アニメにモーツアルトのハ短調ミサ曲!、シルヴァン・ショメの【ベルヴィル ランデブー】 |
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2020年 04月 06日
はっきり言って僕はけしてアニメ好きという訳ではありません。
特にいま流行っているようなアニメは全く知りません。 だからといってアニメに偏見を持っているわけではなく、むしろアニメでなくては描けない表現というものにも興味があります。 (桜の季節もそろそろ終わりです。) とはいえ、その興味は今流行りのアニメの迫力あるアクションシーン(戦闘シーン)とは無縁の世界です。 かなり以前に見たアニメの中で、一度見たらその変なところにハマってDVDを購入したアニメがあります。 それがシルヴァン・ショメ監督による【ベルヴィル・ランデブー】です。 ともかくこの映画を初めて見た時の印象は一言【さすがフランス人は変わってる!】でした。 しかし僕としてはこの変わっているところが好きなのです。 なんと言っても登場人物が変です。 子供時代の主人公、子犬が家にやってくる場面でも、本来可愛い子供と子犬でさえかわいくないのです。 (可愛いものが出ないと言うのが、この映画の一つの特徴です) 物語も変わっています。のちにこの子供は成長してツール・ドフランスにでる自転車選手になるのですが、決して一流ではなく、途中で脱落してしまいます。 その後誘拐されて、それをおばあささんとこの犬、三つ子のおばあさんたちが大活躍して救出すると言う、大方の予想とは全く違った展開になります。 この映画が忘れられなかった大きな理由が音楽の使い方でした。 映画の始まりは、モノクロ画面による昔のベルヴィルという架空の都市のキャバレーの舞台です。 スイングに乗って三つ子のコーラスグループが、ちょっと奇妙なメロデイをアンドリュースシスターズのよう?に歌います。 そのビッグバンドの伴奏の中で、特徴あるギターの音色が響くのですが、一聴して(おっ!これってジャンゴラインハルトのよう!)と思うのですが、思った瞬間なんとジャンゴ本人が登場してしまいます。 足まで使って弾きまくるというギャグつき(ジャンゴは手の指が完全ではありませんでした) ジャンゴのギターが冒頭のシーンで効果的に使われた映画がルイ・マルの(ルシアンの青春)でした。忘れられない場面です。 次にはあのタップの名手 フレッド・アステアが登場します。踊っていると靴が脱げて、こちらはその靴がアステアと食べてしまうという強烈なギャグつきです。 (そろそろ緑が美しい季節になってきました) さらに強烈なのが黒人のダンサーが登場してセクシーに踊りまくるシーンです。 後で調べて見ると、このダンサーはジョセフィン ベーカーと言うフランスで活躍した人で、人種差別に反対しフランスに渡り、フランス国籍を取ります。 さらに戦時中にはレジスタンスに加わり勲章までもらっていると言うフランスの人気スターです。 第二次大戦後 フランスの古城を買取、そこで世界中から十三人の孤児を集めて生活を送ります。 日本の孤児院サンダースホームとの関係も深いそうです。 最後には彼女の特徴あるバナナをつけた衣装を剥ぎ取られそうになると言う展開になります。 彼女をこれほどカルカチャアライズして描いてもいいのか?と言う質問に監督のショメはこう答えています。 (決してカルカチャライズしているつもりはありません。これはカルカチャアリライズではなく彼女へのオマージュなのです) そうなのです。この映画の特徴もまさにそこにあったのです。 一見して奇異に感じられるような独特の描写の裏には、実は暖かい視線が隠されているのです。 (下がジェセフィン ベーカーの写真です。アニメの中でも、この写真と同じ衣装で踊っています) #
by omoshiro-zukin
| 2020-04-06 00:13
| おもしろ映画
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2020年 04月 04日
芸術とか恋とか、人によってその好きになる対象はまちまちですが、それはけして簡単に作りだしたり出来るものではありません。
