藤沢遊行かぶき【小栗半官と照手姫】を見て遊行寺のお墓に詣でたこと。 |
週2度は自転車でジムに通っているのですが、先日ちょっと脇道に逸れてみたら藤沢遊行かぶきのポスターを見かけました。演目は【小栗半官と照手姫】です。なるほど藤沢に相応しい出し物です。古風な歌舞伎風イラストのポスターに説教節・政太夫と書いてあるのを見て、以前から一度聞いてみたかった説教節を生で聴いてみる良いチャンスだと思ったのです。
思えばちょうど去年の年末に遊行寺を訪ね小栗半官と照手姫のお墓に詣でたのでした。その話は今年の1月3日のこのブログに書いたのですがそれ以来すっかり忘れていました。ポスターを見て地元でこの話を上演していることをはじめて知ったのです。
というわけで内容が重複するかもしれませんが、そんな事を覚えている人もいないと思いあらためておさらいです。【小栗半官と照手姫】は説教節という街頭で行われていた布教活動のような芸能のような形で?現在まで伝えられてきた物語です。
(小栗半官のお墓です。周りに家臣のお墓が並んでいます)
これを見るとどうも実在した人物のようにも思えるのですが、その是非は現在でも曖昧なようです?いずれにしろ小栗半官と照手姫の物語は立派なお墓が出来るほど民衆の間で親しまれたものだった、ということだけは確かでしょう。
この物語を宝塚が上演したものを画面で見たことがあるのですが、実に面白く見ることが出来ました。日本の物語にしては派手でまるでギリシャ神話を思い起こすような話です。ここであらすじを紹介したいと思ったのですが、僕の手にあまるのと熊野神社のある和歌山元宮町のHPのものがたいへん解りやすく良く出来ていたので、それを拝借することにしてしまいます。すみません。
(照手姫が建てたという厄払いの地蔵)
常陸の国で小栗はある日、世にも稀な美女・照手姫のことを聞かされる。
小栗はまだ見ぬ照手に恋い焦がれ、恋文を送る。照手はこれに戸惑いながらも応じ、返事を書いた。小栗は嬉しさに矢も楯もたまらず、屈強な家来を従えて、照手の館に押し掛けた。そして二人は、運命の実りを結んだ。
しかし照手の父・横山は、自分に無断で結婚したことに腹を立てた。横山は、小栗を人喰い馬に喰い殺させようとしたが、小栗は馬を思い通りに操り、難なく乗りこなしてしまった。
次に横山は酒に毒を盛ることを計画し、小栗を宴に招待する。宴に参加した小栗と家来たちは、あえなく毒酒を飲まされて次々に絶命してしまった。
横山は家来たちを火葬にし、小栗だけは土葬にして葬った。そして「我が娘だけをそのまま生かしておいては、都の聞こえが悪い」と、実の娘の照手を淵に沈めてしまうよう息子たちに命じる。息子らは気が告め、照手を乗せた牢輿の沈め石を切り離し、そのまま川に流し去った。
(こちらは照手姫のお墓です)
一方小栗と家来たちは、閻魔大王から判決を受けていた。大王は家来たちの懇願を受け、「この者を藤沢の上人に渡すので、熊野本宮の湯の峰に入れて本復させよ」と記した札を小栗にかけ裟婆へ戻した。この藤沢の上人とは、一遍が開いた時宗の僧のことである。
目も見えず口もきけない餓鬼の姿で塚から這い出た小栗を、藤沢の上人が見つけた。閻魔大王からの依頼を読んだ上人は、小栗の髪を剃り「餓鬼阿弥」と名付けた。そして「この者を一引きすれば干僧供養、二引きすれば万僧供養」と胸札に書き加えて土車に乗せ、東海道を熊野へ向かわせた。餓鬼阿弥(がきあみ)は、箱根、富士、掛川、名古屋へと人々に引かれ、照手のいる美濃国にやってきた。引き手がつかず捨てられていた土車を発見した照手は「こんな姿でも夫の小栗が生きていてくれたなら」と思い、照手は小栗の供養に土車を引きたいと、わずかな休暇をもらう。それが小栗だとは気づかないまま、大津まで引いた照手は「本復されたら美濃国青墓の宿の常陸小萩を訪ねて下さい」と餓鬼阿弥の胸札に書き添えて帰っていった。
(なんと小栗が乗りこなした人食い馬のお墓まであります!)
