三渓園は楽しいところだということ、原三渓さんがすごい人だということに今頃気が付いた。(その2) |
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2017年 07月 09日
園内に入ると水鳥の遊ぶ池があり、その奥には小さな山がそびえ、その上には三重塔が聳えると言ういかにも日本的な風景が目に入ります。 園内を流れるいくつかの小さな流れはこの公園にうるおいをあたえていますが、実はこの場所はこうなる前は平坦なただの田んぼだったそうです。 そして現在山の上から園内を流れて池に流れ込んでいるいくつかの川の源流は湧水ではなく、池の水をポンプで組み上げて循環させているというのです。 この山あり池ありの広々とした公園は実は完全に人工的に作られた庭なのです。 もちろん当時はそんな高性能なポンプなど存在せず特注でポンプを作らせたそうです。 そんな大胆なことを明治時代にやってしまうのですからそのスケールの大きさに驚きます。 (下の写真は手水鉢として使われいますが、もとは橋げただったもの、たいそう古いものです) 園内にある建物は三渓さんが全国からえりすぐって移築したもので、なかには移築するに辺り、もともとあった場所にわざわざレプリカを建てることを条件に、本物を持ってきたものもあるそうです。 下の写真は建物に使われている木材なのですが、よく見ると木目が波打っています。自然に波打つ木目を手に入れることは非常に難しく、もし建て直すことになってもこの木材を手に入れるのは難しいそうです。(写真が悪くてよくわかりません。すみません) 建物以外にもさりげなく置いてある石も凝っています。 下の写真は建て直す前に奈良の東大寺に使われていた礎の石です。 こちらは秀吉が手を洗ったかも知れないという手水鉢です。由来を聞けば珍しいものばかりですが、きいてもほとんど忘れてしまっているので詳しく書けません!。 この庭園や移築した建物だけでなく、原三渓は古美術品のコレクターでもありました。 建物だけでなく、それだけのものを集めるエネルギーもすごいのですが、原三渓の絵や書を見るとこれが、あまりに上手なのでびっくりします。 素人の僕などが見るとプロの絵描きの書いたものと言われてもはいそうですかと納得してしまいます。 ただ鑑賞するだけでなく自分でもこれだけ描けるのですから、ただの実業家ではありません。 自分で描くばかりではなく横山大観、下村観山、今村紫紅、小林古経、安田靫彦、前田青邨、などの有名な画家たちを援助していたことでも有名です。 金額も半端なものではなかったそうで、もらいすぎだと思っていた画家もいたそうです? 中でも紫紅、靫彦、古経、青邨、は月に一度は三渓園を訪れ、三渓所有の古美術品を鑑賞したり議論しあったりしたそうです。 (こういうどこやらで発掘されたという石棺などがさりげなくあります。下の写真) 園内にある原さんの住居だった場所が公開されているときに中に入ったことがありますが、そこには画家たちと一緒に絵を観賞(論評?)する部屋というのがあり、そこに置かれていた素敵な中国風の椅子やテーブルも原三渓がデザインしたものでした。この部屋で錚々たる画家たちと絵について語りあっていたのです。 (下の写真はその椅子とテーブルです) もともとあまり日本画に興味が無かった僕が日本画に興味を持つきっかけとなったのもここで見た日本画の美しさに惹かれたこともあります。 今村紫紅の南画風の明るい風景画、端正な構図と繊細な線の安田靫彦、などなど、ここで初めて出会った日本画というものがとても新鮮に感じられ、それから日本画の展覧会に行くようになった気がします。 しかしコレクターとしての原三渓の顔は関東大震災と共に終わります。この震災で大打撃を受けた横浜の復興に原三渓さんは全てのエレルギーを費やすことになったのです。 (同じく三渓さんがデザインした椅子とテーブルです) ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-07-09 00:07
| おもしろ美術
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2017年 07月 06日
初めて三渓園に行ったのは、たぶん高校1年生の頃ではないだろうか?
ずいぶんとむかしの事ではあります。さすがにその頃には三渓園の前の海は埋め立てられてなくなっていましたが、(友達は昔泳いだことがあると言っていました)まだそこには工場などが建っておらず、なにもない茫洋とした土地が広がっていました。 初めて自分のカメラを買ってもらい、喜びいさんで写真を撮りに行ったのが、なぜか初めての三渓園でした。 もちろんまだ白黒フイルム全盛の時代です。なぜ三渓園に行ったのか理由は不明です。 そのカメラはニコンの最廉価版でニコレックスというもので、値段は安いながらも機能は一眼レフだったとおもいます。 シャッタースピードと絞りの組み合わせが適正かどうかメーターで確認できるという便利な機能がついていました。 その後古いニコンのこれまた下位モデルですがニコマートという、これは本格的一眼レフのおさがりをいただきましたが、これは露出を合わせるメーターなどついていない、まったくの手動でしたから完璧に使いこなすことが出来ないままでした。 その頃までは、ある程度カメラに興味を持っていたのでしょうが、なんせ当時はデジカメではないのでフィルム代も現像代もかさみます。 かといって自分で現像するほど凝り性ではないので趣味まで発展することなく、いつしか忘れられていました。 その後カメラを購入したのは、ずいぶんと後の事、会社に入ってしばらくしてからのリコーのGR-1(フィルム)だけでした。 このカメラにはずいぶん手こずりました。どうしても自分の思っているように映ってくれないのです。 どうしてこんなに上手く取れないのだらうと自分の才能と腕に見切りをつけて、すっかり写真から興味を失ってしまいました。 それがなんだか自分でも上手く撮れるじゃないと初めて思わせてくれたのが携帯についていたのメラでした。どういう訳か、これで取るとGR-1では上手く撮れなかった夕暮れの空など実にいい色あいで撮れるのです。 もしこの携帯と会わなければ写真など撮ることはなかったでしょう。 これはしめた、自分でも結構見られる写真が撮れるじゃないかと思いFBに投稿してみると意外にも褒めてくれる人がいるのです。 そこで調子に乗ってブログなどにも写真を載せるようになったわけです。 というわけでこのブログの写真のほとんどは携帯で撮ったものです。 その前にも記録用として安価なデジタルカメラは持っていたのですが、この携帯付属のカメラほうが数倍気に入った写真を撮ることができたのも不思議なことでした。 