トーハクで仏像を見てゴンザロ・ルバルカバを聞いたこと。(その2、上野はすごい?) |

さてまずトーハク本館の正面玄関を入るとそこは広くて薄暗い昔の世界に足を踏み入れたような雰囲気のある空間となっています。この奥で目指す特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」をやっています。かなり薄暗い会場には平日にしては驚くほどの人がうよめいています。正面には高さ3メートルもある巨大な十一面観音の坐像が入場者を見をろしています。
今回ここに展示してある20体の仏像はすべて平安時代に作られたもので滋賀県、琵琶湖の南に位置する甲賀にある櫟野寺に伝わっているものです。こんな場所にこんなに沢山の仏像が残っているのも珍しいことで、今回のように寺外で展示するのは初めてだそうです。かなり薄暗い会場の中を取り囲むようにならんでいる20体もの仏像はそれは荘厳な眺めです。同じ時代の同じ地域で作られた仏像なので様式が似ているそうですが、それぞれ顔が違うなとか、坐像が右手を揚げていて、立像は左手を上げているのはどんな理由なのかなどと、つまらない事を考えながら見ていたのですが、長い年月を経た仏像がこんな場所にまとまって存在しているのはどこか時空を超えているような不思議な風景でした。
時の流れに風化して木の地肌の出ている仏像を見ていて不思議に思ったのは、そういえばどこで仏像を見てもえらく古びて見えるということでした。古いものなのであたり前といえば当たり前なのですが、これらの仏像が出来たときにはたぶんピカピカだったのではないかと思うのです。下の写真はたまたま先日都内の某お寺の本堂に入る機会があったのでそこで撮ったものです。当時の仏像はこのようにきらびやかなものだったのではないかと思うのですが?

今回展示されている古色に彩られている仏像も、もしかしたら出来たときにはこの写真のようにピカピカに輝いていたのではないでしょうか?それはこの博物館の薄暗い空間に時の流れに置きわすられたようにずらーっと並んでいる風景とは随分異質なものだったようにも思えるのです。しかしわれわれ日本人にはピカピカの黄金色より(たぶん)このように木の地肌が出てしっとりとした風情を漂わしているような姿のほうがなぜかしっくり来る気がするのです。
そこで疑問に思ったのは、たとえばこれが外国の宗教施設だとしたら塗装が剥げて、どんどん古びて行く神様たちの姿をそのままにして置くのか?ということです。たとえばこれらの仏像が遺跡だとか現在使われていない寺院にあるものならわかります、しかし日本では現役?のお寺にある仏像でも再び金色に再塗装したりせずにあえた古びたままの姿を残しているように思えるのです。
季節の移り変わりと木像建築による日本の文化は【事物は自然に風化して過ぎ去っていくもの】というどこか諦めににた概念を生んだのではないでしょうか?
灼熱の太陽と砂漠の世界の【あるかない】にはっきりわかれた世界や変化の少ない石造りの文化とは違い、日本にはあいまいなものでも受け入れてしまう独特の寛容の概念が存在する気がするのです。それは素晴らしいことだと思えるのです。そこには詫び、さびを生んだ【日本人特有の美意識というものがあるのではないか?】と大発見をしたような気持になったのですがはたしてどうなのでしょう?そんな事を思った仏像展でした。
(したの写真は暮れてきたトーハク前の池です)

さてトーハクの莫大な量の展示も面白いのですが、この建物の内部装飾もなかなか面白い物でした。下の写真は2階のホールですが、バルコニーに出るとそこから庭園と茶室が見えると言う日本的風景なのですが、この部屋はなぜかイスラム様式でデザインされています。(下の写真がその部屋です)

