【奈良大和四寺のみほとけ】と【円山応挙から近代京都画壇へ】を見に、久しぶりに上野に行ってみた。。(その2) |
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2019年 09月 07日
続いては「表慶館」です。
これまた明治を代表する堂々たる建物ですが、こちらは青銅の青いドームが目立つ、みるからに西洋風の建物です。 現在は青銅風の青色の塗料が塗られているそうですが、この塗料はスグレモノで、酸化すると銅と同じように緑青が生じてそれらしい色になるそうです。技術の進歩はすごい! 西洋風なのもあたりまえで、これはフランスのネオ・バロック建築という様式で建てられているからです。 設計はコンドルの弟子の片山東熊です。 現在の赤坂離宮迎賓館(元は明治天皇の御所)も設計しているのですが、この2つは同時期に建設されていたというのですから驚きます。 (下は赤坂離宮、借り物写真です) この2つの建物は外観も非常によく似ています。 さてこの表慶館、一見してまったくの西洋風なのですが、一つだけ日本風のものがあります。 それは建物の上部の外壁にはられているリレーフです。 外壁には楽器、や製図道具などのモチーフにしたリレーフがはられているのですが、その中の一つが般若の能面なのです。 これは教えてもらって初めて気がつくのですが、肉眼ではちょっと判別しがたいものです。 コンドルの作った本館が地震で倒れた後は、ここが本館として展示室に使われていました。 現存する東博の建物の中では一番古く、明治42年に建てられたものです。 本館が地震で倒れたのに、なぜこの表慶館が倒れなかったのか? 残っている写真でみると、その基礎工事はまるで要塞を作っているように見えるほど、コンクリートで頑強にできています。 その上に壁の厚さも厚く、薄いところで90cm、厚いところではなんと180センチもあるのです。 それが関東大震災でもビクともしなかった理由です。 現在は催しものが無いと中に入れませんが、以前に一度ロビーまで入ったことがあります。 床はきれいなモザイク模様で、天井を見上げるとドームの屋根が見えます。 その内側には騙し絵を使った装飾があります。 とはいえ、実はあまりよく覚えていないので、機会があればもう一度入ってみたいものです。 そして今回初めて訪れたのが「法隆寺宝物館」です。 ここは表慶館の裏側という隠れた場所にあり、しかもなぜか東京で法隆寺の宝物というのもなんだか不思議な感じでした。 今まで、特別展と本館をみたらここまで足を伸ばす時間的な余裕もなかったのです。 ところが由緒ある大名屋敷の黒門の横を抜けると、目の前には池を前にした近代的な建物がそびえていたのです。 池のほとりにある柳の木を水面にうつして、整然と佇むその姿は平面と直線、非対称という日本的な構成要素を使いながらシンプルかつ近代的で、これこそひと目見て美術館!というような雰囲気を持った建物だったのです。 いままで見た本館や表慶館の威圧するような立派さと違い、いかにもすっきりとした現代的な建築なので、そのあまりの違いにはっとします。 この建物をひと目で好きになったのは建物と外の風景が実に調和が取れていることです。 その印象は建物の中に入っても変わりません。 内部の前面は大きなガラスとお障子のような格子に区切られて、池とつながっているように見え、外光がそそぎ広々としています。 このエントランスホールに座って池を眺める風景はとても心地よいものです。 それでいて展示室とはしっかり石の壁で区切られており、展示物を光で痛めることのないという、配慮も万全なのですから、実に優れた設計です。 2階のロビーにも椅子が置いてあります。 ここも池を見下ろしながらゆっくりと寛げる良いスペースです。 なんといっても建物の前に池を置くというのが素晴らしい。 秋の紅葉の季節には池に映る影もまた色とりどりで綺麗なことでしょう。 そして外観は、ライムストーンという温かい色合いを持った石で覆われています。 この石の外観も風景とよく似合っています。 後でこの壁をじっくりと眺めると、肉眼ではっきりとわかるほど鮮明なアンモナイトの化石を見ることが出来ました。 ここもまた、建物はそれだけで完結しないという良い見本のように感じられます。 この外の風景とつながっている雰囲気は前川國男とか坂倉準三などと似ているなと思いました。 平成になってからでも、こんな素敵な建物が出来ていたことを知って嬉しくなりました。 設計はニューヨーク近代美術館をてがけた谷口吉生です。 今話題のホテルオークラのロビーをはじめ、銀座の松坂屋の後にできたGINZA SIXも彼の設計というではないですか! 今度ぜひ行ってみなくてはと思ったのでした。 さて、そもそもどうして法隆寺の宝物が東京で保管されているのか?その理由もわかりました。 それはやはり明治時代の神仏分離政策による「廃仏毀釈」が原因だったのです。 学校ではなぜかあまり丁寧に教えてくれませんが、明治政府が国策のため神道を唯一の国の宗教するために行った「廃仏毀釈」は、想像以上に激しいものでした。 それまでお寺の神社は仲良く共存していたものが、いきなりお寺だけ追い出されたばかりか、寺院、塔、仏像など、かなりのものが破壊されたのです。 現在では国宝級の扱いをされている法隆寺の宝物も、その波をかぶる恐れがありました。 ところがさすが知恵のあるお寺です? そのお宝をなんと皇室に寄贈してしまったのです。 それが現在はこのような形で、こんな素晴らしい建物のなかで展示されているのです。 そう考えるとなんだか不思議な感じがします。 そしてもう一つ見逃せないのがこの建物の横にある「旧十輪院宝蔵」(校倉)です。 あまりに隅の方に追いやられているので、つい見逃してしまいますが、見どころのあるものです。 これは奈良・元興寺の別院、十輪院にあった鎌倉時代に作られた宝蔵です。 宝蔵といっても、金銀財宝が閉まってあるわけではなく、それよりも大切なお経がしまわれていました。 これも廃仏毀釈の影響で壊されそうなものをここに移築したのです。 大変小さなものですが、日本で一番小さい校倉造りの建築です。内部には絵も書かれているそうですが、それは見られません。 床下の石には十六善神(四天王と十二神将)の絵が書かれており、外から見ることができますが、薄れているので判別するのが大変です。 とここまでですでに、早くもお昼の時間が過ぎようとしています。 お腹も空いてきたので、急いで平成館まで戻り、お弁当を食べることにしましょう。 (まだ目的の奈良のみほとけも応挙にも、たどりついていませんので、まだ続きます)
by omoshiro-zukin
| 2019-09-07 07:24
| おもしろ美術
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