ともあれその時、わざわざバスに乗って写真を撮りに三渓園まで行ったのですから、そこには何か写すべきものがあったに違いありません。しかしその後つい数年前まで三渓園に足を踏み入れたことは無かったのです。 三渓園にちょくちょく行くようになったのはここ数年のことです。 なにかの機会に行ってみると覚えていたよりもずっと良い場所だというのがわかり、すぐに回数券など購入してその後はかなり頻繁に訪れるようになりました。 三渓園というはその名前のとおり原三渓さんが作った自宅の庭です。すごいですね昔の人は!とつくづく思います。 東京に残っている多くの庭園のように大名や貴族が作ったのではなく、民間人が力(財力)を持つことが出来るようになった明治時代に生糸が生んだ財で作られたものです。 近頃でも株などで億万長者になる人が沢山いるようですが、その財力を芸術方面に発揮する人はとんと少なくなったようです。 原三渓はお金もありましたが、それだけでなくその教養と眼力の確かさは現代の世には求むべきもないほど優れていたのです。 今回の写真は珍しくもすべて本文とマッチしていて、三渓園の写真です。 (ながくなったので次回に続きます) ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-07-06 16:30
| おもしろ美術
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2017年 06月 20日
ゴールデンウイークにたまたま横浜の根岸の競馬博物館で安野光雄の原画展というのを見た話は以前に書いたと思います。
安野さんの絵本には昔から親しんでいたので懐かしい気がしました。先日その安野さんの書いた本【私のあいたい画家】という本と読んでいたら、安野さんの知人でもある画家、野田弘志のことが出ていました。 彼は俗にスーパーリアリズムといわれる写真をさらに精密にしたような絵をかく人で、その本にはまるで写真のように見える、彼が描いた詩人の谷川俊太郎さんの全身象が出ていました。 谷川俊太郎さんも絵本で親しんだ人です。絵本の中の【かっぱかっぱらった、らっぱかっぱらった、らったったー】というフレーズが今でも口に浮かぶほどです。 そして離婚歴数回?という谷川さんを救ったというのが呼吸法で、その方法を教えた加藤俊朗さんという人の【呼吸の本】というのもとても面白い本で、たまにこの呼吸法を試したりしています。このスパーリアリズで描かれた谷川俊太郎は実に印象的でした。 このように人は実にさまざまな部分で繋がっているものです。 (下は美術館の外の展示) なるほどスーパーリアリズムね!などと何となく思っていたのですが、実はそれだけがきっかけで【リアルのゆくえ】展に行ったわけではありません。 そのおもな理由は鰻なのです?。実は以前から鰻好きの知人が安くて美味しい鰻屋や平塚にあると言っていたので、ずっと気になっていたのです。 そのお店は昔はボロボロの木造の建物で、当時はそれほど込み合うこともなかったそうですが、改築してきれいになってからは予約しないと入れないほど混み合っているそうです。 そこで美術館と鰻の一石二鳥だと思ったのですが、世の中そう甘くはありません。案の定そのお店はすでに予約でいっぱいでした。 それでも平塚には最近できたモールにアメリカのハンバーガーチェーンのカールズジュニアが入っています。ハンバーガーでもいいかと鰻は早くもハンバーガーに変身していたのでした。 平塚市は競輪場やボートレース場があるため余裕があるのか?公共施設はとても使いやすくできています。我が町と比べると雲泥の差があります。 例えばこの美術館の立派な駐車場ではチケットはありますが、美術館で認証を受ければ無料です。 美術館の建物は立派ですが入場料はやすく今回この【リアルのゆくえ】と【浮世絵に見る神奈川の名所】と二つの展示をあわせて700円で見ることができました。 【リアルのゆくえ】の副題は高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐものもの、というもので明治から現代まで日本絵画の写実表現を追いかけたものです。 チケットには教科書などに乗っている高橋由一の吊り下げられて身の一部を削られた鮭の絵と、この絵とほとんど同じように見える鮭の絵が並べて印刷してあります、こちらはべつの人の作品で、よく見ると鮭に縄がかかっているのが違っています。 写実的に描かれた作品に何かを付け加えることによってそこに新しい世界が登場するという手法は森村泰昌さんの作品でよく見られるものです。 吊り下げらた鮭の顔だけが森村さんだったりしたら結構不気味で面白いのに・・などと不謹慎なことを考えながら会場を巡ります。 高橋由一の作品で思い出すのが、こうや豆腐を描いた作品です。だいたいどんなつもりで地味なこうや豆腐を描いたのかとても不思議で、その不思議さ故にこうや豆腐の存在感がどんどん迫ってきます。何とも不思議で忘れがたい絵です。 その絵を見ているといかにもこうや豆腐そのものが時間を超えてそこに存在しているような気がするのです。こうや豆腐の中に永遠が見えるのです? 岸田劉生の麗子の肖像は様々な美術館で見たことがある有名な絵です。 こちらはなんだかものすごい迫力で迫ってくるような、とても子供の肖像画とは思えないほどエネルギー感に溢れた絵に見えます。 写真と比べて大きく違うのは対象物そのものよりも描いた作者の方が生々しく迫ってくる感じがすることです。 いくらアイフォーンの解像力と性能が上がっても自撮り写真でこの個性的な描写は無理というのものです。 ところが時代がどんどん新しくなっていくに連れて、写実的な表現がどんどん写真に近くなっていくような気がするのです。いわゆるスーパーリアリズムというやつです。 確かに大概の写真より本物らしく見えることは確かですが、それを写真と区別するのは簡単ではありません。遠くから見ればそれはどう見ても写真に見えて、近くによって顕微鏡のような目で見ると初めてそれが筆で描かれたことがわかりびっくりします。 そんなものを描くというテクニックと労力には頭が下がりますが、そこに何があるのかは僕には最後まで見えてきませんでした。 安野光雄さんの本に出てきた野田弘志さんの作品にここで巡り会うことができましたが、それは残念ながら本に載っていた谷川俊太郎さんを描いた作品ほどのインパクトはありませんでした。 さて会場を移動でして浮世絵展を見に行きます。こちらの展示も驚くほど点数が多くて立派です。 浮世絵を見ていると同じ風景を描きながらも、先ほどのスーパーリアリズの作品とは売って変わって省略が大胆なこと、構図も大胆なことに気がつきます。明治時代の洋画から比べるとずっとモダンで現代的にさえ感じます。 