驚異の人、逗子のMさんと久しぶりに合って横須賀までランチを食べに行ったこと(その2)。 |
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2018年 10月 04日
とはいえせっかくなので、そのMさんの話の中で、なんとか記憶に留められたことだけでも、ここに書いておこうと思います。 まずはその1、逗子の縄文人の話しから。 逗子の縄文人の遺跡からは黒曜石の矢じりとか釣り針とかが見つかるそうですが、この黒曜石は伊豆の神津島で採掘されたものなのです。 ということは縄文時代に伊豆から逗子の間に往来があったということです。 そのころ黒曜石の集積所が伊豆の稲取あたりにあり、逗子の縄文人はそこまで黒曜石を受け取りに行っていたそうです。 縄文時代はそこいらあたりで狩りなどして、そんなに遠くまで移動するようなイメージはなかったのですが、実は人々は相当ダイナミックな交流をしていたようです。 2万年くらい前に伊豆に住んでいた人々は、すでに船を操って島にわたり黒曜石を採掘していたのです。 Mさんがいつも語るのは日本は古代から現代にいたるまで海洋国家だったということです。 江戸時代も実は本当の鎖国ではなく(最近の教科書からは鎖国という言葉が無くなったそうです)4つの口を通じてかなり頻繁な海外との交流があったそうです。 現代においても食糧の自給率は38%ですから、食糧の大半は海を渡って船で運ばれてくるのです。 その2、話しは明治時代に飛んで鍋島藩の話しです。 鍋島藩はペルーが来航してそのすぐ後、見よう見まねで電信機を作ったそうです。 明治時代の日本の技術力は想像以上にすごかったのです。 そして驚くべきはその2年後には博多から東京まで電線を引いてしまったそうで、西南戦争の時にはその情報はすぐに電信で送られていたのです。 その電線を引く工事を請け負った会社が後の東芝になったというお話。 その3、世界初の太平洋横断飛行の話しです。 大西洋を飛行機で初めて横断した話しは、年輩の人ならだれでも知っています。 ジェームス スチャートの主演で映画にもなったし、リンドバーグの名前も有名で、その息子の誘拐事件まで知っているほどです。 ところが太平洋の飛行機による初横断のことはいままでまったく知らないばかりか、気にもしていませんでした。 その理由はリンドバーグが横断した大西洋はアメリカとヨーロッパをつなぐ空路だったからです。 2つの先進国が舞台で、目的地も有名なパリなのですから、注目されるのは当然です。 それに比べると極東の島国の北の田舎町からアメリカの北の港町での飛行がそれほど話題にならない理由がわかります。 時は1931年の4月(リンドバーグの大西洋横断の4年後です) 二人のアメリカ人パイロットが青森を飛び立ち、41時間かけてシアトル(正確にはウエナッチ)まで飛ぶことに成功します。 これが初の飛行機による太平洋の横断でした。 日本中を飛び回って探し当てた出発地が、アメリカに一番近くて長い滑走路のとれる青森県の三沢市、淋代海岸でした。 ここから西海岸の北にあるシアトルまでがアメリカへの最短距離なのです。 当時の飛行機ですから重量を軽くするため食糧もほとんど積めません。 重量を軽くするために、飛び立つと、すぐに足を切り離してしまうのでから、その軽量化への執念はすごいものです。 そしてシアトルにはなんと胴体着陸をしたのです。 もちろん食料も軽量化の為に最低限しか積んでいません。 そこで出発するとき小比類巻さんが(このあたりに多い名前)これを食べてくださいと青森名物のりんごを一つあげたのです。 ワシントン州シアトルの周辺は青森と同じようにリンゴの名産地です。 無事にアメリカに辿りついたパイロットは感謝の気持ちにワシントン州名物のリンゴを青森に送ります。 そのリンゴが元となり、リチャードデリシャスという品種が日本でも栽培されることになったそうです。 そしてその改良種が日本でもどんどんと出てくるのです。 (実際にはリンゴそのものは税関の検疫で止められ、その後苗木が送られてきて、その苗木を元に日本でも栽培するようになったようです) 僕はこの話を初めて聞いたのですが、Mさんがどうして知っていたのかと言うと、仕事がらみだったからです。 80年代に青森市からこの話しを映画にし、青森の宣伝のために使いたいという企画の相談がMさんのところに持ち込まれました。 実際には映画は友人が撮ったそうですが、Mさんはこの話しをイラストにして小冊子にするという仕事をしたのだそうです。 聞けば聞くほどいろいろな分野の仕事をしているものです! こんな話しをいろいろと聞きながらランチを終えコーヒーを飲んで、日本書紀に出てきた海を眺め、帰途についたのですが、軍事ものにも詳しいMさんです。 中国が日本が航空母艦を持っているのはけしからんと抗議し、日本はあれは航空母艦ではありません、と言い張っている船が泊まっているはずなのでちょっと見ていきませんか?と車をヴェルニー公園まで走らせます。 行ってみるとその問題の船【日向】が確かに停泊していました。 しかしその堂々とした姿、これはどう見ても航空母艦に見えます。うーん。(正式にはヘリコプター搭載護衛艦) 見ていると突然雨が降り出したので急いで退散。 逗子駅まで送ってもらったのですが、この後僕は鎌倉で降りて、ジム(体育館)に行き、Mさんの多彩な話しに着いていくのに疲れた頭をほぐすべく? 筋トレとストレッチで2時間を過ごしてから自宅に向かったのでした。 (今回の写真は先週の東慶寺と海蔵寺です)
by omoshiro-zukin
| 2018-10-04 08:50
| おもしろ旅
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