知らないことが多すぎる!気付いた時には終わっていた数々の出来事。ナチョ・ドゥアトとミハイロフスキーバレエ。 |
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2020年 05月 26日
世の中には知らなかったことが多すぎる?
そのまま知らないでいれば済むのですけど、後で知ると悔しい思いをするのです。 その理由を考えてみると、僕自身があまり一つのものを熱心に追求しないで、表面ばかりをふらふらと漂流していることにありそうです。 かと言って、今更物事を深く掘り下げていく性格に変わるのは遅いというもの。 これからもあの時も知っていれば!と思うことがどんどん出てくるでしょうが、諦めるしかありません。 先日も今頃クレンチェスはすごいと気がついて、コンサートのチケット買っておけば良かったと後悔したばかり。 もっともこの騒動でコンサートは中止になってしまったのですけど。 さて今回もまたそんな思いをしているのが(ナチョ・ドゥアト)という振付師のことです。 僕はそれほどバレエに詳しい訳ではありません。 知っている振付師といえばモーリス ベジャール、ローラン プテイ、ジョン・ノイマイヤーくらいです。 彼らの振り付けは好きだったので、彼らの振り付けだからという理由で見に行った作品もあります。 ナチョ・ドゥアトという名前は今回のドキュメンタリーを見てはじめて知りました。 こんな時期なので、自ずとTV画面を眺める時間が長くなるのですが、先日NHKの衛星を何気なく見ると、すでに始まっていたその番組は、バレエの基礎を築いたと言われる(マリウス プティバ)を描いたドキュメントでした。 そのドキュメントにナチョ・ドゥアトが登場するのですが、まずはプティバのことから。 プティバの名前はバレエを見に行った時、解説書などで良く目にするので、名前くらいは知っていたので、興味を持って見て見ると、このドキュメントがめっぽう面白いのです。 プティバはフランスで生まれましたが、その後スペインに渡り、その後さらにロシアに渡って現在のクラシックバレエとして知られる有名な舞台をほとんど 創り出した人です。 当時ロシアのバレエは大人気で、その盛況の波に乗ったバレエ団は同じような振り付けを繰り返してマンネリ化していました。 そこに衝撃を与えたのがイタリアからやってきたバレエ団のテクニックでした。 ミラノスカラ座のバレエのテクニックが観客を圧倒したのです。 その技術をすかさず取り入れ、今まで見たこともなかったような新しいバレエを作り出したのがプティバでした。 そうやって作られた作品が(眠れる森の美女)だったのです。 その(眠れる森の美女)は大成功するのですが、驚くのはその時プティバは72歳という年齢だったことです。1890年のことでした。 その後。僕の大好きな(くるみ割り人形)を創り、改訂した(白鳥の湖)(海賊)、さらに新たに振り付けた(レ・バヤデール)などクラシック バレエの 歴史に残るような作品を次々と発表していくのです。 彼は35、6歳のころ、美人バレリーナと結婚するのですが、その後離婚して35歳も年下の女性と再婚しています。(一体何歳の時なのでしょう?) やっぱりすごいエネルギーです? (続きます) #
by omoshiro-zukin
| 2020-05-26 10:28
| おもしろ音楽
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2020年 05月 24日