今回の展示は神奈川の風景なので馴染みの場所がたくさん出てくるので、なるほど昔はこんなに田舎だったんだというのが良くわかりとても面白く見られます。 中でも金沢八景の変わりようは激しいようで、当時はその名前の通り海に浮かぶ点在する島や半島を見下ろす絶景の場所だったというのがよーくわかり、その頃の金沢八景を見てみたい気持ちになります。 (下は平塚美術館の内部、とっても立派で綺麗です) もう一つ浮世絵を見て感じるのは色彩の美しさです。画材が自然のものであることに加えて版画ですられているため、色が薄っすらとしてやわらぎ、その淡い色調の美しさが際立つようです。 作品の中には役者絵がお上から規制されたことがあったためか、名所巡りの絵を装ってそこに役者や遊女たちの姿を描いたものがたくさんあり、その登場人物たちの着ているものを見るとその凝っていることに驚きます。 そして細部まできちんと描かれた着物が今見ても実にファッショナブルなことに思わず目を見張ってしまいます。ともかく風景といい登場人物といい実に新鮮に感じたのです。 最後の方の展示は明治以降の近代的になった浮世絵でした。ところが、この頃になると構図は一般的な洋画のようになり、大胆な省略もなくなり、総じて実に面白く無くなってしまいます。 江戸時代の浮世絵とこの近代の浮世絵とどちらが写真に近いかと言えば当然後者の方なのですけど・・。 リアリズムと浮世絵という、どちらと言うと対照的な展示を続いて見ることができたのはとても面白い経験でした。 僕にとっては、まるで本当のように細部まで描かれた風景よりも、大胆にデフォルメされた浮世絵の風景の方が、実際にそこに行ったようなリアルさを感じてしまったからです。 人間にとってリアルさとは何なのか、原子物理学では全ての物体は空間を動き回っている粒子の寄せ集めだといいます。実は個体も人間も みっちりと詰まったものではなく、なにもない空間を内在しているのです。 それを思うと全ての空間をくまなく埋め尽くした精密な絵よりも大胆な省略やデフォルメ、さらには現実に存在しない形のを描いた方が、空間を動き回っている粒子の世界により近いのかもしれないなどと思ったりもしたのです。 下の写真はその帰りによったカールズJRの店内。このバーガー屋さんは秋葉原と平塚という珍しいロケーションに出店した米国のお店ですが、最近自由が丘にも出店したそうです。平日の夜の平塚のお店は場所がらからかガラガラです。難しい理屈はすっかり忘れて、ゆっくりとハンバーガーを食べたのでした。 ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-06-20 09:58
| おもしろ美術
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2017年 05月 28日
今回の展示は個人の作家としては圧倒的に展示枚数が多く実に見ごたえのある素晴らしいものでした。 さらに面白かったのは最後の展示室【雪村をつぐものたち】の展示を見ると、雪村のすごさが余計にはっきりとわかったことです。 そこには弟子たちや後世の画家たちによる影響を受けた作品や模写が展示してあるのですが、本物の雪村を見た後ではそれはまるで気の抜けたコーラのように見えてしまうのです? 生き生きとした躍動感のある雪村のダイナミックさというのがむしろ特別なものなのかもしれません。 これらの絵も単体で見たらなるほどと感心できるのかも知れませんが、圧倒的な数の雪村をみた後ではしかたがないことかもしれません。 影響を受けた画家のひとりということで赤瀬川さんの本に出ていた尾形光琳の【紅白梅図屏風】との比較展示もありました。 雪村の書いた枝ぶりが光琳の【紅白梅図屏風】とよく似ているという事で、光琳の作品が薄い布にプリントしてあり、それを透かして見ることにより比較しやすいものになっているなかなか工夫された展示でした。 また同じ本に出ていた光琳の持っていた雪村の印の実物までもが展示してあったのにもびっくり。これはわざわざ光琳が自分の為に作らせたものらしく、光琳がいかに雪村の大ファンだったのかがわかります。 このようにものすごくダイナミックな作品に圧倒された展覧会でしたが、その中で不思議に感じたのが雪村の自画像といわれている絵です。 それはこれだけ縦横無尽に筆をふるった雪村のイメージとはうらはらに、僕には暗くて皮肉たっぷりなそこいらのふつーのおじーさんのようにみえるのです。 それどころかうつむいた目の部分に斜線をひいて落ち込んでいるところを表現した漫画の登場人物のようにさえ見えてしまいます? それは彼の描いた力強い鐘馗様やおだやかな布袋さまの顔とはまったく違っているように見えます。 この自画像で雪村が何を表現したかったのかわかりませんが、その顔と作品の落差がものすごく不思議に感じられたのでした。 とまあ、しろーとの僕はこんな程度の感想なのですが、この展覧会を勧めてくれたCさんからのメールを見たらやっぱり見るところが違います。 Cさんは雪村が光琳に与えた影響が興味深かったそうです。 彼が昔何の予備知識もなくクリムトの「アデーレの肖像」を見たときにそこに光琳の赤白梅図の影響を感じたというのです。 そして全く異なる場所や時代を通じて共感する作品が作られている事を面白く感じたそうです。 BTさんは全く逆で雪村はむしろ阿弥派や宗達に近いと感じた、だからこそ光琳が私淑したのだと思ったそうです。 この辺りの事はにわか日本美術ファンの僕には全くわかりません。 さらにCさんは最近先日、野口米次郎(Yone Noguchi)の「KORIN」と言う1920年頃にロンドンで出版された本を入手したそうです。(英文の和綴じ本) 光琳の解説本なのですが、本文中に木版画で光琳の作品がカラーで紹介されているそうで、この時代にこんな高いクオリティーで光琳が海外に紹介されていた事に驚いたそうです。(この野口さんという人は有名な彫刻家ノグチ・イサムの父親だそうです!) 時代が異なるのでクリムトがこの本を見てはいないと思われますが、ヨーロッパではジャポニズムが相当強い影響を持っていたことがわかったそうです。 雪村、光琳、そしてそれがさらにヨーロッパまで繋がっている事まで頭を巡らすとはさすがです。 世界はいつの時代もどこかの部分で連動しているのですね。 CさんといいBTさんといいこういう古くから日本美術に親しんでいる知人がいると、色々と新しいことを教えてもらえて大変にありがたいことです。 こうやって本物を見ると日本画の世界の素晴らしさと奥が深いことがよくわかり、同時にまだまだ面白いことが沢山ありそうだと思ったのでした。 (下はこの展覧会を見に行くきっかけの一つになった本を書いた赤瀬川原平さんのお墓です。頂上に盆栽の松が植わっているという不思議な形です)