ところがオーデイオというのは機械なので、購入することにより、簡単に自分の世界を作り出せてしまうのです。 このくらい自分の意思だけで物が変化するのを目の当たりに見られる(聴く?)という出来事は、他にはあまりありません。 スピーカーやアンプという大物だけでなくとも、接続するケーブル一本でも、人によっては激変すると感じるほど世界が変わるのです。 この世の中で、こんなに簡単に自分の指一本で変えられる世界なんて、オーデイオ以外にあるのでしょうか! というわけでオーデイオの世界はそれを使う人の数ほど多種多様なのですが、にもかかわらず、それを一言【いい音】という言葉でくくってしまおうとするのですから無理があります。 そして更に複雑なことには、同じ機械を使っても聴くジャンルが違うので、それだけでも人によって好き嫌いが出てしまうのです。 さて先日僕があんまりマタイ受難曲のバルヒエットのバイオリンの音色が素晴らしいと騒いだので、BTさんが訪ねてきてくれました。 BTさんがその音色を素晴らしいと思ったかどうかは聞き漏らした?のですが、ヴェルナーの指揮とバルヒエットの演奏による、あまり重々しくならない、どちらというと軽快なマタイやカンタータ140盤はおおいに気にいってもらえたようです。 最近のバロックの演奏はほとんどオリジナル楽器を使ったビブラートを掛けない演奏になってしまい、それはそれで良いのですが、昔風の演奏の現代楽器を使ったバロックでもいいのがあるよねという話になりました。 現代楽器で演奏するバロックの演奏でも、今聞いても良いと思うものと、今聴くとまったく良いと思われないものと2つに分かれるという点でも意見が一致しました。 例えばパイヤールの演奏など、時代遅れとみなされて、今ではまったく人気がないのですが、BTさんもパイヤールは今聞いても良い、再評価されてもしかるべきと、同意見でしたので、おおいに気をよくしたのです。 ところが、ここまでは同意見のBTさんだったのですが、彼に指摘されて【ぎゃふん】となってしまったのがスピーカーのセッテイングでした。 実は今回は木製のスピーカースタンドの下に人工大理石のインシュレーターを敷いていたのです。 これは現代ジャズのピアノのピキーンとした響きが出ること、また全体の抜けを良くしようと目論んでやったことです 例によって不精な僕のこと、敷いた状態と無い状態を交互に比べるなどという面倒なことなどするはずもなく、思いついたまま敷いてみて、一聴して、おっ!これはいい、と思ってそのままにしてあったのです。 この人工大理石のインシュレーターは、オーデイオを初めたころたいそう安かった(一個180円くらい?)だったので、ケチな僕でも結構沢山買い込んであったのです。 僕とは違って本物のオーデイオマニアであるPFさんによると、人工大理石は嫌な響きが乗るので最悪ということでしたが、そんなことはすっかり忘れていました。 ところがしばらく聞いていたBTさんから、あのインシュレーター取ってみてください、との要望が出たのです。 どうも最初に聞いたとき、前回より高音の響きに違和感があり、音の広がりも足らないような気がしたそうです。 そして取り外してみると【ほら、このほうがずっといい、これで本来の音が戻りました!】と言うのです。 それは良いのですが、問題はその違いが僕にははっきりと解らなかったことです! ガーン!BTさんが苦もなく指摘するような違いが、僕には判別できないのです。 (もともとだからこそマニアにはなれないのですけど、今回それは置いておくとして) そこで思い出したのは先日のスミダトリニテイーホールの雑音のことです。 僕よりかなり若い二人の人がこの高周波音のような雑音に気がついたのに、僕には一切聞こえなかったことです。 今回の音の違いにも、このことは影響しているのではないかと思ったのです。 おいおい、これは相当に高音が聞こえなくなっているんでは? それも当たり前、江戸時代、いや明治時代でも鬼門にはいっている年代です。 いやはや年齢(よわい)を重ねるというのは大変なことです。 とはいえオーデイオは耳の能力だけで聴くものではないという説もあります。 そこで思い出したのはOさんのお父さんの話、【普段の会話がよく聞こえないくせに、低音がどうとか高音がどうとか、オーデイオの音だけは不思議とよくわかるんだよな!不思議だよね】と言っていましたっけ。 ほかにも音を想像するだけで、実際の音を聞いたのと同じ効果があるという実験結果もあるそうです。 結局のところ音楽を感じるのは脳なのです。 それにしてもBTさんはもとより、熱心にオーデイオに取り組んでいる人たちの耳(脳?)は大したものだと、改めて思ったのでした。 所詮はなから厳格な音の違いなど判別できないマニアになれない僕なのです。 これからはさらに想像力を駆使して聴くことしか無さそうです! #