先日今から35年くらい前に書かれたジャズピアニストの山下洋輔の書いた本を読み返していたら(山下洋輔の随筆はめちゃくちゃ面白いので昔はよく読んでいました) そこにタモリがある晩にアメリカ人のミュージシャンに言ったジョークのことが出ていました。 ちなみにタモリを発掘(発見?)したのも山下洋輔です。 もし山下洋輔がピアノを弾けなかったとしたら、お笑い芸能プロダクションの社長になっていたことでしょう? そのジョークは "You remember Pearl Harbor" "I remember Clifford" というものです。 これを聞いたジャズファンは思わず笑い転げてしまうでしょう。 ジャズファンでない方はチンプンカンプンでしょうが、ジョークの面白さは説明すると面白く無くなるのであえて説明はしません。 この "I remember Clifford" という曲はジャズ好きなら誰でも知っているベニー ゴルソンの作った世にも美しいバラードなのです。 様々なプレヤーによって演奏されていますが、一番有名なのはリーモーガンVOL3に入っているやつです。聞いたことのない人はぜひ聞いて見てください。 きっとその美しさに圧倒されることでしょう。 もう一つジャズに関係したジョークで僕が大好きなものがあります。 それは村上春樹が翻訳した、ベース奏者のビル・クロウの書いた本に出てくるものです。 あるジャズミュージシャンが病気で入院することになりました。 入院当日やってきたミュージシャンにお医者さんが尋ねます。 ”何かアレルギーはありますか?” ”はい、カントリーミュージックです” ジャズファンでもありカントリーファンでもある僕は大いに笑いました。 カントリーはアメリカでもブルーカラーの音楽としてインテリから軽蔑されることがあるようです。 例えば火星人が地球を襲うという映画の中では、偶然にカントリーを聞かせると火星人の頭が爆発してしまうことがわかり、火星人退治に車に拡声機をつけてカントリーを流しまくるのです。(これも笑えました) アメリカ音楽の歴史を描いた?名作(ブルース ブラザース)の中でもカントリーは明らかに馬鹿にされていました。 BBCの連続TVドラマにヘマをした女性の刑事が引退した元刑事たちを束ねて事件を解決して行くというサスペンス コメデイがありますが、このタイトルロールの音楽がなぜかド・カントリーなのにも笑えます(イギリスの番組なのに!) ところでカントリー音楽の一部門?にブルーグラスという音楽があります。 カントリーとの一番の違いは楽器同士が会話することです。 また電気楽器を使わないこと、楽器によるインプロピゼーションがあることが特徴です。 同じカントリーでも、ブルーグラスならジャズメンにもバカにされることはないでしょう。 さて最近知ったのですが、アメリカでカリスマ的な人気のあったロックバンド(グレートフル デッド)の主役とも言えるジェリーガルシャは当初はブルーグラスバンドでバンジョーを弾いていたのですね。 そういえばテイラー・スイフトはもともとカントリー歌手だし、ノラ ジョーンズもシェリル・クロウもカントリーやブルーグラス色の強いアルバムを出しています。 アメリカの音楽はこのように様々な音楽の要素が混じり合っているのが魅力です。 他にジャズやカントリー関係のジョークを探して見たのですけど、この二つを凌ぐものはありませんでした。 随分前のことですが自転車で転んだ時に指が曲がってしまい、慌てて整形外科に飛び込みました。 先生に(治ったらピアノが弾けるようになりますか?)と聞いたら、先生が(ピアノやってるんですか?)と聞いたので、(いえもともと弾けないのですけど)と答えたのですけど、ニコリともされませんでした。 今度入院する機会でもあり、アレルギーはと聞かれたら(カントリーミュージックです)と答えてみたいのですけど、きっと笑ってもらえないでしょうね。 しかもアレルギーどころかカントリーミュージックは大好きなのですから! #
by omoshiro-zukin
| 2020-05-24 09:03
| おもしろ音楽
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2020年 05月 22日