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by omoshiro-zukin
| 2017-05-28 11:00
| おもしろ美術
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2017年 05月 26日
雪村の絵は躍動感に溢れています。大気、雲、人物、さまざまな動物たち、それぞれが縦横に動き回っているように見えます。それはまるで70ミリ映画で靴音や銃声が縦横に動き回っているのと同じような感じです。 雪村は僕がいままで持っていた静謐で美しい日本画というイメージとはまったくかけ離れていたのです。 静かな日本間に彼の絵があったら、それは装飾というのとはまったくかけ離れた存在感を発揮することでしょう。時と場合によっては落ち着かない気持ちになるかもしれません。 かと言って乱暴な絵かと言うとそれはまたまったく違います。 人物の衣は大胆に省略されシンプルな線が衣のふくよかさを表現しています。 山から落ちる滝もまるで縁取り線だけで描かれており、それは一見すると白いチューブのようにさえ見えますがじっと見ていると滝の音まで聞こえてきそうです。 背景の景色もあたかも空白に近いように薄く墨を塗ったような濃淡だけによる描き方も、西洋絵画にはない大胆に省略に思えます。 一方細かく描かれている部分は実に繊細に描かれています、ふさふさとたなびく人物の髪の毛などは、リスの筆で塗った細密画のように、よく見ると見えないほど細い線で丁寧に描かれているし、海面の波とか、荒れ狂う風になびく木々とか、虎や猿の毛並とか、そのタッチは実に細かいものです。大胆な省略と驚くほど細かい描写が一枚の絵の中に存在しているのです。 描き方は大胆なタッチですが、想像で描いたといわれる中国の風景画や雪山の風景などにはよく目を凝らして見ると、沢山の人がうごめいていることがわかります。 それはまさにただいるのではなく、動いているのです。話をしていたり何かを運んでいたり、さらにはこんなところに!という危険な場所に居たりと、よほどよくよく見ないとわからないほど書き込まれています。 観覧客の中には望遠鏡で覗いている人もいましたが、なるほどそれが必要だと思うほどでした。 そういえば以前BTさんから仏像鑑賞用の双眼鏡の話を聞いたことがあります。彼はそれを持っているそうですが、通常の双眼鏡と違い近くの物にも焦点が合わせられることが特徴だそうです。 なるほど世の中にはいろんな物が存在しているものです。 さてこの展覧会を勧めてくれたCさんが絶賛していたのは「琴高仙人図(きんこうせんにんづ)」と「呂洞賓図(りょどうひんづ)」でした。 確かにこの二つの絵は見る者を圧倒します。 前者は鯉にまたがった仙人が水から上がってくる場面、もう一方は手に持った瓶から龍が空に飛び立っていく場面ですが、共に主人公は中国の仙人です。 大胆な筆使いとものすごく細かい描写が同じ絵の中に存在していて、その二つがぶつかり合ってものすごいエネルギーで迫ってきます。 すごいのは仙人や龍や鯉などの背景に描かれている大気の存在感です。 呂洞賓図(りょどうひんづ)では龍が登っていく空間に、無数に点在するものが見えないほど精密に描かれています。 それは塵なのか光なのか龍の鱗が落ちたものなのか、ともかくその細かい粒子のような気体のようなものは、じっと目を凝らして見るとまるで無限の宇宙に広がった銀河を別の銀河から眺めているように見えるのです。 (参考までに画像を添付して見ましたが、これは実物とは100万倍も差があると思ってください! それは演奏会で聞く交響曲とラジカセで聞く交響曲の差どころではありません。音楽は少なくともおなじ曲に聞こえある程度の感動さえ得ることが可能ですが、絵の場合はまるで一番大事なものが抜け出てしまった抜け殻のように見えます。) 迫力のある雪村の絵ですが、そこには研ぎ澄まされたような緊迫した感じというよりむしろ伸び伸びとした印象を受けます。 雪村の絵には迫力はありますがどこかのんびりしたところがあるのです。それは描かれている人物ばかりではなく動物の顔を見ると良くわかります。どことなく愛嬌があるのです。 大きな袋をさげたにこやかな布袋さん、それにまとわりつく子供、薄ら笑を浮かべた寒山と捨得、ぎょろとした目をした鯉や虎、つぶらな瞳の猿たち、それぞれの動物たちの顔はどこか親しみを持って描かれているように感じられます。 そして様々な鳥が描かれた屏風では鳥たちはそれぞれの鳥たちが様々なポーズでまるで今にも動き出しそうに見えます。 おもわず落語に出てくる朝になると絵から抜け出てくる雀の話を思い出しました。 個人的に面白かったのは鷹と兎が描かれている屏風です。 思うに屏風というのは絵画としては特殊な形です。日本画以外にこんな妙な形の絵はないのではと思います。 そして広げた屏風は単一の表面ではないために、そこには独特の表現や構図が存在しているはずです。 (屏風を本などの平面の図版で見ると不自然に感じるのはそのためかもしれません?) それがよく解ったのがその屏風でした。鷹は山向かって右の中腹の崖にとまっています。 兎は左側の叢の中に見えないように隠れています。正面から見るとこの両者は同時に見えるのですが、ずっと右端によると鷹しか見えません。 鷹のするどい目が右側を凝視しています。そして左側によってみるとこんどは兎しか見えないのです。 まさにW型に折り曲げられた形で見る屏風でしか生まれない面白さです。 (というわけでさらに次回に続きます) ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-05-26 10:54
| おもしろ美術
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2017年 05月 24日