by omoshiro-zukin
| 2020-04-04 00:03
| おもしろオーデイオ
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2020年 04月 02日
こんなご時世なので、自宅で過ごす時間が増えます。
なんせじっとしていることの出来ない体質?なので、もじもじしていたら、ふと頭に浮かんだのが、ずっとしまってある真空管アンプのことでした。 元手がないのため、僕のオーデイオは売ったり買ったりの自転車操業なのですが、手元に残っていたアンプが2つだけあります。 いわゆる名器と呼ばれるようなものではないので、売ってもたいした金額にならないと思いとりあえず仕舞っておいたのものです。 とはいえ、一時期ですがこの2つのアンプがとても活躍していた時もあったのです。 (上がDAコンバーター、下がCー21です) その一つがパイオニアのC-21というプリアンプ、これは我が家に様々な機器を持ち込んでくれたOさんが、真空管のパワーアンプに一番合うプリアンプとして数台買いしまい込んでいたものです。 そのうちの一台を2000年代の初めころ譲ってもらったものです。 もう一台は同じOさんから譲っていただいたオーデイオ専科(オーデイオ プロフェッショナル)製の小さなパワーアンプです。 この2台は実際にかなり気にいって使っていた時もありました。温かい音という点で共通しているアンプです。 オーデイオ専科は無線と実験に記事を書いていた森川 忠勇氏が1973年に起した会社です。 ここは未だ健在で通販でキットを販売しているようで嬉しいことです。 (下は日曜日の雪です。まるで花が咲いているように見えます?) 僕が持っているのは6V6真空管を使ったものです。 現在このモデルはホームページにも掲載がないので、相当に昔のモデルなのだと思います。 知識のない僕にはよくわかりませんが、前段に12SL7GT、6V6は4本使っているので、プッシュプルアンプだと思れます。 特徴はともかく元気の良いことで、小さなアンプとは思えない溌剌とした音を出します。 欠点はといえばその分若干繊細さに欠けるような気がすることです。細部に渡ってくまなく再生するというタイプではありませんが、気持ちの良い音を出します。 いままで使っていたトランジスターのマランツSM6100SA VerⅡと比べると、出力がだいぶ小さいとおもわれるので、能率が低い(82dbくらい?)ロジャースLS3/5がちゃんと鳴るとは思えませんでした。 このロジャースはもともと1975年に発売されたモデルなので真空管アンプでも十分にな鳴るはずですが、僕のやつは裏側に貼ってあるシリアルナンバーか40348で11オーム仕様なので、かなり後期のモデルだと思われます。 ところが繋いで音を出してみると、朗々と鳴るではありませんか、しかもボリュームの位置もマランツとほとんど変わらない位置で、おなじくらいの音量が出るのですから驚きです。 やっぱりオーデイオはやってみないとわかりません。(オーデイオに限らず何でもそうですけど) 今までの印象通り、元気の良い溌剌とした音です。とはいえ音が乱暴に聞こえることはありません。 細部の見通しは悪くなりますが、この温かみのある音はいかにも昔の真空管アンプという名前から想像されるような音です。 低音はよりエネルギーが増したようで、高域は角が取れ滑らかに、全体的には腰が低く太くなった感じです。 (機材はこんな感じで並んでいます、無理やり飾り棚に入れ込んであるのでオーデイオ的にはバツですね。6V6アンプのコンパクトさがわかります。) とは言えとマランツSM6100SA VerⅡと地ほどの違いがあるかと言われると、僕の耳にはそれほどの違いが感じられないのが本当のところ。 やっぱりロジャースのスピーカーの音(まともで自然)なのです。 