フィガロでは年老いていく女性の悲しみを描いたり、コシ ファンでは揺れ動く心を描きながらも、現実的な選択を優先する女心を(まるでシェルブールの雨傘のようです!)、そしてドン ジョバンニではどんなにひどい仕打ちをされても許してしまう母性的な側面を描いています。 それをあのモーツァルトが天才的な音楽で包んでいるのです。 さてドン・ジョバンニのレコードは2枚(ボックスですけど)しか持っていません。 一枚はハンス ロスバウト指揮、パリ音楽院管弦楽団で1950年代の古い録音です。 僕が知っている歌手ではシュザンヌ ダンコとアンナ モッフォーが歌っています。 もう一枚も50年代の録音でクリップス指揮、ウイーンフィルハーモニーで、シェピにデラ カーサ、ダンコなど錚々たるメンバーが歌っている名盤と言われているアルバムです。 共に輸入盤なので日本語の対訳がついていません。対訳なしで全曲聞くのはなかなか大変です。 そこで本なども購入してみたのですが、やはり面倒です。 こう言う時はヴィデオを見るに限ります。 と言うわけでハイテイング指揮のクライドボーン音楽祭のもの(1977年の公演)、そしてリッカル・ムーテイ指揮によるウイーン国立劇場での公演(1999年)の2本を購入しました。 さすがにヴィデオで見ると内容がわかりやすいのですが、実は僕はオペラとかバレエをヴィデオで見るのがあまり好きではありません。 その理由は舞台全体が見えず、めまぐるしくカットが変わり。常に誰かのアップが写っているからです。 バレエはまだしも、オペラなど大口を開けて歌っている歌手の顔のアップなどみたくはありません。 できたらアップなしで舞台全体をずっと写して欲しいと思っています。 そうすれば舞台装置とか、全体の演出とかがより良くわかるはずです。 CDをかけると画面に歌詞の日本語訳の字幕が出ると言うソフトがあれば一番いいのですけど・・・。 クライドボーンはとても地味な舞台ですが、ウイーンの方はシモーネの演出による豪華な衣装が見もので、これはみても楽しめました。 画面で舞台をみて見ると、物語の細部までよくわかります。 本来婚約者の父親を殺されたドン。オッターヴィオが勇ましく活躍する復讐劇になってもおかしくないのに、なぜかオッターヴィオがとんでもなく間抜けに見えたり? とんでもない悪いやつであるはずのドン ジョバンニがなぜか一番魅力的な人物のように見えてしまったり?と、その人物の描き方の複雑さが良くわかります。 それにしてもモーツァルトのオペラを聞いていていつもすごいと思うのは、人を騙す場面でも、そこで歌われるアリアがとんでもなく美しいことです。 ドン・ジョバンニでも女性を口説くために窓の下でマンドリンを弾きながら歌う歌も、本当に真心がこもっているように美しく聞こえるのです。 これがモーツァルトのオペラをさらに人間らしくしている秘密かもしれません。 正直な人が嘘をつかないとは限らないし、悪人が真心を示すこともあるのです。 モーツァルトのオペラでは状況に関わらず、たとえ嘘の気持ちの歌でさえ美しいのです。 話が前後しましたが、そもそも今回ドン・ジョバンニについて書こうと思ったのは、クルレンツェスの指揮によるCDを聞いたからです。 そしてそのテンションの高さを保ちつつ、切れ味の良い演奏にグイグイと引き込まれてしまいます。 演奏も歌もどことなくバロック オペラの雰囲気もあり、ふとヘンデルのオペラを聞いているような気がする時もあります。 奇をてらった演奏というより、今までの演奏よりもより古典に忠実なのかもしれません。 当時の聴衆はこんなテンションの高さでオペラを聞いていたのではないでしょうか? レチタテイーヴォはフォルテピアノを使用しています。これも饒舌で面白く感じます。 実はモーツァルトモーツァルトの時代にはチェンバロではなく、フォルテピアノを使っていたという説もあるそうです。 というわけで聞けば聞くほど面白くなってくるドン・ジョバンニでした。 #
by omoshiro-zukin
| 2020-05-22 08:42
| おもしろ音楽
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2020年 05月 20日
先日モーツァルトのオペラ3部作の脚本を書いたダ ポンテを主人公にした(天才劇作家とモーツァルトの出会い)という映画を見ました。