小栗は「常陸小萩」の酌を希望する。国守を小栗とは知らない照手はが酌にでると、小栗が照手を見つめ自分の身の上を語りだした。すると照手は黙ってむせぴ泣き出した。こうして二人は再会し、幸せになったといいます。
宝塚で上演されるのもなるほどと思える面白いお話です。基本はラブストーリーなのですが、これだけ人気があったのはどうもそれだけではなさそうです。
この話が民衆に指示されて今までずっと残ってきたのは、それを聞いていた人たちの思いが反映されていたからだと思うのです。その思いとは僕の勝手な見解では【ハッピーエンドであること】【女性が重要な役割を持っていること】【運命の不思議さを感じられること】【社会で虐げられた人が登場すること】【救いと再生の物語であること】である気がするのです。
(これは境内にある酒井忠重が建てた6地蔵)
さらにそれを助けるのが名もない市井の人々であり、妻なのです。しかも助けた妻はそれが小栗だというのを知らなかったというのが大きなポイントです。いわゆる無償の愛です!このあたりキリスト教国でも十分に通用するお話といえるでしょう。そしてその神(仏?)へのゆるぎない信仰が見るも無残だった小栗の姿を見事に復活させ、いじめぬかれた照手姫もそのみじめな境遇から抜け出させたのです。
戦乱だったり凶作だったりと暮らしていくのがとても大変だった時代に街頭でこの話を聞いているほんの一時、この物語は人々の希望や救いになってくれたのではないかと想像するのです。苦しい時だからこそ慈愛に満ちているこの物語が受け入れられ現在まで残ってきたのだと思うのです。
(小栗半官のお墓を後方から見たところです、真ん中の黒くて立派なのがそれでその横に並んでいるのが家臣のお墓です)
さて遊行かぶきです。宝塚版が面白かったのでこちらも期待して行ったのですが、どうも僕の思っていたものとは相当違っていました。
見終わった後まず思ったのは、新しいというよりも60年代のアングラ演劇の香を濃厚に感じてしまったのです。
出演者の演技は熱の入ったエネルギー溢れるものでしたが、そのエネルギーの方向が二人の恋愛という一点にぐんぐんと絞られていて、そこにずいぶんと違和感を感じてしまったのです。そういう演出なのですからしょうがありません。出演者は実に良くやっていたと言えるでしょう。肝心の説教節もこの演出ではちぐはぐなバックグランドミュージックと化していたように聞こえました。
ストーリーの時系列が変わっているのは良いのですが、その理由が僕には良くわかりません。二人の悲恋を強調するためだと思われるのですが・・【えっ悲恋!】これってハッピーエンドの物語ではないの?と思いながら見ているとエンデイングは息も絶え絶えの二人がはいつくばって寄り添っていく悲壮な場面なのです。ロミオとジュリエットのラストシーンに瓜二つです!
(本堂から藤沢の街を見下ろす)
しかも照手姫が殺された後、小栗はこう叫ぶのです。【今まで本当に幸せだったのは照手姫に車を引いてもらっていた時だった!】。
僕が思うには小栗が餓鬼阿弥の姿に変えられていたときはほとんど意識もないような状態のはずだったはずだったはず。しかしこのセリフはこの舞台上でかなり何度も演じられた車を引く照手と小栗の長いラブシーンを見たときから想像がつくものだったかも知れません。
というわけで慈愛と救いに満ちたこの古風で古典的な物語は60年代風の熱気にあふれたただの恋愛劇にすっかり姿を変えてしまっていたのでした。しかも休憩20分を入れて3時間30分という長丁場だったので体力的にも少々きつく感じられたのでした。
とはいえ生身の人間が演じる舞台は迫力があります。それはそれで十分にそのエネルギーを感じる事が出来ました。なにごとにも良いところはあるものです。
さてずいぶんと厳しい事を書きましたが、それはあくまで僕がそう感じたということであり、なんて素晴らしい恋物語なの!と感激した人だっているはずです。もしかしたらそういう人の方が多いことだってありえます。
しかし僕にとってはこれはあくまで【小栗半官と照手姫】ではありませんでした。こういう舞台を見ると世の中には本当に様々な見方があるものだという事がよく解ったのでした。
(立派な遊行寺本堂です)