ご推察の通り、これでは僕の耳はオーデイオマニアとしては失格のレベルだと言わざるをえません。 (下は最初のセッテイング、この後パワーアンプをマランツに変更) そんな事実は忘れ去って、ついでにスピーカーのセッテイングの変更も行いました。 (マニアではないですけど、好きなんですね!) もともと棚の中に設置したので、そのために購入した背の低いスピーカー台があります。 その後スピーカーを棚から出して、背の高いスピーカー台を新たに購入したので、この低い方の台が余っていました。 先日、このスピーカー台を背の高い台の上に置いて(台の2段重ね)見ました。 これだとスーピーカーの高さが椅子に座っている耳の高さになるので、良いのではと思ったのです。 ところが見たもあまり良くないので、今回取り払って従来の台の上に木製のインシュレーターを置きその上に乗せるという、以前のセッテイングに戻してみたのです。 それと今回のアンプの変更がまっちしたのか、見た目も良く、かつ音のまりも良くなった気がするではないですか。 やはりシンプル イズ ベストなのでしょう。 それにしてもこのロジャースLS3/5というのは本当にたいしたスピーカーだと聴くたびに思います。 これでセカンドシステムはソニーのSACDプレヤーをわざわざCDだけのトランスポーターとして改造したもの、いまは古いものとなりましたが、音質には定評があったPCM1704を使った金田式のDAコンバーター、そして1978年に発売のパイオニアC-21プリアンプ、たぶん70年代のオーデイオ専科の6V6真空管パワーアンプ、それにオリジナルは70年代のロジャースのスピーカーと年代ものが揃ったことになります。(一番新しいのがCDプレヤーだけ) この年代の機器の構成が持ち主に合っていたためか、これで見かけも、音も、とても気持ちの良いものになったことは確かです。 分相応(年相応?)というのがぴったりで、オーデイオ装置はこれだけね、と言われたらすんなり納得できそうな気がしたのでした。 #
by omoshiro-zukin
| 2020-04-02 13:24
| おもしろオーデイオ
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2020年 03月 31日
どの世界でもその世界を代表する人というのがいます。
たとえば男性ジャズボーカルの世界で言えば、フランク・シナトラがそうです。 たとえその世界に詳しくない人でも、名前くらいは知っているというビッグ・ネームになるのは才能だけではありません。 彼らには、もともと誰でも惹きつけるような、華やかさがあるのです。 そこいくと同時代に活躍しながら、メル・トーメはずっと地味な感じがします。 あの誰でも一度は聞いたことがあるはずの(クリスマスソング)はメル・トーメが作った曲だなんて知ってる人はわずかです。 この二人をクラシック音楽にたとえて見ると、たとえばフランク・シナトラはオペラ歌手です。 壮大なオーケストラをバックに豪華なオペラハウスで堂々と歌い上げます。 メル・トーメはリート(歌曲)の歌手です。ピアノをバックに小さなホールで少人数の観客を前に親密な空間を作り上げるのです。 (おとといは雪が降ったので驚きました) とはいえクラシックのリート歌手とまったく違うのは、その親密な空間というのが、しっとりとした内省的なものではなく、やけに陽気でスインギーなことです。 その世界は彼が歌って聴衆に聞かせるというより、彼自身が歌うのが楽しくてしょうがない、彼の体から自然に歌が出てきてしまう、そんな感じです。 彼が歌うとどんな歌でも、彼のためのおもちゃのように自由に書き換えられ、スイングしてしまうのです。 ということは、その歌の持つ独特な雰囲気よりも彼の個性のほうが強くなってしまうことが多いということです。 そのためか、彼のアルバムは4,5枚持っているのですが、どれを聞いても似ているような気がしてしまいます。 なので彼の代表アルバムを選ぶのはとても難しい気がします。 それでも選ぶとすれば、【メル・トーメ&フレンズ ライブ・アト・マーテイーズ】はとても聴き応えのある楽しいアルバムです。 彼ならではの自由自在な歌心に溢れています。 