ダ ポンテは(コシ ファン トゥッテ)(フィガロの結婚)(ドン ジョバンニ)という、金字塔のようにそびえる3つの傑作オペラの脚本を描いた人です。 そしてこの3つのオペラのストーリーは、僕にはどれも一筋縄では解釈できないような不思議なものに思えます。 こんな風変わりな脚本を描いたダ・ポンテがどんな人物なのかとても興味があったのです。 聖職にありながら放蕩生活でベネツイアから追放され、ウイーンで宮廷詩人として活躍するが失脚、その後にはアメリカに渡りニューヨークのコロンビア大学の教授となり、米国で生涯を終えるという波乱万丈の人生を送っています。 ところがこの映画はダ ポンテを女たらしのドン ジョバンニになぞらえるというアイデアによる、ただの平凡な恋愛映画でした。 僕が知りたかった彼の生涯を史実に基づいて描いたものではなかったのです。 映画の出来も独りよがりで大したものではなく、がっかり。 それにしてもこのダ ポンテといい、もう一つの大傑作(魔笛)の台本を書いたシカネーダといい、モーツァルトの周りには一筋縄では行かないような面白い人物がいるのは実に興味深いことです。 (モーツアルト自身も一筋縄ではいかない人なのですけど!) さて(ドン ジョバンニ)はその結末から見ても、なんだか暗くておどろおどろしくて(コシファン)や(フィガロ)とはちょっと違う雰囲気です。(最後に主人公が死んでしまうオペラはモーツァルトではこれだけです) 全てのオペラの中で(コシファン)と(フィガロ)が一番好きと言う僕にとっては、三部作の中ではちょっと苦手なものでした。 それでも遅ればせながら生でジョナサン ノット指揮の舞台を見てから、そのイメージがガラリと変わり、すっかり好きになってしまいました。 と言うのも(ドン ジョバンニ)は、僕が思っていたような、女たらしの悪人が最後には自分が殺した騎士団長の亡霊に地獄に連れ去れて、悪人が成敗され、めでたし、めでたしと言う単純な勧善懲悪の物語ではなかったからです。 (余談ですけど、村上春樹の小説の騎士団長がドン ジョバンニに登場する騎士団長そのものだったとは意外でした!) ダ ポンテの三部作の結末は、どれもちょっと不思議な違和感の残るものです。 どれも、表面上は(これでよかったね、めでたしめでたし)と言う塩梅で、音楽もそれにふさわしく華やですが、その華やかさがどこかわざとらしいほど饒舌で、見終わった後に(果たして本当は?)と言う疑問符がついて回るのです? コシ ファンでは一度入れ替わってしまった恋人同士が本当に元に戻れるの?と言う疑問が、 フィガロでは間違って奥さんを口説いてしまった亭主を本当にあんなに簡単に許せるのか?そして亭主は本当に改心しているのか?(もちろんしていない)などの様々な疑問が残ります。 ドン・ジョバンニも地獄に落とされて、残された被害者?たちが皆で(悪人は成敗された!)と喜び合う一件落着の場面で終わるのですが、逆に自分の生き方をあくまで変えることなく、最後まで突っ張りながら地獄に行ったドン ジョバンニの生き方の方が素敵なのでは!と思ったりします。 最近の演出には、幕が引かれる直前に地獄に落ちたはずのジョバンニにが両腕に女性を抱えて地獄からせり上がってきて、ニヤリと笑うものまでありました。(なるほどわかりやすい!) (続きます) (今回の写真は去年訪れた初夏のアメリカ西海岸の風景です。今年だったら行けませんでした!) #
by omoshiro-zukin
| 2020-05-20 09:32
| おもしろ音楽
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2020年 05月 18日
自宅でじっとしている時間が多くなると、音楽を聞く時間も多くなります。