雪村を見てきました。それはまさに驚きでした! 小学生の6年生の時のことです。当時僕は国立に住んでいました。 その頃は小学校(国立第4小学校とかいう名前で遠足の時バスの表示をみて国立(こくりつ)の学校?とよく聞かれました)の周りはまだ麦畑でのんびりとしていました。春には雲雀の声を聞きながら学校まで行ったものです。 もうすぐ中学生になるからだったかもしれません、 親の許しが出て初めて友達と二人だけで新宿まで映画を見に行きました。 わざわざ新宿まで見に行く理由は当時華々しく登場した大画面(70ミリ)の映画だったからです。 その頃国立はもとより東京以外には70ミリの大画面を上映できる映画館などなかったはずです。 35ミリが一般的だった映画館で70ミリの登場というのは今の3Dよりもインパクトがあったかも知れません。 映画はジョン ウエインの出演していた「アラモ」でした。 するすると幕が上がるとそのスクリーンの大きさに目を見張りました。 そして映画が始まるとその迫力と画面の中で縦横に動き回る音にも圧倒されたのです。 (下は上野公園の自由の女神!) 今回雪村を見た時ふとこのことを思い出したのです。 それは雄大で動きのある大画面の映画を初めて見た時の感動ととてもよく似ていました。 今でも思い出せるほどの衝撃的な出来事だったのです。 「すごいものを見てしまった!」雪村の展覧会はまさにそんな感じです。 最近になって少し前まではまったく興味のなかった日本美術方面にぐんぐんと興味が出てきたのは、日本美術が好きで詳しいオーデイオ友達のCさんとBTさんの影響であるのは間違いありません。 この二人の推薦でいろいろ見に行って見ると、今まで知らなかった日本美術の面白さがどんどん見えてくるではないですか。 それとは別ですが先日、赤瀬川源平さんの本を読んでいたら、2月に熱海で見た【紅白梅屏風図】を描いた尾形光琳が雪村の大ファンで、この屏風図にも雪村の影響があるそうで、そればかりかそのファンぶりはすごく雪村という印まで持っていたという話が載っていました。 なるほど雪村というのはすごい人らしいと思ったら、そのすぐ後にCさんからメールが届き15年ぶりに開催されている雪村展は素晴らしいからぜひ行ってみたくださいとのこと。同じ頃日本美術が好きなBTさんからも雪村に行くつもりという話を聞きました。 これはいかねばなるますまい!と思っていたのですが、連休中の上野は人出が多そうで敬遠していたら、そろそろ展覧会そのものが終わってしまいそうになったので慌てて出かけることになりました。 神奈川在住の僕には上野はあまり親しい場所ではありません。なによりもいつ訪れても人が多いのでつい敬遠してしまいます。 東京で一番好きなホールが東京文化会館なのでそこには比較的良く来るのですが、他にはあまり足を踏み入れたことがありませんでした。ところが最近になって解ったのがその懐の深さです。 なんせ美術館だけでもすべてを見て回るには数日かかるほどの規模の大きさなのです。 有名な西洋美術館以外にも東京都美術館、そして極め付けがトーハクこと東京博物館です。 ここの日本美術のコレクションはものすごいもので、しかもその規模が大きいのでここだけ見てもまる一日かかるほどです。 そして今回の東京芸大美術館ですが、ここにはいままで一度も足を踏み入れたことがありませんでした。 この展覧会のうたい文句にあるように雪村はゆきむらと読んでしまう人が一般的のようで、有名な雪舟にくらべてその知名度は低いようですが、米国では逆に雪舟より良く知られているそうです。 浮世絵を初めとして最近流行っている若沖などもその良さを理解してコレクションしたのはアメリカ人だったのですから日本人もあまり威張れたものではありません。 芸大美術館に近づくとなにやら大変に長い行列ができています。これはまずいこんなに混んでいるのか!と思ったのですが、これはボランテイアがホームレスたちに食事を配っているその列でした。 幸い展覧会は思ったほど混雑していなく、ゆっくりと見学することができました。(次回につづく) ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-05-24 08:37
| おもしろ美術
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2017年 04月 21日
これほどセルフポートレートが世の中に氾濫するようになったのはほんとうについ最近のことのような気がします。
気が付いたら世界がセルフポートレートであふれていた・・・という感じです。 これはもちろんスマホが登場したからなのですが、これほど世の中にセルフポートレートがあふれるなどという事態はこれまでの人類の歴史のなかでも極めて珍しい出来事と言えるでしょう。
スマホには自分を撮るためのモードがついているのはあたりまえで、一眼レフカメラにさえ自撮り機能が装備されるばかりか、自撮り棒などというものも珍しい物ではなくなりました。もはや写真の一番の対象物は自分かも知れないと言う時代になっているのです。 かつて写真の存在しない時代には肖像画というのは貴族やお金持ちのためのものでした。それは権力の象徴でもあったのです。 王様や貴族たちは自分の存在を誇示したり後世に残したりするために専属の画家を雇いその姿を写し取らせました。 画家たちがその作品の中に自らの姿を紛れ込ましたりしていたのがセルフポートレートの始まりのようですが、自画像というのが描かれるようになったのはルネッサンスの時代からだそうです。それまではキリスト教がそれを束縛していたからです。 写真のない時代に自分の姿を自分で写し取ることが出来たのは画家だけの特権だったのです。 写真が一般的になってからもセルポートレートは自己を表現する手段として最近までは芸術の世界の中だけに留まっていました。それは権力の誇示から自己を表現する手段になったという違いはあっても、いまだ一部の人の特別なものだったのです。 それを大きく崩したのがスマホの普及による自撮りの流行です。いままで芸術とされていたものが一気に奔流のように人々にいきわたったのです。それは自分を自分以外のものとして表現できるもっとも手っ取り早い手段と言えるでしょう。 いままで芸術家が一生懸命やろうとしていた事と一般人の境界線はもはや崩れてしまったのかもしれません。どんなものでも気軽にアートと呼んでしまう現代の風潮もそんなことと関係があるのかもしれません。 僕がセルフポートレートに興味を持ったのはそう古い事ではありません。森村泰昌がレオナルドダヴィンチの肖像に扮した自画像を見たのがそもそもの始まりかもしれません。それはダビンチの自画像のようでありながら森村さんの自画像でもあるというとても不思議なしろものでした。芸術がこんなに自由で軽やかなものだと知って嬉しくなったのでした。 その後たまたまシカゴ美術館でシンデイ・シャーマンの展覧会を見る機会があり、さまざまな死体に扮したシンデイの写真を見てセルフポートレートというものが一つの枠で括ることの出来ないとても自由な表現手段だという事がわかったのです。 もう一つ興味を弾いたのがマリーアントワネットのお抱え絵師として知られるヴィジェ・ルブランの麦わら帽子をかぶった自画像です。 ここに書かれている女性は自画像というにはあまりにも美しく溌剌としていて、まるでジブリ映画の主人公の少女のように見えます。 この絵が描かれたのは1783年なので彼女が28歳の時です。