このアルバムでは、ビリージェルの曲をやっていたり、ゲストにジャニス・イワンが登場しています。 この二人は僕が同時代で聞いている歌手ですが、彼らの歌をメル・トーメが歌っていたのでちょっと驚きました。 なぜって、僕の感覚の中ではメル・トーメはもっともっと古い時代の歌手だという気がしていたからです。 彼が亡くなったのは1999年、40年代から90年代まで活躍していた息の長い歌手だったのです。 僕がLPレコードでもっている『ジョージ・シェアリング&メル・トーメ アン・イーブニング・アト・チャーリーズ』も素敵なアルバムです。 なんといってもLPならではの生き生きとした歌声がたいそう素晴らしいのです。 彼のアルバムは特にライブが似合っている気がします。 メルトーメの声はあまりにも柔らかく滑らかで、なんと良い声だろうと聞き惚れてしまうのですが、その滑らかさがレコードだと実にぴったりとハマるのです。 最後に余計なことを付け加えると、彼がフランク・シナトラほど人気が出なかった理由の一つはその顔にもある気がします? なぜかというとジャケットで彼の写真を見るたびに、えっ!この顔でこの声?と、どうも声と顔のイメージが合わないのです(失礼) いわゆる俳優のようなハンサム顔ではなく、どことなく職人のような風貌です? 青い瞳に男臭く、いなせな感じのフランク・シナトラとは全く違います。 人の良さそうなその風体から僕はミッキー・ルーニーを連想してしまいます。 しかしその風貌とは逆に、シナトラの歌とメルの歌のどちらが粋かと言えば、もちろんメルのほうなのです。 シナトラがじっくりと歌いあげるのに対して、メルは歌が上手すぎて技巧に走ってしまう感じがしてしまいます。 一般受けしやすいシナトラと通好みのメル?そんな分け方もできるかもしれません。 ともあれ自由自在にメロデイーを繰り出すメルの歌は、嫌な気分を吹き飛ばすには最適です。 こんな時には空をかけるように陽気にスイングするメルの歌はいかがでしょう? #
by omoshiro-zukin
| 2020-03-31 09:01
| おもしろ音楽
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2020年 03月 29日
そういえば何度も見ているのに、好きなジャック タチの映画について、何も書いたことがないのに気づいた。
その理由を考えてみると、彼の映画について何か書くことが難しいからだ、ということに思い至ったのです。 彼の映画はシンプルに見えて複雑、単純に見えて難解、そのどこが素晴らしいかを表現するのがとてもむずかしいのです。 (下は僕の伯父さんのポスターです。右にプレイタイムのポスター見えます。鎌倉の川喜多映画記念館にて) ジャック タチが主に活躍したのが1950年代から70年代の初めです。 とはいえ僕が彼の映画を初めてみたのは、90年代の終わりのことだったと思います。 場所は六本木のWAVEビルの地下にあったシネ ヴィヴァン。 ここはたぶん日本で初めて定員制にして全員着席、また映画を見ながらの飲食禁止の映画館ではなかったかと記憶しています。 その代わりロビーでコーヒーを飲めるようになっていた気がします。 場所も六本木でしたし、良い映画を上映するちょっとスノッブでおしゃれな映画館だったのです。 まだ映画が文化だった時代です。 こういう映画館を初め、いわゆる名画座という昔の名画を選んで上映する映画館が街からどんどんと消えてしまったのは実に寂しいことです。 ここでジャック タチの特集をやっていて、そのうちの何本かを見に行った覚えがあります。 彼の映画のもつ、とてものんびりとした雰囲気がとても気に入ったのですけど、何か特別なメッセージがあるわけでもなく、特別に記憶に残るような劇的な場面があるわけでもありません。 どちらかと言えばジャック・タチがあまり意味もなく?ひたすら動き回っているだけです。 ところが不思議なことに、その映画に出てきた村とか海辺とか、街の人々とかが意外にもくっきりと記憶に残るのです。 後に知ったことですが、なにげないギャグの連続のような彼の映画ですが、実はセットから、すべての登場人物の細かい動作まで、まるでバレエの振り付けのように細心の注意を払って撮られていたのです。 しかもその凝りかたが半端ではありません。 