あまり真剣に聞いたことのないものを選んで聴くには良い機会なのですが、にも関わらず、今までに散々聞いたはずのアルバムを選んでしまうことが多いのです。 クラシックを聴き始めて好きになって、何度も何度も飽きるほど聞き直したアルバムが何枚かあります。 あまりになんども聞いたので飽きてしまって、近頃はあまり聞いたことがない、というアルバムの一つにヘブラーが彼女自身のフォルテピアノで弾いたと言う(J・C バッハのピアノ 協奏曲)のレコードがあります。 このフォルテピアノの音色が我が家のオーデイオ装置には実にマッチしているのです? ちなみにプレヤーは1970年代の名器トーレンス124のマーク1、これまた古いSMEのアームに同じく昔のシェルター501のカートリッジを装着、フォノイコは金田式の乾電池式、このフォノイコは繊細で情報量の多いものです。 チェンバロほど線が細くきらびやかではなく、ピアノほどダイナミックで重々しくなく、軽い独特な響きがそれは心地よく聞こえます。 軽快なJCバッハの曲もこの音色にぴったりです。この軽やかで、かつ柔らかい響きはとても気持ちが良いのです。 これが高性能な最新スピーカーだともっと輪郭がはっきりして、パキパキとした音になるのでしょうが、我が家の古いタンノイと真空管アンプが いかにも耳に心地よい音を出してくれます。 久々にこのレコードを聞いて見ると、やっぱりいいなとしみじみ思ってしまいます。 僕はピアノの演奏者については全く知識がないに等しいのですが、なぜかヘブラーはとても好きなのです。 決して華麗ではありません。そのテクニックを見せびらかすような過剰さがないところが、聞いていてなぜかしっくりくるのです。 もう一枚の(と言ってもボックスの全集が二つです)本当によく聞いたアルバムがあります。 それがヘブラーとシェリングの演奏によるモーツアルトのヴァイオリン ソナタの全集です。 このレコードも飽きるほど聞きました。持っているレコードの中で一番聞いたアルバムだと思います。 それでも聴くたびにモーツァルトモーツァルトはどうしてこんなに素晴らしい曲が作れるのだろうと感激してしまいます。 このバイオリンソナタはルプーとシモン ゴールドベルグ、ハスキルとグルミョーなど色々持っているのですが、結局は初めて聞いたこのヘブラーとシェリングの演奏に戻ってきてしまいます。 ヘブラーは他にもモーツァルトのピアノ作品全集やピアノ四重奏曲などのレコードを持っていますが、どれも好きなアルバムです。 (下はモーツァルトのピアノ曲全集 LP7枚組です) これらのアルバムをよく聴く理由の一つに、これがCDではなくアナログレコードだからというのがありそうです。 ヘブラーの(J・C バッハのピアノ 協奏曲)は2枚組のCDも持っています。(曲は1曲しか重複していません) 上のCDがそれです。下はシンフォニア集。 ところがCDで聴く同じフォルテピアノの音色とレコードのそれは結構違うように聞こえるのです。 CDの場合は、よりチェンバロに近いような音色に感じます、レコードのあの軽やかで柔らかく深い音色はなぜかCDからは出てこないのです。 この違いは小さいようで大きいもので、CDで聞いているとその音色に満足できず、結局レコードを出してきて聞いて、やっぱりレコードはいいなと思ってしまうほどです。 それに一般的に言ってレコードだと特にヴァイオリンの音がCDより聴きやすい気がします。 そのことについては、気の迷い?、CDを上手にならせていないから?、などなど散々論議されているのですが、未だに結論が出ないようです。 科学的な数値から見ればCDの方が本物に近いのでしょうが、それでも人間の耳にはCDよりもレンジが狭いレコードの方が本物に近いように聞こえてしまうのですから不思議なものです。 そんなこともあり以前は90%はCDを聞いていたのですが、レコードプレヤーをメンテナンスして以来、その比率は逆転しているかも知れません。 特に最近は暇なもので、こういう昔よく聞いたレコードを聞き直して見ると、(やっぱりレコードの音はいいよね!)という思いがふつふつと湧いてきてしまうのです。 知人のKさんがジャズのオリジナルレコードを熱心に集めている気持ちもわかろうと言うものです。 #
by omoshiro-zukin
| 2020-05-18 09:54
| おもしろ音楽
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