その7年後に書かれた自画像もこれまた少女のようにあどけなく美しいのです。 こんなに自分を可愛く描けるなんて!スマホのアプリを駆使して自分の写真を美しく加工する現代の少女たちの原点はすでにここにあったのかも知れません。 彼女はまだ女性が芸術家として認められる以前の時代に大活躍したのですが、それは芸術家としてよりも職人としての腕のためのようです。 だれを描いてもこれだけアニメの登場人物のように可愛らしく描くことの出来る画家はそうはいません。 なかでも自画像が一番美しい?というのもすごいことです! 最近読んだとても面白い本があります。それは古今東西の画家のセルフポートレート(自画像)がいかに作為的に書かれているか、いや自画像だからこそ演出や偽装が入る余地が大きいのだという事を例をあげて実証して見せる【偽装された自画像】という本です。 書いたのは富田章という方で東京ステーション・ギャラリーの館長をなさっている方です。 美術関係の本はひたすら固いだけで読みにくい本が多いのですが、これは豊富な知識を背景にしながらも、実にわかり易く面白く書かれています。 現代でこそ自画像が本人そのものではないということを前面に出した森村やシンデイ・シャーマンの作品が当たり前のように存在しますが実は遥か昔からセルポートレートは様々な形で絵の中に偽装されていたことがわかります。 自分を皮だけにしてしまったミケランジェロ、切られた首になったカラバッジョ、放蕩息子に扮したレンブラント、若い愛人を窓から覗いているスーラ、まるで埴輪のように素朴な晩年のピカソの自画像、ひび割れた背骨の痛々しくも雄々しいフリーダカーロ、などなど実にさまざまな形で画家たちは偽装した自分の姿を作品に残しているのがわかりとても面白い本でした。 これを見るとセルフポートレート=自画像と簡単にはかたずけられない事がわかります。 現代の少女たちがスマホのアプリを駆使して本人とは思えないセルフポートレートを作る作業と、それはどこか重なっている部分があるのかもしれません。 これからセルフポートレートがどのような形で変容していくのが実に興味深いものがあります。 【昔はセルフポートレートって本人に似てたのに今ではまるで違う人みたいなのが当たり前!】と言われるような時代がすぐ来るような気もします?。 これではまるで一億総森村化現象ではないですか! これって芸術が広まったことになるのか、それともバーチャルだった芸術と呼ばれる世界が現実の世界にするっと入り込んできたのか、それは実に微妙なところではあります。 ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-04-21 19:42
| おもしろ美術
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2017年 03月 31日
いままで日本画なんていうものにまったく興味を持つことはなかったのですけど、ちょっと面白いかな、と思い出したのはオーデイオつながりの知人で日本画が好きな人に勧められるままに【一編上人絵巻】を見に行ってからでした。教養か勉強とか言う固いことを抜きにして、ただ見ただけでもそこにはなんだかおもしろそうなものが沢山描かれていました。
【絵巻は面白い!】と思ったのがそもそものきっかけでした。その後も時々行く竹橋の美術館の特別展のついでに常設展の日本画などを見ると、これはこれで西洋の絵画とは違った美しさがあることに気づいたりもしたのです。
そして今年はこれまたオーデイオつながりの今度は別の知人から紅白梅図屏風をすすめられてMOA美術館まで足を伸ばしたりもしました。 この本によればこの紅白梅図を書いた尾形光琳は雪舟の後にでた雪村の大ファンだったそうでこの絵にはその影響が感じられるそうです。当然ながら雪舟にも同じ気持ちを持っていたそうです。そういわれてみるとシロート目にも現代絵画のような大胆な表現のどこかに通じるものがあるように感じてしまいます。この絵もまた見に行く価値のある見事なものでした。 このように身近なオーデイオ仲間二人が日本画に詳しいというのも面白いことです。この二人は共に音楽にも美術にも詳しいのでいつも有益な情報をもらい助かっています。同じオーデイオ好きといっても芸術全般に関心が向いていく人とか、もっぱら装置のほうに関心が向いて行く人とか様々なようです。どちらにも中途半端な僕は反省するばかりです。 人様に勧められて色々とみてみると、日本画というのは西洋の絵画とくらべても随分と斬新さに溢れているようにかんじられるのです。 そこで色々と本などを読んでみることにしたのですが、あまり難しいものは苦手です。そこで絶好の本を見つけました。それが僕の好きな赤瀬川源平と山下裕二による(応援団シリーズ)だったのです。 この二人による応援団シリーズはこの本以外にも日本美術応援団をはじめとして、実業美術館、京都大人の修学旅行など何冊もあります。 赤瀬川さんの特徴は大きく言ってふたつあります。一つは何でも面白がってしまうこと、もう一つは権威が大嫌いということです。なんせかつてはお金の模写をして偽札つくりではないかと権力と裁判沙汰にまでなった人です。筋金入りの権力嫌いなのです。 この【面白がる】【権威嫌い】という二つのキーワードで見ると今まで難解だった日本美術が身近なものに感じられてくるから不思議です。 中でもぞくぞくするのが雪舟です。今回はこのシリーズで唯一特定の作家だけを取り上げた【雪舟応援団】についてです。 雪舟の絵はいままで何度も目に触れる機会はあったのですが、この本【雪舟応援団】を見る前はたんなる風景として目の前を通り過ぎていました。(赤瀬川さんも日本画に興味を持ったのは随分後の事のようです) この本の表紙を見てまず驚きます。どこかで見たことのあるどこか奇妙な感じのする有名な絵【慧可断臂図(えかだんぴず)】が表紙なのですが、どこか変です。 良く見るとなんと達磨大師の顔と慧可の顔だけが赤瀬川さんと山下さんの顔に入れ変わっているのです。有名な美術品を使って遊んでいるのです。これを面白いとみるか、けしからんと見るかで世の中は随分と違ってみえるはずです。(僕はもちろん前者です) この雪舟と言う人は水墨画の元祖という偉い人なのでどの評論もひたすらほめたたえるものが多いようなのですが、この二人は【乱暴力】という言葉で雪舟を解明していきます。なんという乱暴な行為でしょう。 しかしこれを読んでいると雪舟の絵というのはただ上手いだけでなく乱暴と言っても良いような自由奔放なところがあることがわかります。 濃い墨が意味なくべたーと置かれている箇所があったりするのですが、実はこれが画面構成上深い意味を持っていたりするのです。 