僕の好きな作品は【僕のおじさんの休暇】と【プレイ タイム】なのですが、特に大作といわれる【プレイタイム】の凝りかたは尋常ではないのです。 なんせ舞台となる空港から街まで、まるで大スペクタクル映画のように、実物大の壮大なセットを作ってしまったのです。 しかも高画質にするため当時の最先端だった70ミリで撮影しています。 さらにはすべての登場人物のたった一つの動作さえ、彼自身がそれを演じて見せて指導しているのです。 この映画の撮影費用は莫大なものだったため、この映画の興行的な失敗で、彼は全財産を失ってしまいます。 しかし劇的なストーリーも劇的なアクションシーンもない、この映画になぜ、なぜそんな立派なセットが必要なのか理解するのは難しいことです。 彼の映画は、ほんわりしているコメデイのように見えながら、細密画のように緻密な計算と超大作映画のような費用をかけて撮影されているのです。 この尋常でない大掛かりなセットを莫大な費用をかけてわざわざ作るというは、やはり天才ならではの事でしょう。 ジャク タチの映画が自分の幼い頃の記憶のように頭に残っているのは、実はこの凝りに凝った細部へのこだわりのためか知れません? そこでジャック タチのDVD BOXというのを購入してみました。 このボックスは本のように見える凝った装丁で、小冊子をはじめ、特性のレターセットまで入っています。 こういう凝ったボックスを作るのは、これが日本て作られたものだからだと思います。 これほど細部に凝った美しい小物を作るのは日本の伝統なのです。 これには【のんき大将【僕の伯父さん】【プレイタイム】【パラード】の4本といくつかの短編が入っています。 とはいえ好きな【僕の叔父さんの休暇】が入っていなかったのでこれも別途購入しました。 どれも今見ても十分に面白いのですが、あらためて見てみるとセットのデザインの斬新さには驚かされます。 特に記憶に残っていたのは、一番のヒット作【僕の叔父さん】に登場する住宅です。これは今見ても未来的で独特の造形です。 魚の口から水が出る噴水なんて、絶対に忘れられないものの一つです。(人が来るたびに蛇口をひねって噴水を出すというギャグも面白い) 僕の伯父さんの休暇に出て来るホテルももしかすると全てこの映画の為に作られたセットかもしれません。 この映画ではユロさんの古い車がまるで愛犬のように活躍します。 【僕の伯父さん】【プレイタイム】ではすべてのセットや構図がまるで60年代の現代美術作品みたいに見えます! 【プレイ タイム】に登場するバスの乗客の帽子と空港に行く街灯のデザインが統一されていて、その対比を見せる演出、ドアを開けるとそのドアのガラスに一瞬パリの町並みを写してみせる演出など、一瞬で終わってしまう場面も凝りに凝っているのです。 ほとんどマニア的な世界ですが、そんな細部まで神経質と言えるほど考えられているのです。 だからと言ってジャックタチの意図がわからない場面も多数あるのは、僕が凡人にすぎないからでしょう。 もう一つ今回見直してみて思ったのは、ジャック・タチは野良犬や子供たちが好きだということでした。 さまざまな場面にこれほど犬や子どもたちが登場しているとは思っていませんでした。 しかも犬も子どもたちも、結構いたずらや、悪さをするのです。 そういえば主人公であるジャック タチの演ずるユロさんもやっていることと言えば子供並のろくでもない悪さばかりです。 そんなろくでもないユロさんが起こす他愛もない日常的な出来事を、ドラマチックなストーリーも無しに、緻密に計算し、莫大な費用(しかも私費)を投入して撮るのですから、それはまさしく常人のわざではありません。 そして彼の映画は分析や説明すればするほど解らなくなるという点でも(ピカソがそうであるように)また天才的なのです。 まったく残念なことに彼の映画について、その面白さを書くことは難しいのです。(特に僕の筆力では!) 理解できないけど、面白い。ジャック タチの映画もまた僕にとってそういう世界なのです。 (下がその4作品の裏面、凝ったパッケージデザインです!) #
by omoshiro-zukin
| 2020-03-29 10:29
| おもしろ映画
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