女から貰ったメッセージにはこう書かれていました。
【今夜はとても楽しく聞かせてもらいました。満足です。あなたの素質について私は思い違いをしていたのかも知れません。たぶんこれがあなたの取るべき道でしょう】
ルグランは今でもこのメッセージを大切に持っているそうです。
(長くなりそうなので次回に続きます)