鎖国が終わり明治時代に一気に西欧文化が入ってきたとき、一番最初に作られた西洋建築が鹿鳴館でした。そしてこの鹿鳴館を設計し明治時代の西欧建築を引っ張ったのがジョサイア・コンドルでした。彼は大の日本通でもあり絵画では近年評価の高い河鍋暁斎【狂斎】の弟子でもありました。このコンドルさんは日本に西欧建築を導入するにあたり、西欧と東洋の接点はそれが交わる場所、すなわちイスラム圏である!と断定して建築にイスラム様式を取り入れたそうです。日本で最初の西洋建築である【鹿鳴館】にイスラム風の様式がみられるのはとても面白いことです。そんなこともありコンドルさんの弟子が設計したこのトーハクにイスラム風装飾の部屋があるというのもある意味おかしくないことかも知れません。

さてこのトーハクを休み休み(休んでいた時間のほうが長い!)見学しているとなんと閉館時間の5時となってしまいました。昼過ぎに上野についたので時間があまったら早めに夕食を取ってなどと思っていたのですが、すっかり疲れてしまい時間も時間なので上野駅の貴賓室を使ったレストランは諦めて、同じ公園内のカフェで早めの夕食を取ることにしました。ありがたいのはこの公園内にもスタバとかちょっとごじゃれたオープンカフェがあることです。ちょっと昔だったら考えられないことです。そんなわけでオープンカフェの外の席で夕方の涼しい風にあたりながら、そこそこの味のスパゲッテイを食べゆっくりとコーヒーを飲んでいたら早くもコンサートの会場時間となってしまいました。なんといっても同じ公園内ですから会場まで歩いて数分、ほんとうに便利です。
会場に行って驚いたのはJAZZのソロピアノというマニア向けの地味なコンサートかと思っていたのですがしっかり満員で、しかも女性(おばさん)の割合が多いことでした。半分以上が女性という感じです。クラシックのコンサートだと男性(おじいさん)ばかりが目立つのですがちょうどその逆の感じでした。ルバルンカの演奏は昔のCDを何枚か聞いたことがあるのですが、超絶テクニックの速弾きで女性ファンに好まれると想像される北欧系しっとりピアノとはまったく違うのでこの女性客の多さは意外でした。かといってブルース色も皆無の上トラデイショナルなJAZZという感じでもないので昔からの生粋のJAZZピアノファンはちょっと苦手なタイプかも知れません。

静かなタッチで演奏が始まります。最初の数曲はまるでクラシックの現代音楽のように聞こえます。曲によってはドビッシー風にも聞こえます。速弾きでがんがん来るかと思ったのですが、なかなかしっとりとして良い演奏ではないですか!しかしむかしのJAZZは一応わかり易いメロデイがあってそれを崩していってまた最後にはそのメロデイに戻るという形があったのですが、彼の演奏を聞いているとわかり易いメロデイーなどと言うものはほとんど存在しないのでかなり難解ではあります。しかし流れるように紡がれていく生のピアノの音を聴いているのは実に気持ちのよいものです。これがシューベルトだったら!などと思った時もありましたが、これはこれで確かに彼の世界が出現していたのでした。
アンコールで会場にいた小曽根真が舞台に呼び出され二人で演奏した連弾はそれは見事なものでした。昔小曽根のライブを見て、そのあまりに魂の抜けた演奏ぶりにがっかりした事があるのですけど、さすがにすごいテクニックの持ち主の二人の火花を散らすような掛け合いは実に楽しい物でした。これで終わりかと思ったらこの演奏でさらに乗ってきたようで、この後さらっとビートルズのイマジンを、こちらはメロデイ主体で弾いて、さらにその後2曲も気合いの入った素晴らしい演奏が続いたのでした。
長いアンコールも含めて7時ちょっと過ぎに始まったコンサートはまったくの休憩無しでちょうど9時に終了したのでした。1人で2時間弱も弾きまくったルバルンカは相当疲れたことと思いますが、おかげさまでずいぶんと聞きごたえのあるコンサートとなったのでした。というわけで昼過ぎに上野公園についてそこを出たのは夜の9時すぎですから、なんと8時間近くも公園に滞在したことになりました。上野はすごいところです。(下の写真は上野駅のコンコースの天井です)
