老人にぴったりのジュナイブル?映画【50年後の僕たちは?】もしくは小説『14歳、僕らの疾走』 |
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2017年 10月 16日
年相応というのは平気で使われる言葉なのですが、その年代に自分を合わせると言うのは実は結構難しいものなのです。
なぜかと言うと年は自分で意識しているよりもいつも一歩も二歩も前に行っていたり、あるいは数歩も下がっていたりするからです。 12歳の少年は自分が12歳であることを受け入れられないし、65歳の老人だって自分ではなかなかそれを受け入れることが出来ないのです。残念ながら。 若者が青春を見つめるよりも老人が青春を理解するほうがより簡単かも知れません。 そういうわけなので、若者向けのジュナイブル小説や映画は実は老人にこそふさわしいのかも知れませんし、この映画もまたそうなのかもしれません。 それにしてもこの映画の邦題【50年後のぼくたちは?】というのはあまり良いネーミングだとは思えません。 元の小説のほうは【14歳、僕らの疾走】という題名になっていますが、こちらもいまいち?(最初の写真がその本です) 実は原題は小説、映画ともに【Tschick】日本語読みで【シック】で、これは主人公の少年の友達の名前です。これが単純だけど一番内容にあった題名だと思います。 この映画を見終わった感想といえば、一緒に行った友達の言葉が一番ふさわしいかも知れません。 それは【最近はどんな映画をみても疲れるけれど、この映画はぜんぜん疲れなかった!】。 まさに同感です。結構刺激的な画面もあるし、悲惨な状況もあるのですが、見終わった後に夏の夕立の後のようなすがすがしさを感じるのです。 この小説と映画は細部が微妙に異なってはいるのですが、基本的には同じような印象を受けます。 それはどちらもその底辺を流れる【すべてのことが、たいしたことじゃないさ!】という言葉が、諦めではなく肯定的な言葉として提示されているからです。 原作の映画化なのですからその二つが似ているのは当たり前ですが、実際には随分とテイストの違った映画になってしまう例も数多いので、その点では監督のファティ・アキンは実にうまくこの小説を映画化したと言えるでしょう。 とても面白く見られた映画でしたが、小説にはあった自然の風景というか息吹を感じさせる場面が映画ではそれほど印象に残らなかったのは少し残念でした。 逆にあまりにも映画では印象的だったのに原作ではそれほどでも無いところもあります。 たとえば少年たちが野宿する場所、実は後にここが再会の場ともなるのですが、原作では森の中の展望台が映画では風力発電の風車が立ち並ぶ未来的な風景となり、より印象的なシーンとなります。麦畑を車が走るシーンも映像のほうがより印象的です。 逆に小説では麦畑を疾走した後崖から落ちそうになり、そこからの風景のシーンがとても美しいのです。以下小説からの引用です。 【眼下の急斜面には、青々とした牛用の牧草地が広がり、そこから延々と続く畑、木立や小さな野道~中略~地平線から雲がもくもくと湧き上がっていた。遠くに見える教会の塔の上で稲妻が走ったが、あたりはまったく静まりかえっていた。 フロントグラスに雨が打ち付ける、僕はクレイダーマンを消した。~中略~小さな白っぽい雲が、黒々とした雲の下をくぐりぬけて飛んで行く。 青みがかった灰色のベールが遠くの丘を、そして近くの丘を覆い始めた。雲がわきあがると、まるでローラーのような勢いでこちらに向かってきた(まるでインデイペンデンス・デイみてえ)とチックが言った】そしてこの後突然風がやんで・・こう続きます。 『一分間、何も起こらず、今やコカコーラのビンの文字さえ読めないほどの暗さになっていた。そして、フロントグラスをバケツ一杯の水が壁が落ちてくるような勢いで落ちてきた。』 上に引用した場面がなぜか僕にとっては、とても印象に残ったのでした。 そうそう、ここでクレイダーマンについて書かなくてはならないでしょう。わかる人にはわかるでしょうが?あのリチャードクレイダーマンです。この映画では彼のピアノのヒット曲が実に効果に使われています。(原作にも登場しますが、音楽そのものが聞こえてくる映画の方がその効果はより強烈です) 音楽好きな人は眉をひそめて【あのリチャード・クレイダーマン!】と疑問符を投げつけることでしょう! まさに陳腐で感傷的なムード音楽の典型だからです。僕だって内心、初心者の聞く音楽と少しは馬鹿にしていたのです。 それがこの映画のシーンの中で流れると、なんだ・・結構いいかもしれない!とさえ思えてしまうのですから不思議です。 少年たちも馬鹿にしながらも、内心気に入った様子でさえあるのです。 考えて見ると、これほど、この映画(小説)のテーマに相応しい音楽はないかもしれません。 なぜってこの映画(小説)に登場する人物たちは皆が顔をしかめるような人ばかりなのに、そんな人たちだって実はそう悪いもんじゃない!・・と思ってしまうのと同じように、クレイダーマンだって捨てたもんじゃないという気がするからです。 いままで最悪だと思っていた音楽だってどこか良いところはあるものです!(クレイダーマンさん、そしてファンの方ごめんなさい) そして人生もまた同じです。 映画と小説では結末付近で大きく展開が違っていて、無事逃げおせたはずのチックが捕まっていたり、映画では50年先まで会えないはずの彼女から手紙が来て、すぐに再会することになったりするのですがそこに流れている空気は同じです。 どちらが良いというよりは、どちらもありといった風に僕には思えたのでした。 何れにしても殺伐として刺激の多い作品が多い中、爽やかな味わいがある上にとても面白い作品です。映画も小説もおすすめです。 何よりも疲れません!
by omoshiro-zukin
| 2017-10-16 14:20
| おもしろ映画
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