わかり易いのがこの画面の黒く塗りつぶされた訳のわからない部分をコンピューターで取り去り、目で比較できるようにしてあるページです。なるほど濃い墨がベターと置いてある箇所を取り去ると画面全体が間が抜けてしまいます。シロート目にもその違いがはっきりと解るのですから面白いです。難しい言葉を羅列して説明してある評論は多数ありますが、こういう風にわかり易く説明してある美術書は実はほんとに少ないのです。 また雪舟は不得意な部分?はあえて省略したり手抜きをしたりしているように見えるそうで、それがまた画面に勢いを与えていたりするのです。要は計算できないような乱暴力に溢れているところに雪舟の魅力があるというわけです。 さてそんな雪舟の絵なかでも不思議な感じなのが【慧可断臂図(えかだんず)】です。この絵は有名なのでたぶんだれもがどこかで見たことがあると思われます。風景を描いた有名な作品は誰が見ても立派な作品に見えますが、この絵だけは一見してなんとも奇妙に見えます。 なにが変に見えるのかは人によって違うのでしょうが、僕の場合は顔です。達磨大師の顔も慧可の顔もなんとも情けないようなやる気のないような不思議な表情をしています。しかしじっと見ているとなんだかものすごく難しい決意に溢れているような顔にも見えるのです。 達磨大師は一本の線だけで描かれているのも不思議です。体は何も書かれていない白紙のままです?それなのに妙に存在感があります。 それにしても線(それもけして濃い線ではありません)だけで主人公を表現するなんていう大胆な書き方が西洋美術にあったのでしょうか?それにこの単純な線だけの達磨大師に対して背景の洞窟の描写は細く書き込まれていて、まるで木星の大赤斑の写真そのままのようにに見えます。この絵は宇宙にまで繋がっているのでしょうか? そして僕がなにげなく見逃していた衝撃の事実がわかりました。実はこの場面は相手をしてくれない達磨大師に慧可が自分の決意を示すために左手を切り取って差し出している場面だったのです。(すみません知ってる人は皆知ってることなんでしょうけど!) その証拠によーく見ると慧可が布のようなものに載せて右手で差し出している左手は体から離れているのです。しかもその離れた切断部の輪郭はうっすらと赤い色で書かれているのです。とはいえ小さい本の図版ではその微妙な色までは良くわかりません。これはやっぱり本物を見に行くしかないでしょう。 このように赤瀬川源平さんと美術研究家の山下さんの書いているこの本を読むとどうしても雪舟の本物が見たくなってしまうのでした。 本を読んで実物を見たくなると言う、本の力を最大限に発揮しているのがこの本なのです。 ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-03-31 11:05
| おもしろ美術
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2017年 03月 07日
MOA美術館は私設の美術館なのでまさかこんなに巨大で立派なものとは思っていませんでした。それは熱海の街と海を見下ろした丘の上にまるで要塞のようにそびえ立っていたのです。入り口に向かう階段の下にはちょうど建物をくり抜いたかのように海がのぞいています。
展示品より先にまずこの景色に気持ちが向いてしまいます。入り口のすぐ横がガラス張のロビーのようになっておりそこから眼下に海が広がっているので思わずその風景に見とれてしまうのですが、海とは反対側の壁には杉本博司が撮った熱海の海の写真一枚だけがさりげなく飾ってありました。僕にとってはこの画面の中央に水平線のある海の写真はとても馴染み深いものなので、この写真を見るとなぜかホッとするのでした。 今回杉本博司が監修して2月にリニューアルが完成したばかりという展示室は、古木や畳敷きの上にあたかも部屋にあるかのように置かれているというもので、とても良い雰囲気であるばかりかとても見やすいのです。中でも圧巻なのが無反射ガラスの採用で説明を読もうとうっかり顔を近づけると見事にぶつかってしまうほどです。無反射ガラスを生かすために後方の壁は全てダークグレーの漆喰で塗られていてこれが展示品を照らす光の反射で微妙に照らされているのも良い感じでした。館内にはあちこちでガラスに頭をぶつける音が響いていてそのたびに頭のあぶらがガラスについてしまうため、係の人が二人がかりでそれをふき取っていました。見やすいのは良いのですがそれはそれで大変です。 日本美術にはつい最近興味を持ちはじめたばかりなのでなんの知識もないのですが、この展示品の数と豪華さには驚きました。古い日本の美術品を見ていると、意外にもそこに西洋美術を飛び越したような先進的な表現が見られることに驚きます。まるで現代の抽象画を思い出させるような表現が結構あるのです。もう一つ感銘を受けるのがその繊細な色彩です。それは西洋の絵の具とはまた違った独特の美しさを持っているようです。これはもっとしっかりと昔の日本美術も勉強する必要があるなと深く反省したのでした。 湯河原の梅林で何千本もの梅を見てきた後に『紅白梅図屏風』を見ると思ったほど華やかでないことに驚きます。金を背景にしてはいるのですが、なんせ梅の花が少な過ぎるのです。主題はまるで真ん中を大きく流れる川のようにさえ見えます。しかもこの川の描写はまるで着物の模様のような抽象的でモダンに見えます。こんな川の描写がこの時代の西洋美術に存在していたのか疑問に思うほどです。しかも紅白梅図屏風』という名前にもかかわらず紅梅は一本の木全体が描かれていますが、白梅の方は幹と枝の一部しか描かれていないではないですか。これはどういうわけなのだろうと考えて見て気がついたのがこれは屏風だということです。 屏風というのは普通どういう置き方をするでしょうか、それはこの展示のように決して平面ではないはずです。そこでこれを本来の屏風の置き方にしてその真ん中に座って見たときどのように見えるか想像して見ました。するとそこに座ると真ん中の大きな川は全く目立たなくなり左を向けばあたかも枝がしなりかかってくるように見え右を向けば一本の白梅の全体が見えるのです。できればこのようにしてこの屏風を眺めてみたいなと思ったのでした。 (と偉そうに書きましたけどこの辺り全てデジタルで古美術を復元している小林泰三さんの受け売りです!) それにしてもこの美術館は想像以上に立派なものでした。ちなみにCさんのこの美術館のおすすめは、光悦「樵夫蒔絵硯箱」宗達下絵、光悦書の「鹿下絵新古今集和歌巻」乾山の「銹絵染付梅波文蓋物」だそうですが、確かにこれらの作品は特に興味ふかいものでした。ほかにも印象に残った作品が沢山ある上に展示数も多いのでもう一度じっくりと見に来る必要がありそうです。 圧巻の展示品を見終わると最後の部屋が杉本博司の熱海の海の写真の展示室でした。