すっかり面白さにはまって、先月に引き続き横浜能楽堂にふたたび狂言を見に行く、その3【ぬけがら】 |
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2018年 11月 17日
その理由の一つは空間にあります。 自分がいる空間というのは実はたいそう大事なもので、たとえばイタリアレストランでいくら美味しい料理を食べても、狭苦しくてくつろげない空間ならその味は半減するし、逆に飲茶なんかは、それなりにごちゃごちゃした雰囲気のほうが美味しく感じたりもします。 狂言が演じられるのは能舞台です。 この舞台は能と狂言でしか使われない特別なものです。 初めて能楽堂にはいって舞台を見ると、思わず声をひそめてしまうような、厳粛かつ静謐な感じがします。 それは山奥の神社に参拝している感じによく似ています。 この静粛な雰囲気は、ヨーロッパの古い教会などでも同じ様に感じるもので、ある種の宗教的目的で建てられた建築物だけが持つ独特のものなのです。 もともと能舞台はあの世の世界(神様のいる場所)だそうです。 その装置のなりたちは、この世と極楽を繋ぐ(浄土式庭園)と非常によく似ています。 舞台の奥の鏡板にかかれている老松は、本来本当の松が立っていたそうで、かつて影向(ようこう)の松の前で演じられていた能の原型は神さまを迎える神事だったのです。 当初の能は観客に背を向け、舞台の奥に向かって神様に呼びかけていたそうです。 神事の舞台だったのですから、そこに厳粛な雰囲気が残っているのも当然です。 浄土式庭園にある太鼓橋はこの世とあの世をつなぐ道具なのですが、能舞台ではそれが舞台から続く長い廊下のような【橋掛り】となっています。 歌舞伎の花道とは全く意味合いが違うのです。 これを渡ることによって、あの世の世界(極楽浄土)に行くことになるのです。 当前のようにこの脇には松が植えられています。 もう一つ大事なのが【州浜】です。 昔の日本人にとって極楽は島のイメージを持っており、そこに渡るには船か橋が必要です。 そして州浜はあの世へ上陸する入り口としての意味を持っています。 本来は白砂なのですが、これだと飛び散ってしまうため、いつしか白い石に変わったようです。 昔から日本では白い砂(石)は神聖なものとされていたのです。 伊勢神宮の境内には石が敷き詰められており、その石は人の手で一個一個すべて巾(きん)で清められているそうです。 浄土式庭園にも、必ず州浜があるのですが、能舞台の脇にも、同じ様に白い石が敷き詰められています。 これが浄土と現世の境界線の役割をしているのです。 ・・と、ここまでの講釈は建築史家の藤森さんの受け売りです。(多少間違って解釈しているかもしれません、あしからず) こんな神聖な意味を持つ能舞台が、独特の雰囲気を持っているのは当たり前かも知れません。 そしてそこで演じられるものが、普通の舞台より強い印象を与えるのも、また当然でしょう。 面白いのはこの神聖な舞台で、能が演じられるのはわかりますが、なぜ狂言のようなコメデイが演じられるのかということです。 ここからは僕のいい加減な意見なので、あまり当てにはなりません。 そこには日本人の持つ独特の宗教観というものがあるような気がするのです。 厳しい戒律を持つ一神教の神の場合、神様の前で騒いだりふざけたりすることは厳禁です。 当然ながら、神殿はあくまで厳粛なものなのです。 ところが日本の場合は、昔から神様も楽しませてあげたい、とか、神様も一緒に楽しみましょう、みたいなところがある気がするのです。 神様が天の奥深くではなく、人と近い場所にいるのですね。 なんといっても日本神話では岩戸に隠れた神様を、踊ったり歌ったりして、引き出してしまったという実績があるのです。 そこで神様だって楽しみも必要だとされ、狂言も演じられるようになったのではないでしょうか?(あくまで僕の個人的感想) いずれにしろ伝統的な文化の中にコメデイ(笑い)の要素が入っているというのは、すごく誇れることだと思います。 日本は昔から懐の深い、大人だったのです。(もちろん全てがそうだった訳ではありません、ある部分においてはということです) 最近は一つの価値観による、一つの正義の押し付けが当たり前の世の中になってきました。 それだと、能があれば狂言はいらないということになってしまいます。 世界中がもっと大人になってほしいものです。 さてもう一つの要素が演者の技量です。 まず狂言を見ていて気持ちがよいのは、演者の声が恐ろしくよく響くことです。 せりふを聞いているとまるで、オペラのアリアを聞いているような、気持ちの良さを感じます。 狂言も歌舞伎と同じく世襲制です。 小さいころから徹底して訓練された芸は、一朝一夕で出来たものとは自ずから違うオーラを発しています。 わけのわからないシロートの僕が見ても、その滑らかで無駄のない動きには唸らせられます。 これが長い時間をかけて引き継がれている、伝統芸というもののすごさなのでしょう。 こればっかりは目の前で本物を見ないとわかりません。 スマホやTVの画面では永遠にふれることの出来ない世界なのです。 なんでもスマホで見られると思うと大きな間違いなのですけどね・・・・。 最後に【衣装】について書かねばなりません。 舞台は書き割りや舞台装置などのない、いつも同じシンプルなものです。 その分衣装がよく映えます。 衣装そのものが舞台装置と言っても良いのかもしれません。 実は今回の公演で、一番印象に残ったのは【ぬけがら】の太郎冠者の衣装だったかも知れません。 もともと狂言の衣装はとても斬新に見えます。 チェックの着附(きつけ)に模様のついた半袴(はんばかま)と、ドリス バンノッテンのような個性的な組み合わせです。 そしてその上に羽織るのが肩衣という衣装なのですが、この模様がこれまた大胆で面白いのです。 この肩衣のデザインは、伝統にとらわれず演者が自由に選んで良いらしいのですが、ぬけがらの太郎冠者の肩衣の模様は実に見事でした。 前はススキの模様なのですが、時々後ろ姿が見えると、背中の部分になにやら白っぽい大きな丸いものが描かれているのが見えます。 最初は(ふくろう)かなにかが描かれているかなと思ったのですが、よーく見るとこれは大胆にも、大きく描かれた満月なのです。 前面はススキの穂、後面がススキの後ろに輝く満月という、秋にふさわしい、美しい衣装でした。お見事! 月は日本の絵画の中でも、特に極めて大胆な表現で描かれている気がします。 画面からはみ出るほど大きく、銀泥で描かれたアーモンド型の月の、斬新な表現にはいつも驚かされています。 この背中の月の模様が気になって、こちらを見るほうにも、ずいぶんとエネルギーを使ってしまいました。 というわけで狂言というのは、面白いだけでなく見どころも満載で楽しめるものなのです。 しばらく狂言通いが続きそうです。
by omoshiro-zukin
| 2018-11-17 08:35
| おもしろ狂言
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