今回の作品は夜の海というより霧に覆われた海だったり日の沈む海だったりと初期の作品よりも何が写っているのかわかりやすい作品が多いように感じました。初めて見たときの真っ黒な写真がずらっと並んでいるような衝撃こそありませんがやはりこのシリーズは好きな作品です。 【海景】を展示してある部屋を出たところにポツンと一枚だけ展示してあったのがもう一つの『紅白梅図屏風』でした。それは杉本博司が写真に撮ってそこに実物と同じように再現した作品なのですが、写真なので全く同じ図なのですが、その色調が異なりこちらはまるで夜に咲く梅のようにひっそりと見えます。 このように一定の価値の決まったものを、写真に撮ることによって全く違う価値に置き直す作業は写真の得意とするところです。森村泰明のさまざな人々のセルフポートレートなどの作品なども同じような文脈にある気がします。 ![]() ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-03-07 10:11
| おもしろ美術
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2017年 03月 04日
梅というのは冬の風物詩として代表的なものなのだが、今まであえて梅を見るために出かけたことはありませんでした。
というのもちらほらと降り積もる雪のような風情のある梅の花は、春爛漫を感じさせる華やかな桜の花のように人の心をうきうきさせることがないのでわざわざ寒風をついてまで出かける気にならなかったからです。 それが今回のような梅ざんまいの1日になったのは、いつもいろいろためになることを教えてくれるCさんからのメールがきっかけでした。そこにはこの時期にはMOA美術館に【紅白梅図屏風】が展示されていること、さらには2月初めに杉元博司の監修によるリノベーションが完成したので見に行きたいという事が書いてありました。 さらに付け加えて尾形光琳は嫌いでもっぱら狩野派が好きなのだがこの【紅白梅図屏風】だけは見ごたえがあるとのことでした。ためしに日本美術が好きなオーデイオ仲間のBTさんに聞いてみると彼も光琳嫌いの狩野派好というCさんとまったくの同一の意見だったのに驚いたのでした。日本美術が好きなこの二人が推奨するとなると見に行かないわけには行きません。 加えて杉元博司がリノベーションを行った上に彼の作品展示まであるとなればなをさらです。 僕が杉本博司の作品に初めて出会ったのは現代美術に興味を持ち始めた頃のどこかの美術館でした。場所は忘れましたが会場に入ったとたん目に入ってきたのは壁にずらっと並んでいたのはただの真っ黒に見える作品でした。なんだこれは!とショックを受けながらも近づいて良く見るとそれは夜の海の水平線を撮った写真だったのです。 遠くからは黒一色にしか見えませんがよく見ると海面がわずかな光を反射して波打っているのが見えます。普通なら写真に撮らないようなものを撮る、普通なら作品にならないようなものを作品にする、その自由さに感動したのです。しかもそれは大胆なだけでなくとても美しかったのです。 その後どこかの美術館で見て印象に残っていたアメリカ自然史博物館の動物たちのジオラマをそのまま写真に撮ったものや、以前から好きだったアメリカの古い映画館の写真、なにも映っていない白いスクリーンと観客席を撮った写真のシリーズも杉元博司の作品だと言うことがわかりました。この当時の彼の作品から感じられたのは【時間】そのものです。まったく動かないように見える普通なら見逃してしまうような風景が写真という媒体の中にとどまることによって時間がそこに封印されたように見えたのです。それは海だったりスクリーンだったりするにもかかわらず実はその写真の中に映っていたのは【永遠】そのものという感じがひしひしと感じられたのです。 蛇足ながら最近になってからの作品はその対象が日常的でないぶん(たとえば千手観音とかプラズマ放電とか)見た目は随分と面白くなっているかも知れませんが、そこには過去の作品に存在していた時間とか永遠というものがどんどんこぼれ落ちて行ってしまっているような気がするのですが? 湯河原の梅の名所である幕張山は木々で覆われた日本の山の中には珍しく荒々しい岩肌を露室した独特の形をしています。もともと噴出した溶岩がそのまま固まってできたそうですがその麓に沢山の梅の木が植えられており梅林としても有名です。岩肌の露出した山のふもとに紅白の梅の林が広がる風景はなかなか壮大なものです。とはいえこのシーズンは各地の名所と同様ものすごい人出で普段は無料の駐車場以外にもいくつも増設し、さらに駐車料金やこれまた普段は無料なのに入場料まで取るという盛況ぶりです。関西の落語風に言うと【その道中の賑やかなこと!】で歌や鳴りものがにぎやかに鳴り響くといった雰囲気です。 幸い午前の早い時間に到着することが出来たので駐車場に並ぶこともなくスムーズに入れたのですが、戻る頃には駐車場に車が長い列を作っていました。 梅のシーズン中にここにきたのは初めてでしたが桜と違って全ての梅が一斉に花をつけるのではなく種類によって開花時期が違うようで、すでに散ったものもあればこれからというものもあります。梅という言葉一口でくくれないほど様々な種類があることがわかります。また桜が一本の枝にも溢れるほどたわわに咲くのに比べて梅の花はそれほど多くないのでどこかひっそりとした風情があります。 たっぷりと梅を見て山麓に降りてくると梅祭りにちなんで様々なお店が出ています。その中の一軒でアルコールの入っていない甘酒を飲んだのですが、麹がたっぷりと入った甘酒はまだ寒風の吹くこの時期にはとても美味しく感じられました。湯河原といえば行くところは決まっています。というか湯河原にいく理由はその店にいくためなのです。今回ももちろんそこに立ち寄り、それは相変わらずとても幸せな時間だったのですがそれはまた別にレポートすることにしましょう。 湯河原から熱海はあっという間です。小田原から海を見ながら走る海外沿いの国道はいつ通っても気持ちの良い道です。 特に波が穏やかで日の光が海原に注いでいるようなときはなおさらです。海沿いの道を熱海の街に出ることなく山の方へどんどんと登って行くとはるか眼下に熱海の街をと海を臨む見晴らしの良い場所に堂々としたMOA美術館がありました。(長くなったので次回に続きます) ■
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by omoshiro-zukin
| 2017-03-04 22:49
| おもしろ美術
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